このブログでは主に戦国時代・第二次大戦に関しての記事を書き綴っています。

戦国史・第二次大戦史・面白戦国劇場など
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肥前の熊とは、島津家、大友家と九州の覇権を争った戦国の梟雄、龍造寺隆信の事である。だが、隆信は1人の力でそこまで這い上がったのではない。龍造寺家の基盤を築いた曽祖父、家兼(剛忠)、隆信を影から支えた気丈な母、大方殿(慶誾尼)、そして、隆信の義兄弟である鍋島直茂の力によるところも大きかったのである。
肥前のクマさん 「義弟よ!共に力を合わせて、九州統一を目指そうクマー!」
∩___∩
| ノ ヽ
/ ● ● |
| ( _●_) ミ あ~~~たたたたたたたた
彡、 |∪| |__、 ほぉあたぁ!
/ __ ヽノ /___) ´ 熊爪百裂拳!
(___) __)
( __) / __)
/ /\ \
( ( ) )
/ ) ( \
(__/ \_)
直茂 「はぁ?クマが九州を統一するだ?寝言を云うのは巣穴だけにしてくれる」
,..-──- 、
/. : : : : : : : : : \
/.: : : : : : : : : : : : : : ヽ
,!::: : : :,-…-…-ミ: : : : :',
r、r.r {:: : : : :i /" '\i: : : : :}
r |_,|_,|_,|{: : : : | (・ ) (・ )、|: : : ::} 悪さしてないで
|_,|_,|_,|/.{ : : : :| ,.、 |:: : : :;! クマはお山にお帰り
|_,|_,|_人そ(^i :i ,´⌒⌒ )| : : :ノ
| ) ヽノ |イ!(ーノ ̄i-/゙ イゞ
| `".`´ ノ\ `ヽニニノ丿 \
人 入_ノ \___/ /`丶´
/ \_/ \ /~ト、 / l \
/ \/l::::|ハ/ l-7 _ヽ
/i ⊂ニ''ー-ゝ_`ヽ、 |_厂 _゙:i
/| >‐- ̄` \. | .r'´ ヽ
/ | 丁二_ 7\、|イ _/ ̄ \
肥前のクマさん 「クソ生意気義弟よ!お前は気合が足らんクマー!!」
、、、、
| | | | _ /| l -、 、_
_|_|_|_| /| |: : | | : | | : :| |: : (
〈〈〈〈 ヽ /: : :.| | : :| |:;:;| |: ; | |: : ::ゝ
〈⊃ } {:: : :.| | ノ| | | |--| |\: ::}
∩___∩ | | {:: : :| |ノ | |/.| |ェェ| | ヾ: :::}
| ノ ヽ ! ! 、 l: ノ| | /| |= | |-、| | |: ::ノ
/ ● ● | / ,,・_ | | |/ | | | | ̄| | /::ノ
| ( _●_) ミ/ , ’∴ ・ ¨ >| |(_.| |-.| |┘| |/ ぶへぇあああ!
彡、 |∪| / 、・∵ ’ /、 | |/|.| | | | ̄| |ヽ
/ __ ヽノ / / .| |./ | | | |/| |\ 〉
(___) / / /| |./ | | | |/| |/
熊爪百烈拳受けてみろクマーーーっ!!!
直茂 「この馬鹿グマ義兄きーーっ!!気合なら入ってんぞーーーっ!!!」
.,..-──- 、
r '´. : : : : : : : : : :ヽ
/.: : : : : : : : : : : : : :: ヽ
,!::: : : : : ,-…-…-ミ:: : :',
{:: : : : : :i ,;ノ;´:`ゞ、i: : :.:}
{:: : : : : :| ェェ;;;;;;;ェェ|: : : }
{ : : : : ::| ,.、 .| : : :;!∫
ヾ: :: : :i r‐-ニ┐| : riii= クマ蹴り百烈拳だ!!!
ゞイ! ヽ 二゙ノ イ「 ノ オラオラオラァ!
