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近世初期の武家の華「衆道」

2010.05.10 - 戦国史 其の二
16世紀から17世紀にかけて、日本の武家では衆道、すなわち男色(少年愛)が流行していた。それは単なる同性愛だけでなく、少年が年長の若者と深く交わる事によって、深い信頼関係を築くと共に、その知識や技術を教えてもらう切っ掛けともなっていた。また、裏切りが横行していた戦国時代、男色は信頼できる兄弟分を得る機会でもあった。しかし、男色は、時に男女の関係以上に燃え上がり、感情のもつれや、少年を巡る恋争いから刃傷沙汰になる事も珍しくなかった。


武田信玄がまだ20代であった頃、源助という小姓と男色関係にあった。しかし、源助は、信玄が弥七朗と云う少年と関係をもったとの噂を聞き、ひどく腹を立てた。それを知った信玄は、源助をなだめようとして自筆の誓文を送った。「弥七朗に対し、これまで何度も言い寄った事はあるが、その度、彼は腹痛を理由に断ってきた。この事について、私は全く嘘はついていない。
弥七朗に夜伽をさせようとした事はなかったし、これまでも無かった。いわんや昼も夜も、そのような事はしていない。ましてや今夜だってしようとは思っていない。お前とは特に親しくしたいと思っているのにこのような疑いをかけられ、はなはだ困り果てている。この言葉にうそ偽りがあれば、当国一二三大明神、富士、白山、八幡大菩薩、諏訪上下大明神の罰を蒙ろう」


信玄は、この誓文で潔白を主張しているが、誘った事には変わりなく、また、主君の誘いを、弥七朗が無下に断われたものだろうか?甚だ怪しいものである。そして、この書状の面白いところは、後に甲斐の虎とも称される大武将が、年下の小姓の機嫌を損ねないよう、必死に弁解する様子が伝わってくるところである。しかし、この信玄自筆の誓文に関しては、諸説がある。花押がぎごちなく、墨色が異なるところがあるので、後に模写されたものであるとの説と、信玄らしい流麗な書体が見られるので自筆であるとの説もあって、はっきりしない。だが、信玄が男色関係をもっていた事を強く示唆する書状ではある。


永禄2年(1559年)、上杉謙信は上洛の徒につく。京に着くと、謙信は室町将軍、足利義輝の館に招かれ、そこに関白、近衛前嗣(このえ さきつぐ)も加わって、盛大な酒宴が催された。若盛りの義輝、謙信、前嗣は大いに語り合い、飲み明かした。後日、今度は近衛前嗣の館で酒宴が催された。この場では、華奢な若衆がたくさん集められ、酒を飲み夜を明かした。前嗣によれば、謙信は若衆好きである事を公言していた。


天正12年(1586年)10月、東北会津の戦国大名、蘆名盛隆は小姓の大庭三又衛門と男色関係にあった。しかし、盛隆の寵愛が衰えてくると、三又衛門はこれを恨みに思い、主君を斬り付けるという凶行に走った。このため、将来を嘱望されていた蘆名盛隆は、僅か24歳でこの世を去った。三又衛門はすぐに誅されたが、これで蘆名家の屋台骨は大いに揺らぎ、後に伊達政宗の台頭を許す一因ともなった。


江戸時代初期、かつて東北で勇名を馳せた伊達政宗も、老境に差し掛かっていた。政宗は孫もいるような年齢であったが、この時、小姓の只野作十郎と大恋愛をしていた。そういったある日、政宗は酒の席にて、作十郎が他の男と寝ているのではないかと放言してしまう。これを聞いた作十郎は怒って、「浮気など思いもよらぬ事であります。自らの腕を切りつけ、その血判をもって潔白を証明致します」と記した起請文を差し出した。これを受けて政宗は大いに短慮を恥じ、「自分がその場にいたならば、脇差を押さえこんででも、その腕を傷付けはさせなかっただろう」と起請文に記し、更に自らの血判を押して、作十郎に謝罪の意を表した。 


尚、政宗はこの起請文において、「あなたも御存知の通り、私も若い頃は、酒の肴にするように腕や腿(もも)を突き通して衆道にのめりこんだものだが、昨今は世間の物笑いになりかねないので控えている。けれでも、私の腕や腿を見てもらいたい。(傷跡で)隙間もないほど、昔はこうした事をしてきたものである。さすがに今はもう出来ない」と述べている。つまり、政宗の腕と腿には多数の傷があって、しかも、それは衆道の愛の証として、自らが傷付けたものであったのである。それと、戦国の世も終わり、江戸の世を向かえつつあると、衆道もはばかれるようになってきた事が窺える。


