忍者ブログ

豊国神社

豊国(とよくに)神社は、京都市東山区にある神社である。天下人、豊臣秀吉を祀る神社で、かつては社領1万石、境内域30万坪を有し、本殿、舞殿、神宝殿、護摩堂、鐘櫓などの社殿が立ち並ぶ、壮麗極まる威容を誇っていた。


慶長3年(1598年)8月18日、希代の出世人、豊臣秀吉が死去する。享年62。翌慶長3年(1599年)4月13日、秀吉の遺骸は、京都東山の阿弥陀ヶ峰の山頂に埋葬され、同年4月16日には朝廷より、豊国大明神の神号が贈られた。そして、同年4月18日、阿弥陀ヶ峰の麓に廟所として豊国神社が創建された。それから、神社の創建日に当たる4月18日と、秀吉の命日である8月18日には、豊国祭と称される盛大な祭りが催される様になった。中でも、秀吉の七回忌に当たる慶長9年(1604年)8月12日~8月19日にかけて催された豊国祭は、例年を遥かに上回る規模で挙行され、煌びやかに着飾った大群衆が熱狂的に踊り明かした。その様は、豊国祭礼図屏風として、現代に伝えられている。


慶長20年(1615年)5月8日、豊臣家が大坂城にて滅亡を迎え、徳川家の世が始まると、豊臣秀吉の神号、豊国大明神は剥奪され、豊国神社も廃絶の憂き目と相成った。秀吉の妻であった北政所(寧々)の懇望によって、社殿の取り壊しは免れたものの、以後、朽ち果てるに任された。そして、豊国祭も途絶えた。明治元年(1868年)、明治天皇は秀吉の功績を称賛して、豊国神社の再興を命じ、明治13年(1880年)、方広寺大仏殿跡地に社殿が造営され、ここに豊国神社は再興し、豊国祭も再開されるようになった。




↑豊国神社鳥居




↑豊臣秀吉像と唐門





↑唐門


国宝に認定されています。





↑方広寺鐘楼




↑方広寺梵鐘




↑梵鐘の鐘銘


大坂の陣の切っ掛けとなった鐘銘、国家安康、君臣豊楽が刻まれています。




↑方広寺大仏殿石垣


方広寺は、豊臣秀吉が文禄4年(1594年)に創建した寺で、当時、日本最大の大仏殿と大仏が鎮座していました。しかし、寛政10年(1798年)、落雷を受けて惜しくも焼け落ちてしまいました。




↑方広寺大仏殿石垣


巨大な石垣が目を引きます。この石垣の上にあった大仏殿と大仏は、周囲を圧する威容であったに違いないです。それは大阪城同様、秀吉の威光を天下に知らしめる効果があったでしょう。


豊国神社では、宝物館を見学して来ましたが、秀吉ゆかりの宝物が数多く、収められていました。中でも、秀吉直筆の書状や、秀吉の歯に見入りました。後から知ったのですが、これらの宝物は撮影可能でした。また、機会があれば、写真に収めたいものです。それと阿弥陀ヶ峰にある秀吉の墓所、豊国廟も訪れたいです。

PR

Comment

TITLE:
NAME:
MAIL:
URL:
COLOR:
EMOJI: Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
COMMENT:
Password: ※1
Secret:  管理者にだけ表示を許可する※2
※1 パスワードを設定するとご自分が投稿した記事を編集することができます。
※2 チェックを入れると管理者のみが見ることのできるメッセージが送れます。
 プロフィール 
重家 
HN:
重家
性別:
男性
趣味:
史跡巡り・城巡り・ゲーム
自己紹介:
歴史好きの男です。
このブログでは主に戦国時代・第二次大戦に関しての記事を書き綴っています。
 最新記事 
 カウンター 
 アクセス解析 
 GoogieAdSense 
▼ ブログ内検索
▼ カレンダー
10 2025/11 12
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30
▼ 最新CM
[03/14 お節介爺]
[05/12 杉山利久]
[07/24 かめ]
[08/11 重家]
[05/02 通りすがり]
▼ 最新TB
▼ ブログランキング
応援して頂くと励みになります!
にほんブログ村 歴史ブログへ
▼ 楽天市場