(⌒ ー ̄ ̄´ r⌒ ! 〉
ヽ弋 (` ー'
〔勿\ ヽ ベキ
) r⌒丶) ベキ
ドカ ドカ / ! |'∩__∩ ボキ
ドカ / /| l| ノ --‐' 、_\
( く ! ~l / ,_;:;:;ノ、 ● | ギャアアアアアアア
ドカ \ i | ∥彡 ( _●_) ミ
,__> ヽヽ从/ 彡 、 |∪| ミ
⊂ _ ⌒ヽ从 ⊃ ヽノ ̄⊃
肥前のクマさん 「お前は気合の入れ方、間違ってるクマーっ!!」
直茂 「うるせーっ!おめーが気合入れろっつったんだろうが!!」
_/- イ、_
/: : : : : : : : : : :(
/: : : : ::;:;: ;: ;:;: ; : : : ::ゝ
∩___∩ {:: : : :ノ --‐' 、_\: : ::}
| ノ u ヽ__ {:: : :ノ ,_;:;:;ノ、 ェェ ヾ: :::}
/● ,_;:;:;ノ〈〈〈〈 ヽ一――――ヽl: :ノ /二―-、 |: ::ノ
| (_●_) u ⊂ノ_______| //  ̄7/ /::ノ’,∴ ・ ¨
彡、 |∪| ミ______ノ 〉〉〉〉(_二─-┘{/ 、・∵ ’’ ・ヽ
’,∴ ・ ¨ノ / ヽ⊃ /、//|  ̄ ̄ヽ
、・∵ ’__ / / // |//\ 〉
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ドガアッ!!!
大方殿 「2人共、いつまで遊んでんだい!そんなんで戦国の世を生き抜けると思ってんのかーい!!」
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丶.-'~;;;;;;;;;;;;;;~'-、
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l;;;;;;;;;;' ノヽ .;;;;;;l このぼんくらどもーーっ!!
k;;;;;;;' ⌒''ヽ,,,)ii(,,,r'''''' ;;;;;l ぶっ飛ばすぞおおお!!!
ヘ ヽ;; ン(○),ン <、(○)<::;; ノ |`ヽ、+
∧. `⌒,,ノ(、_, )ヽ⌒´ | .|::::ヽ.l +
/ キ ヽ il´トェェェイ`li r /ヽ、.|::::::i |
./ ヽ 、 !l |,r-r-| l! / .|:::::l |
/ ヽヽ、 `ニニ´/ ,r-|:「 ̄
`\\// ,U(ニ 、)ヽ
人(_(ニ、ノノ
肥前のクマさん 「か、母ちゃん、ごめんなさい。もうしないクマー・・・」
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/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ヽノ ヽ 母ちゃん怖すぎるクマー・・・
C.| Y / |||||,,.ノ ヽ、,, |
| y | | ― ― ミ
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§___丿 .|_))) ゝ,、、|∪|,,,ノ カタカタカタ・・・
ヽノ
直茂 「も、申し訳ございませぬ・・・これよりは心を入れ替えて励みまする・・・」
&. : : : : : : : : : ミυ
ミ.: : : : : : : : : : : : : : 〃个
,!::: : : :,-…-…-ミ: : : : :',u
.三 : : : :i ;;;/:' '⌒' i: : : : :} このお方にだけは逆らえない・・・
{:: : : : |:::+;;; (;;;_ .|: : : : ニ`i'ー- .
.{ : : : :|ヾ ,.、 |:: : : :;! 「`'ー、`ー、
..ヾ: :: :i r‐- ┃┐.| : : :ノ / `ー、ヽ
ゞイ!ヽ┃ニ゛ノ イゞ‐′イ ー-、. ノ7┐
`` ー一'´ ヽ.「~ ̄ `''ァf‐┘ カタカタカタ・・・
. `、 }ー-`、__..._/::l
`|:::::::|ヽ/l:;:;:;|
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大方殿 「2人とも性根入れ替えないと、すぐにその首を晒す事になっちゃうよ!!」
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l;;;;;;;;;;' ノヽ .;;;;;;l おどれら
k;;;;;;;' ⌒''ヽ,,,)ii(,,,r'''''' ;;;;;l わかってんのかーい!!!
ヘ ヽ;; ン(○),ン <、(○)<::;; ノ |`ヽ、+
∧. `⌒,,ノ(、_, )ヽ⌒´ | .|::::ヽ.l +
/ キ ヽ il´トェェェイ`li r /ヽ、.|::::::i |
./ ヽ 、 !l |,r-r-| l! / .|:::::l |
/ ヽヽ、 `ニニ´/ ,r-|:「 ̄
`\\// ,U(ニ 、)ヽ
人(_(ニ、ノノ
肥前のクマさん 「母ちゃんにここまで言われて、黙ってられないクマーッ!よーし、本当の力を見せてやるクマーッ!!」
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__ ヽ>
\ /`ヽ / ヽ / | |
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_\| /..∨● ● | スーパーサイヤクマ──ッ!!