衆道の絆は、時に肉親の関係以上のものとなる事もあり、その様な兄弟分が討たれた場合、もう一人の兄弟分は命懸けで仇討ちをした。しかし、兄弟分となった者が他の若衆にうつつを抜かしてしまうと、もう一人の兄弟分は激しく嫉妬し、浮気をした兄弟分を討つと云うことも少なくない。そして、討たれた兄弟分の浮気相手が、またその仇を討つという事もあった。当時の庶民はこのような衆道仇討ちを果たした者を、武士の誉れであると拍手喝采したのだった。このように衆道は、事件の火種になり易い危険な関係でもあった。そのため、幕府や諸大名は次第に衆道に否定的な立場を取るようになり、江戸中期を境にして衰退していった。
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知られざる実力派武将

2010.05.01 - 戦国史 其の二

戦国時代の武将で、実力がありながら、あまり名の知られていない人物を、簡単な略歴と共に紹介したい。


八柏 道為(やがしわ みちため / ?~1595年)

出羽の戦国大名、小野寺家に仕える重臣であり、知友兼備の将と云われていた。出羽の狐と呼ばれた謀将、最上義光は小野寺領を虎視眈々と狙っていたが、それを防いできたのが八柏道為であった。天正14年(1586年)、有屋峠において、小野寺軍と最上軍が激突した際、八柏道為の活躍によって緒戦は小野寺軍の勝利に終わったと云う。この合戦の詳細は明らかではないが、最後は最上軍優勢の形で終わったようだ。


この後も、最上義光は小野寺領を併呑せんと狙い続けるが、その目的のためには八柏道為の存在がどうしても邪魔であった。文禄5年(1595年)、義光は一計を案じ、道為が内通しているとの偽書を送り、それを主君の小野寺義道の目に留まるようにしむけた。はたして、
義道はこの計略に引っかかり、道為を殺害してしまう。小野寺家の衰亡は、この忠臣を失った時から始まった。以後、義光は事あるごとに小野寺領を蚕食していった。


慶長5年(1600年)、関ヶ原合戦において、義道は緒戦は東軍側に身をおいたものの、義光憎しの一心から西軍に鞍替えしてしまう。関ヶ原合戦が東軍勝利に終わると、小野寺家は御家取り潰しとなり、義道は石見、津和野の地に配流の身となった。知勇兼備の将と謳われた八柏道為が存在していれば、また違った展開があったのかもしれない。ただ、八柏道為の人物像と活躍は「奥羽永慶軍記」と云う軍記によるところが大きく、それが史実であったかどうかは定かではない。


梅津 憲忠(うめづ のりただ / 1572~1630)

少年時代は浪人であったが、父、道金と共に常陸に移り住み、佐竹家の世話になるようになる。その間、憲忠は自らの研鑽に努め、後に開花する高い政治的素養を培った。やがて、佐竹義宣の近習に取り立てられ、その高い実務能力を買われて祐筆となった。憲忠は、初期佐竹藩の確立に尽力し、義宣の篤い信頼を受けて家老にまで出世する。

憲忠は実務だけでなく、馬術や鉄砲にも長ずる武功の士でもあった。大坂の冬の陣では、奮戦して重傷を負っている経歴もある。また、連歌や書道にも深い造詣がある文化人でもあった。弟の政景も優れた実務能力を有しており、兄弟揃って、佐竹家の藩政を主導した。弟の政景は、近世初期の資料として最良のものとされている、梅津政景日記を残している。


大縄 義辰 (おおなわ よしとき / ?~?)