\ .. | ( _●_) ミ
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/ __ ヽノ /´> )
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肥前のクマさん 「直茂ーーっ!今から気合入れていくクマーーーッ!!」
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,r'´-_-_‐_‐_‐_‐_-_-、`-、ミ`ヽ ヾ`ヽ、
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l(i,i'´⌒ヾトヽ、ヾ ヾ ヾ ))_,ィ,'イ」〃川 jノjノjノ}
!iゝ⌒))}!ヾヘヽ ),ィ_'イ」〃'″ フ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;l
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/ ノ'' ll ''ヽ ノ( |;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;|
| ● ● ⌒ .\;;;;;;;;;;;;;;;;/ リーゼントクマーっ!
| (_●_ ) | オラオラァ! !!
| |∪| |
彡 ヽノ ミ
直茂 「おおよーっ!任せとけーーっ!!」
,..-──- 、
/. : : : : : : : : : :ヽ
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i. : : : : : : : : : : : i
i.: :ノヽ : : : : ノヽ : ヽ
ノ:::i ヽ、、ノ i: : :ヽ
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{:: : : : | ェェ ェェ |: : : : :}
, 、 { : : : :| ,.、 |:: : : :;!
ヽ ヽ. ヾ: :: :i r‐-ニ-┐ | : : :ノ ウラァアアア!
} >'´.-!、 ゞイ! ヽ 二゙ノ イゞ‐′
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ノ ,二! ̄| ` ̄|´ ̄ | `丶、
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/ 、 `ソ! \__|_ノ l-7 _ヽ
/\ ,へi ⊂ニ''ー-ゝ_`ヽ、 |_厂 _゙:、
∧  ̄ ,ト| >‐- ̄` \. | .r'´ ヽ、
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i \ ハ∟ |::::|`''ー-、,_/ /\_ _/⌒ヽ
その後の直茂は、隆信に忠節を尽くし、その人並み外れた知略、武勇を持って龍造寺家の先頭に立ち続けた。隆信にも、直茂を使いこなせるだけの器量があり、深く信頼してその力を存分にふるわせた。以降、九州統一を目指して戦い続ける隆信の側には、常に直茂の姿があった。大方殿(慶誾尼)の見込みは、決して間違ってはいなかったのである。
上月城は、兵庫県佐用郡佐用町にある山城である。
上月城は、延元元年(1336年)、播磨守護赤松氏の支族である上月氏が播磨国西部、佐用の地に築城したのが、始まりであるとされている。嘉吉元年(1441年)、嘉吉の乱に巻き込まれて上月氏が滅亡すると、その後は赤松氏の持ち城となって戦国に至る。やがて中国地方の雄、毛利氏と、畿内の覇者、織田氏の勢力が播磨の地で接触するようになると、この山間の小さな城はにわかに注目を浴びる事となる。
天正5年(1577年)10月下旬、織田信長は毛利氏との対決を見据えて、有力部将の羽柴秀吉を播磨に送り込む。秀吉は任地に入るや、播磨中を飛び回って、各地の諸領主を次々に支配下に収めていった。秀吉の精力的な働きによって、播磨の過半は平定され、残るは宇喜多氏の支配下にある播磨西端のみとなる。当時の宇喜多氏は毛利氏に従属していたので、この地は毛利氏の最前線に当たっていた。そして、この播磨西端で一際、重要な城が上月城であった。上月城は備前、美作、播磨の三つの国の境目にある交通の要衝で、秀吉が中国地方に攻め入らんとすれば、何としても手に入れたい城であった。そして、 同年11月、秀吉は、上月城目指して進軍を開始する。