常陸の戦国大名、佐竹家に仕えていた武将であり、佐竹義重の子息、盛重が会津の戦国大名、蘆名家を引き継ぐに当たって、共に会津に出向した。新しく蘆名家当主となった盛重であるが、まだ年少である事から、義辰がその後見役として実務を執った。義辰には、佐竹義重の意を汲んで、蘆名家を主導する事を期待されていた。

天正17年(1589年)、蘆名家は、伊達政宗と事を迎える事となり、両者は摺上原に於いて激突する。この時、蘆名先手衆の指揮官を務めたのが、佐竹系筆頭であった大縄義辰だったようだ。義辰ら蘆名先手衆は奮戦したものの、後方の蘆名部隊は戦いに参加しなかったので、衆寡敵せず伊達軍に打ち破られてしまう。蘆名家はこの戦いで滅亡し、盛重と義辰は常陸へと逃れた。義辰はその後、朝鮮出兵に伴って、肥前名護屋に在陣したり、水戸城の普請奉行を務めたりした。生没年は不詳である。

肥前の熊 「慶誾尼の読み」

2010.04.18 - お笑い歴史街道

龍造寺隆信は、天文15年(1546年)に18歳で家督を継いでから、悪戦苦闘しつつも、肥前において、徐々に頭角を現しつつあった。龍造寺氏の勃興は、隆信の力量あってのものだが、優れた家臣の力によるところも、また大きかった。その中でも、鍋島清房は家臣の最有力者にして、最大の忠臣であった。また、その息子である、直茂は俊英との誉れが高かった。そこで、隆信の母、大方殿(慶誾尼)は、龍造寺家と鍋島家との結び付きを更に強めんとして、清房にある縁談を持ち掛けた。清房の妻は、天文18年(1548年)に亡くなっていた事から、大方殿はその後妻に、龍造寺家の器量良しを紹介しようと持ち掛けたのである。




大方殿 「清房殿、わしが器量良しの女子を紹介して進ぜよう」

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清房 「なんと!このわしに嫁を紹介して頂けるのか!?大方殿のお眼鏡にかなった女子なら問題ない。この縁談、有難くお受け致す」
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清房 「器量良しの花嫁、早く来ないかな~」

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      /     ∩ノ ⊃  /
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      .\ “  /__|  |
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弘治2年(1556年)、鍋島清房の元へ、花嫁が到着した。だが、その花嫁とは、48歳の大方殿その人であった。

 

 

大方殿 「はいよ、お待たせしました。私が器量良しの花嫁ですよ。あ・な・た

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   ∧./// ,,ノ(、_, )ヽ、,,/// l    気持ちは乙女です
  / キ   .´トェェェイ`   /ヽ、   うふっ♪  
 ./   ヽ 、  .|,r-r-|  /   ヽ
 /    ヽヽ `ニニ /      |
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清房 「おっ、大方殿!!」
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                /_ノ  ヽ、_\.      ━━┓┃┃
         ,. -- 、,  o゚((●)) ((●))゚o        ┃   ━━━━━━━━
     ,―<,__    ヽ::::⌒(__人__)⌒::::: \     ┃               ┃┃┃
    /          ヽ ゝ'゚     ≦ 三 ゚。 ゚                     ┛
   __|           }。≧       三 ==-
  / ヽ,       / {  -ァ,        ≧=- 。
  {    Y----‐┬´   、レ,、       >三  。゚ ・ ゚
 /'、  ヽ    |ー´    ヽ`Vヾ       ヾ ≧
.{  ヽ  ヽ     lヽ_!´    ヽ。・イハ 、、    `ミ 。 ゚ 。 ・
 ',  ヽ  ヽ    ,/     }
  ヽ  ヽ  、,__./    __/
   \  ヽ__/,'  _ /
     \__.'! 〈  _, '
           ̄

 



当主の母が、その家臣の下へと嫁ぐ。諸人からは、その破天荒な行動をそしる声も挙がったが、大方殿は意に返さなかった。こうする事によって、龍造寺家と鍋島家が固く結びつくと共に、直茂が隆信の義弟となり、その力を尽くさせる事になると信じていたからである。

 

 

肥前のクマさん 「直茂よ、これよりは我が義弟として、大いに働いてもらうクマー」

              ∩___∩
            /  ノ   \  ヽ    
            | ●    ● |    
          彡   (_●_)    ミ   頑張れば褒美に
           /、   |∪|    ,\    シャケをあげるクマー  
          /.|     ヽノ    | ヽ
       ,,/-―ー-、, --、   .|_,|
    r-、,'''";;:;;:;::;;;;:;;::;:;:;;::;:;`'- /_,l,,__ )
   |,,ノ;;:;r'" ̄ ゙̄^"`Y'-、;;;::;:;::;:;:;:;::;:|
    .ヽ,′       ;   `"";;;;;⌒゙')
     ´`゙'''''''''''‐-‐'"`‐-‐'"゛  `゙´
              |  .∥ /
            ("___|_`つ