当時の上月城の主将は、宇喜多直家に属する赤松政範で、近隣の福原城と連携しつつ、秀吉軍に対抗する構えを見せていた。同年11月下旬、上月城は秀吉自らが主力をもって攻略に当たり、福原城の方へは竹中半兵衛と黒田官兵衛らの別働隊を差し向けた。秀吉軍が7日間休まず上月城を力攻すると、城兵は敵わずと見て、主将、赤松政範の首を取って降参を申し入れてきた。しかし、秀吉はこれを許さず、城兵全て撫で斬りとした上、捕虜とした女子供200人余を備前、美作の国境まで引っ立てて、悉く磔(はりつけ)にかけて晒したのだった。もう一方の福原城でも、城兵250人余が悉く斬り捨てられた。これらの過酷な処置は、周辺の諸領主に対する秀吉の脅しであった。
秀吉は攻略した上月城に、尼子氏の残党である尼子勝久、山中幸盛(鹿之助)ら7,8百人余を込めて守備を任せた。この時点で秀吉は播磨、但馬の大部分を支配下に収め、中国平定戦は順調に進んでいた。しかし、翌天正6年(1578年)3月、播磨最大の国人である別所氏が離反した事で、播磨平定は一からやり直しとなった。秀吉は直ちに三木城の封じ込めに取り掛かったが、ここで最も恐れていた事態が起こる。同年4月18日、毛利、宇喜多両軍がこの機に乗じて播磨に攻め入り、尼子残党が篭る上月城を囲んだのである。秀吉は三木城に押さえの兵を残すと、同僚の荒木村重と共に上月城の後詰めに向かった。
秀吉、村重軍1万人余は、上月城の北方にある高倉山に陣取って毛利、宇喜田軍3万人余と向かい合った。だが、秀吉軍は劣勢で手の出しようが無く、これから2ヶ月余り、ただただ遠巻きに上月城を見守る事しか出来なかった。万策尽きた秀吉は上洛し、信長の指図を仰いだ。だが、信長の出した命は、現実的で非情なものであった。上月城を見放し、三木城の攻略に専念せよとの断を下したのである。秀吉はこれに従うしかなかった。同年6月26日、秀吉、村重軍は高倉山の陣を引き払って撤退していった。上月城の将兵達はそれを見て、絶望に打ちひしがれた。
上月城の尼子残党は毛利軍に開城する事を決し、尼子勝久ら責任者の自刃をもって、城兵の助命を申し出た。同年7月3日、申し出は受け入れられ、まだ若い26歳の尼子勝久と、その嫡男で幼年の豊若丸も自害となった。尼子軍の主要人物であった山中幸盛は投降したが、危険人物であると見なされていたので、備中国高梁川、合の渡しにて斬殺された。山中鹿助幸盛、享年34か。この尼子主従の死によって、大名としての尼子再興の夢は閉ざされた。一方、かつての尼子家当主で、永禄9年(1566年)に毛利家に降伏していた尼子義久は客分として遇されており、その子孫は毛利家代々の重臣となっている。
落城後、上月城は廃城となった。この地を制した毛利、宇喜多両軍であるがこれ以上、進撃する事はなく、本国へと引き返していった。これで秀吉は一息入れる事が出来、以後、三木城の攻略に専念する事となる。翌天正7年(1579年)、宇喜多直家が離反した事から、毛利氏が播磨に関わる余裕は無くなった。戦闘の焦点から外れた上月城は急速に草木に埋もれてゆき、やがて忘れ去られていった。しかし、現在でも上月城周辺に目を凝らせば、包囲側の毛利軍の遺構や、それに対面する織田軍の遺構を見る事が出来る。それは、かつてこの地が織田、毛利の一大決戦地であった事を物語っている。そして、山麓にある尼子勝久と山中幸盛らを偲ぶ石碑が、今に尼子氏の悲運を伝えている。
↑歴史資料館
上月城の麓には、資料館があります。城への登山口は、ここからすぐの所です。本丸までは歩いて2、30分といったところでしょう。
↑堀切
↑中腹からの眺め
前方の山には、毛利軍が陣取って上月城を囲んでいたのでしょう。
↑上月城本丸
ここに尼子勝久らが詰めていたのでしょう。御家再興の儚い夢を抱きながら・・・
↑本丸にある赤松政範の供養碑
赤松政範は、秀吉軍に攻め入られた際、城兵にその首を掛かれ、無念の最後を遂げています。その後、城兵、女子供も皆殺しとなりました。
↑二の丸跡
ここには、山中鹿之助らが詰めていたのでしょうか。上月城は小さな山城で、千人以上の篭城は困難な様に思えます。軍記では2千人が篭っていたそうですが、実際には7、8百人ぐらいがせいぜいではないでしょうか。
↑二の丸辺りからの眺め
眼下には、上月城の城下が広がっています。この城下も、かつては古戦場であったと伝わります。
↑麓にある尼子勝久の供養碑
尼子勝久は、山中鹿之助らが担いだ神輿の様な存在で、影は薄いのですが、その最後は立派なものでした。
敵持とは、かつて人を殺めたため、討手から逃れている者の事である。逃亡の身である敵持に取って、深編笠、鎖鉢巻、鎖帷子は必需品であった。中には剃髪して僧となって身分を隠したり、虚無僧となって逃亡生活を続ける者もいた。討手に遭遇せず、無事生涯を終えんとしても、その死の間際まで緊張は解けなかった。そして、墓場まで秘密を持って行かねば成らなかった。敵持の身に、真の安息はなかったのである。
元文3年(1738年)に成立した「老死語録」と云う本には、ある敵持の話が載せられている。
徳川幕府に仕える旗本、杉浦内蔵助には親しく付き合っていた2人の老人がいた。1人は小山六左衛門と云う60代の独身の老人で、内蔵助が話相手として屋敷に住まわせていた。もう1人は内海意三と云う70代の独身の町医者で、六左衛門と同じく内蔵助の話相手として、その屋敷によく寝泊りしていた。
屋敷では2人の老人が同じ日に寝泊りする事も多く、おのずと親交が深まっていった。そういったある夜、寝物語に2人の老人はしみじみと語り合った。意三は、六左衛門を信用出来る友人と見込み、これは誰にも話さないでほしいと念を押した上で、自らの身の上話を始めた。「今から50年前、わしが20余りの頃、喧嘩で人を殺めた事がある。その後、殺害した者の子が成人して、仇討ちに江戸に出たと聞いたが、顔も知らないであろうし、名前も変えているので、まず見つかる事はないだろう。しかし、敵持の身を隠して仕官は出来ず、経歴を述べるのも憚られる。そのため、今まで奉公も結婚もしなかったのだ。」
六左衛門は意三が人を殺めた事があると聞いて驚いたが、それでも友人の話に聞き入っていた。しかし、その話は、段々と自分の身の上に重なってくる事に愕然とした。実は、この意三に討たれた者の子こそ、六左衛門に他ならなかったからである。六左衛門が11歳の時、父が討たれ、成人すると敵(かたき)を求めて江戸に出てきた。しかし、敵の行方はようとして掴めず、ただただ、歳月のみが過ぎていった。その探し求めた敵が、実に50年振りに、それも目の前にいたのである。六左衛門は、仇を討つと決した。
そして、後日の早朝、六左衛門は屋敷の門で待ち伏せをした。意三が薬箱持ちと共に門に入ってくると、60代前半の六左衛門は刀を振り上げ、「親の敵!」と名乗りを上げる。すると、70代前半の意三も刀を手に取って、返り討ちの構えを取った。そして、老人同士の斬り合いが始まった。六左衛門は、意三の薬箱持ちに一刀を浴びせられ、傷を負いながらも10歳若い事がものを言ったのか、とうとう意三を討ち果たす事に成功したのである。敵持は、墓場まで秘密を持って行かねばならない。気心の知れた老人であるからと秘密を漏らしたのは、意三の一生の不覚であった。
一方、六左衛門は町奉行所に出頭し、仇討ち成就を報告した。これで、50年間の苦労は報われるはずであった。ところが奉行所では、仇討ちが正当なものであるのかどうか、書類で確かめなければならず、その間、六左衛門は拘束される身となった。六左衛門が仇討ちを申請してから、既に40年余の歳月が流れており、その書類を探し出すのに奉行所は苦労した。六左衛門は老体で、負傷の身でもあったので、この長時間の拘束は実に応えた。ようやく仇討ちが認められ、六左衛門は解放されたものの、破傷風に罹ってしまい、ほどなくして病没してしまった。
この話が、本当にあった出来事なのかは定かではないが、同様の事例は確かにあったのだろう。
↑中央に白旗城
白い看板の後方の山が、白旗城です。左の方に民家が見えますが、その付近に登山口があります。
↑岩だらけの登山道
ごつごつした非常に険しい山道で、所々で休憩しながら登っていきました。500ミリリットルの飲み物を持っていきましたが、足りなかったです。 赤松円心を攻め立てた新田軍も苦労した事でしょう。白旗城自体が峻険な上に、山上部からこの様な岩石を放り投げられたでしょう。
↑石垣
これは、戦国期に作られたものだと思われます。
↑堀切
写真では分かり難いですが、かなりの切れ込みでした。
↑櫛橋丸跡
高台にある曲輪です。
↑櫛橋丸からの眺め
麓を流れる川は千種川
↑三の丸跡
山上部はかなり広いです。
↑三の丸にある土塁跡
本丸偏へと続く。