 

 

直茂 「ふざけんな!何で俺が、クマを義兄キと呼ばなきゃなんねーんだよ!」

             .,..-──- 、           
            r '´. : : : : : : : : : :ヽ           
          /.: : : : : : : : : : : : : :: ヽ  シャケなんかいらねーよ
          ,!::: : : : : ,-…-…-ミ:: : :',        
          {:: : : : : :i  ,;ノ;´:`ゞ、i: : :.:}   ∩─ー、  
         .{:: : : : : :|  ェェ;;;;;;;ェェ|: : : } / ●   `ヽ 
             { : : : : ::|    ,.、 .| : : :;!/  ( ●  ● |つ  
          ヾ: :: : :i   r‐-ニ┐| : : :ノ|  /(入__ノ  ミ
            ゞイ!   ヽ二゙ノ イゞ,.‐rニ(_/  ∪ノ
            / ̄ \`ー一'/ - -l\___ノ
            / /⌒ヽ \//ヽ  二}    \_
          /  / /  \//\ ヽ/      :、
          |  |/  / `´ヽ \/i        \
         |  \/  /lヽ ヽ /.|       i'  i
         |    \/ /| ヽ /  |       |  |
          |     \/ |  /   |       |  |
           |      `ー-ノ i    |       |  |

 




肥前のクマさん 「ははは!本当に生意気で可愛い義弟クマー!」

       ∩___∩  
       | ノ      ヽ  ∫   愛い奴!
      /  ●   ●| riii=      愛い奴!
      |    ( _●_)  ミ「 ノ     
     彡、   |∪|   、`\              
      (⌒  ヽノ  r⌒ !  〉
       ヽ弋      (` ー'
       〔勿\     ヽ      _ /- イ、_   ベキ
           )  r⌒丶)   /: : : : : : : : : : : (
 ドカ   ドカ  /   !   |' /: : : : ::;:;: ;: ;:;: ; : : : ::ゝ       ボキ
   ドカ    /   /|  l|  {:: : : :ノ --‐' 、_\: : ::}
         (    く  ! ~l   {:: : :ノ ,_;:;:;ノ、 ェェ ヾ: :::}
       ドカ   \  i   | ∥  l: :ノ /二―-、 |: ::ノ  ぴぎゃあ!
        ,__>  ヽヽ从/ /   //   ̄7/ /::ノ
        ⊂ _ ⌒ヽ从  ⊃〉(_二─-┘{/ ̄⊃

 




直茂 「やりやがったな、こんにゃろー!」
 

       ,..||-ノ─ソ彡〈〈〈〈 ヽ
     &. : : : : : : : : : ミ〈⊃  }
    ミ.: : : : : : : : : : : : : :  |   |
    ,!::: : : :,-…-…-ミ: : : :|   |         ∩___∩
   三 : : : :i ;;;/:'  '⌒' i: : : |   |        | ノ --‐'  、_\ 
   .{:: : : : |:::+;;;  ェェ .|: : : : ニ  !   ,,・,_  / ,_;:;:;ノ、  ● |
    { : : : :|ヾ  ,.、   |:: : : :; ! / ’,∴ ・ ¨ |    ( _●_)  ミ
 / ヾ: :: :i r‐- ┃┐.| : : :ノ/、・∵ ’    彡、   |∪|   ミ
/ __ゞイ!ヽ┃ニ゙ノ イゞ‐            /     ヽノ ̄ヽ
(___)     /`'            /       /\ 〉 ぐはあっ
              ドゴオッ!

 




肥前のクマさん 「このクソ生意気義弟!喰らえクマーっ!!」

直茂 「うるせーっ!この馬鹿グマ義兄キィ!!」

                           _/- イ、_
                         /: : : : : : : : : : :(
                       /: : : : ::;:;: ;: ;:;: ; : : : ::ゝ
   ∩___∩             {:: : : :ノ --‐' 、_\: : ::}
   | ノ  u   ヽ__         {:: : :ノ ,_;:;:;ノ、 ェェ ヾ: :::}
  /●  ,_;:;:;ノ〈〈〈〈  ヽ一――――ヽl: :ノ /二―-、 |: ::ノ
  |  (_●_) u    ⊂ノ_______| //   ̄7/ /::ノ’,∴ ・ ¨
 彡、  |∪|    ミ______ノ  〉〉〉〉(_二─-┘{/ 、・∵ ’’ ・ヽ
’,∴ ・ ¨ノ    /        ヽ⊃ /、//|  ̄ ̄ヽ
 、・∵ ’__  /            /   // |//\ 〉
    ___)/            /    //   /\ /
            ドガアッ!!!
        




大方殿 「2人共、本当に仲が良いのう。これからは一致協力して、戦国の荒波を乗り越えていくんじゃぞ」

        ___  o
       ( ;;;;;_;;;;; )/'''
     丶.-'~;;;;;;;;;;;;;;~'-、
    /~;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;,ヽ、
   ,;';;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ヽ、
  ./;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ヘ
  l;;;;;;;;;'   ~''''''''''~    ';;;;;;;;l
  .l;;;;;;;;;;            ;;;;;;;l
  l;;;;;;;;;;'            .;;;;;;l
  k;;;;;;;'  ''''''     ''''''''   ;;;;;l
 ヘ ヽ;;  (●),   、(●)、.::;; ノ   
   ∧.   ,,ノ(、_, )ヽ、,,   l     ふふふ
  / キ   `-=ニ=- '   /ヽ、
 ./   ヽ 、  `ニニ´  /   ヽ
 /    ヽヽ、_ ___ /      |
       `\\//

 

 

ちなみに鍋島清房と、大方殿との夫婦関係は仲睦まじいものであったとか。

天正13年(1585年)、鍋島清房が死去すると、大方殿は落飾して慶誾尼と号する。この女傑は通称、慶誾尼と呼ばれる事が多い。天正15年(1587年)、豊臣秀吉による島津攻めの際には、慶誾尼は秀吉宛てに酒肴を送って陣中見舞いをし、さらに盛大な炊き出しをして、秀吉軍を供応した。秀吉はその気配りに「さすがは、龍造寺後家よ」と云って感嘆し、礼状を送って感謝の意を伝えた。慶誾尼のその人となりは、天下人も認めるところであった。

肥前の熊 「股肱の臣」

2010.04.18 - お笑い歴史街道

九州の戦国大名、龍造寺隆信には鍋島直茂と云う股肱の臣がいた。直茂は知略に優れるばかりか、抜群の武勇も誇る器量人であった。直茂は龍造寺家兼の娘を母としており、隆信とは従兄弟にあたる。そういった縁もあって、年少の頃から隆信の近習として仕えており、その信頼は篤かった。


肥前のクマさん 「直茂~、シャケがないぞ~ シャケを持ってこ~い!」
 

          _ ,-、  _       ,ヘ    ウ~イ ヒック
         / `i .ノ / ヽ     /.  i
       _人_.ノ/  | _,,ゝ-──- ,,_ ヽ、
     /    ll    ,|ノ          ヽ  〈〈〈〈 ヽ
    /      |!、  i           ●   ヽ  〈⊃  }
  /      ./ ヽ./ ● (_●_ )    * ミノ`   , ;
./      /i    { *  ヽ  lヽ、__.  j´    j
!.      /  l.  彡、      ヽj`ー、_ `ー、   /
ヽ、   /     !    ヽ          `ー-'

 




直茂 「クマのくせに人様に命令すんじゃねーよ。木の実でも食ってろ」

         ,..-──- 、
        /. : : : : : : : : : \
       /.: : : : : : : : : : : : : : ヽ    
      ,!::: : : :,-…-…-ミ: : : : :',     
   r、r.r {:: : : : :i '⌒'  '⌒'i: : : : :}   はぁ?何か言った?
  r |_,|_,|_,|{: : : : |  ェェ ェェ|: : : : :}     
  |_,|_,|_,|/.{ : : : :|    ,.、 |:: : : :;!  
  |_,|_,|_人そ(^i :i   r‐-ニ-| : : :ノ
  | )   ヽノ |イ!  ヽ二゙ イゞ
  |  `".`´  ノ\ ` ー一'丿 \
  人  入_ノ   \___/   /`丶´
/  \_/ \   /~ト、   /    l

 




肥前のクマさん 「お前、クソ生意気クマー!ちょっと教育してやるクマーーーっ!!」

                         _ /- イ、_     
                        /: : : : : : : : : : : (   
              l⌒)OOo    /: : : : ::;:;: ;: ;:;: ; : : : ::ゝ 
   ∩___∩    {  )  )    {:: : : :ノ --‐' 、_\: : ::}
   | ノ      ヽ  | ::::::/     {:: : :ノ ,_;:;:;ノ ////ヾ: :::}
  /  ●   ● |  /  ::::|   、  l: :ノ /二―-、 |: ::ノ 
  |    ( _●_)  ミ/    )  ,,・_  | //   ̄7/ /::ノ
 彡、   |∪|   /   / ̄, ’,∴ ・ ¨   〉(_二─-┘{/   ぐぇあああ!
/ __  ヽノ  /   /  、・∵ ’   /、//|  ̄ ̄ヽ 
(___)    /    /        /   // |//\ 〉

              ドゲシッ!

 

 

直茂 「覚えてろよ・・・いつか剥製にしてやる・・・」
       
                    ,..||-ノ─ソ彡    
                &. : : : : : : : : : ミυ   
              ミ.: : : : : : : : : : : : : : 〃个
                ,!::: : : :,-…-…-ミ: : : : :',u       
             .三 : : : :i ;;;/:'  '⌒' i: : : : :}    
                {:: : : : |:::+;;;  (;;;_ .|: : : :}      
            , 、     .{ : : : :|ヾ  ,.、   |:: : : :;!   畜生なだけに  
         ヽ ヽ. _ ...ヾ: :: :i r‐- ┃┐.| : : :ノ   ちくしょう・・・     
          }  >'´.-!、 ゞイ!ヽ┃ニ゙ノ イゞ‐′      
          |    -!   \` ー一'´丿 \       
         ノ    ,二!\   \___/   /`丶、     
        /\  /    \   /~ト、   /    l \
         / 、 `ソ!      \/l::::|ハ/     l-7 _ヽ
        /\  ,へi    ⊂ニ''ー-ゝ_`ヽ、    |_厂 _゙:、
        ∧   ̄ ,ト|    >‐- ̄`    \.  | .r'´  ヽ、
     ,ヘ \_,. ' | |    丁二_     7\、|イ _/ ̄ \
    i   \   ハ∟       |::::|`''ー-、,_/  /\_  _/⌒ヽ

 

         

 

隆信の母、大方殿(慶誾尼 けいぎんに)は直茂の器量を見抜いており、その主従の絆を更に強めたいと考えていた。




直茂 「武士道とは死に物狂いなり!(葉隠によれば、直茂が述べた言葉とされる)」

                   ,..-──- 、           
                  /. : : : : : : : : : \
                 /.: : : : : : : : : : : : : : ヽ
                ,!::: : : :,-…-…-ミ: : : : :',     ____
                {:: : : : :i '⌒'  '⌒' i: : : : :}   /
                .{:: : : : | ェェ  ェェ |: : : : :} <  クマを狩ってやる!
                 { : : : :|   ,.、   |:: : : :;!   \____
                 ヾ: :: :i r‐-ニ-┐ | : : :ノ
                 __ゞイ! ヽ 二゙ノ イゞ‐'__
                 〈  /|`--i--'|\  Λ \
                /| |*|  |  |*| / \|
               /  | |◇|\|/|◇| |   \
             /   /|*|  |  |*| \   \
            ,イ_ /  |◇|  |  |◇|  / \   〉
          〈(_/    |*|======|*|  |  |  |
          /\〉     |◇|皿__皿|◇|   | |==|
        /        |*|皿____皿|*|   | |n |
       /         |◇|皿______皿|◇|___|  ̄
     /          /冊冊冊冊/|冊冊冊冊|
    /          /冊冊冊冊/ ||冊冊冊冊|
               |冊冊冊冊 | 」|冊冊冊冊|
                 (====/  (======)
                 |||||||||    ||||||||||||
                  ||  |    〈|||||||||||〉
                  ||  |     |||||||||||
                (人  )    |||||||||
                  ̄ ̄      | |||||
                          |_||||
                          | | |
                         ( | )
                         (~~Y~~)

 

 

大方殿 「この者こそ、龍造寺家の柱石となるであろう」

        ___  o
       ( ;;;;;_;;;;; )/'''
     丶.-'~;;;;;;;;;;;;;;~'-、
    /~;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;,ヽ、
   ,;';;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ヽ、
  ./;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ヘ
  l;;;;;;;;;'   ~''''''''''~    ';;;;;;;;l
  .l;;;;;;;;;;            ;;;;;;;l
  l;;;;;;;;;;'            .;;;;;;l
  k;;;;;;;'  ''''''     ''''''''   ;;;;;l
 ヘ ヽ;;  (●),   、(●)、.::;; ノ   わしの目に狂いはない
   ∧.   ,,ノ(、_, )ヽ、,,   l
  / キ   `-=ニ=- '   /ヽ、
 ./   ヽ 、  `ニニ´  /   ヽ
 /    ヽヽ、_ ___ /      |
       `\\//
 



肥前のクマさん 「母ちゃんの目も、随分悪くなったもんクマー。母ちゃんも、もう年クマー」
    ∩___∩
    | ノ      ヽ-'''''';、
  ,,.....-|  ●   ● |  )     ふ~やれやれクマ・・・
”” ;  |    ( _●_)  ミ      §
  ;;  彡、   |∪|  、`\__===・
 ;  / __  ヽノ /´ ――┴;;
 ;  (___)    |  ―――'"
   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄) ,,..-'''⌒;,   /
   ̄ ̄ ̄ ̄ /    ,,..-.';;-' |
       (  ,,...-''";;., ";,..-'"
        |"””   _,.-|;  ;|
        |_,,...--''"  "'-''"
―――――'"





大方殿 「隆信殿、黙らっしゃーーーい!!!」
        ___  o
       ( ;;;;;_;;;;; )/'''
     丶.-'~;;;;;;;;;;;;;;~'-、
    /~;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;,ヽ、
   ,;';;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ヽ、
  ./;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ヘ
  l;;;;;;;;;'   ~''''''''''~    ';;;;;;;;l
  .l;;;;;;;;;;            ;;;;;;;l
  l;;;;;;;;;;'  ノヽ         .;;;;;;l
  k;;;;;;;'  ⌒''ヽ,,,)ii(,,,r''''''  ;;;;;l    毛皮にしちまうよ!
 ヘ ヽ;; ン(○),ン <、(○)<::;; ノ |`ヽ、+
   ∧. `⌒,,ノ(、_, )ヽ⌒´ | .|::::ヽ.l +
  / キ ヽ il´トェェェイ`li r /ヽ、.|::::::i |
 ./   ヽ 、 !l |,r-r-| l! /    .|:::::l |
 /    ヽヽ、 `ニニ´/     ,r-|:「 ̄
       `\\//    ,U(ニ 、)ヽ
                人(_(ニ、ノノ




肥前のクマさん 「か、母ちゃん、生意気言ってごめんなさいクマー・・・」
              ∩___∩
    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ヽノ     ヽ  
  C.|        Y  / |||||,,.ノ ヽ、,, |
    |   y     |  |  ◎   ◎ ミ    母ちゃん、日の本で一番
  _|   |,,,,,,,,,,,,,,,, | 彡    ( _●_) /`   怖いクマー・・・
§___丿      .|_))) ゝ,、、|∪|,,,ノ
                 ヽノ

明石城

明石城は、兵庫県明石市にある平山城である。


元和3年(1617年)、徳川氏の譜代家臣である小笠原忠真が、信州松本から播磨明石に転封され、この地に築城する。時の将軍、徳川秀忠は西国大名の監視の役割を小笠原氏に求めた事から、普請費用として銀1千貫目を援助し、さらに普請奉行3人を派遣して、築城の手助けをした。元和6年(1620年)、明石城は、壮麗な近世城郭として完成した。ただ、天主台の石垣は築かれたものの、天守閣は築かれず、代わりに本丸に御殿が建てられた。


その後、明石城の城主は、目まぐるしく入れ替わった。寛永9年(1632年)、小笠原氏転封→松平氏入封。寛永16年(1639年)、松平氏転封→大久保氏入封。慶安2年(1649年)、大久保氏転封→松平氏入封。延宝7年(1679年)、松平氏転封→本田氏入封。天和2年(1682年)、本田氏転封→松平氏入封。以後、松平氏のまま、明治の世を迎える。明治7年(1874年)、明治政府による廃城令により、明石城は廃城となった


 

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この明石城は、日本の桜の名所、百選にも選ばれている桜の名所であります。私が訪れた日にも、大勢の花見客で賑わっておりました。

 プロフィール 
重家 
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重家
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史跡巡り・城巡り・ゲーム
自己紹介:
歴史好きの男です。
このブログでは主に戦国時代・第二次大戦に関しての記事を書き綴っています。
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