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Uボートの生活

Uボートとは、第一次世界大戦と第二次大戦時に活躍したドイツ潜水艦の総称である。特に第二次大戦時の活躍は有名で、多数の連合軍船舶を撃沈して、全世界に勇名を馳せた。だが、輝かしい戦果の裏側で、Uボート乗員の苦労は一方ならぬものがあった。その乗員の苦労の一端を紹介していきたい。


1933年、ドイツ海軍の軽巡洋艦カールスルーエは世界周航の最中、アメリカのハワイを訪れた。この時、軽巡に乗り込んでいた士官候補生ラインハルト・ハルデゲン(後に船舶25隻、13万6千トンを撃沈する事になる第二次大戦のUボートエース)は、ここでアメリカ潜水艦を見学した。潜水艦内部に入ると、パイプや計器類が所狭しと張り巡らされており、居住区は信じられないくらいに狭かった。


しかし、ハルデゲン自身が後にUボートに乗り込むと、あの時のアメリカ潜水艦の居住区は、考えられないくらいに広く快適であったと述懐した。アメリカ潜水艦には士官室、大きな調理室、リクリエーションスペース、数箇所の便所、全乗員にベッドが割り当てられていた。しかし、Uボートにはリクリエーションスペースなど存在せず、乗員44~60人余に対して、便所は一つか二つあるだけだった。ベッドは固有の物ではなく、乗員が昼間と夜間に交代して使用するので常に暖かく、ホットベッドと呼ばれていた。


Uボートは量産性を重視して設計されており、他国と比べると小柄な船体にまとめられていた。その小さなスペースに計器類や魚雷を最大限、搭載した戦闘本位の艦であり、快適に生活出来るよう設計されたものは、何一つ存在しなかった。ある乗員は、「まるでパイプの中に住んでいるようだった」と述べている。出航直前の乗員達は生き生きとして髭もきれいに剃っているが、航海を続けていると、潜水艦乗り特有の青白い顔つきになり、髭は伸び放題になる。乗員は非番の時には、持ち込んだ古雑誌を回し読んだり、喋りあったりして過ごしていた。


潜水艦の最大の武器は、なんといっても魚雷である。Uボートの任務にとっては、食料の搭載よりも魚雷の搭載の方が重要だとされており、出撃する際には、規定数を超えて詰め込めるだけ詰め込んでいた。魚雷はベッドにも積み込まれるので、乗員はそれに寄り添って寝る事になる。魚雷は高度な技術を要する精密兵器であり、値段も非常に高価であった。当時の軍用車フォルクスワーゲン1台の値段は1千ライヒスマルクであったが、ドイツの電気魚雷G7eの値段は1本あたり4万ライヒスマルクもした。日本円に直してみると、フォルクスワーゲン1台が100万円で、魚雷1本が4千万円といったところだろうか。


魚雷内部の繊細な誘導装置や推進機構は、容易に損傷し得るものだった。それをいつでも使用可能な状態にするには、3日もしくは5日の間隔で点検と調整を必要とした。調整に当たる乗員は、発射管に収められている魚雷を慎重に取り出してから、点検、調整をする事になる。長期の航海では1日1本ずつ点検が行われたが、荒天時には大変、危険を伴う作業となった。魚雷は精密機器であるので、荒天で揺り動かされようとも、壁にぶつける訳にはいかなかった。それに、魚雷はただ1本で艦船を撃沈しうる大変な危険物であり、ふとした衝撃で爆発しないとも限らなかった。そのため、調整員は、魚雷が揺れる度、自分の身を挺して止めたので、怪我をする者が絶えなかった。


食料は、鋼管の中、甲板の上下、通路、便所、居住区といったあらゆる箇所、あらゆる隙間に詰め込まれた。生鮮食料の多くは頭上の網に吊るされるので、ただでさえ狭いハンモック上の空間は半分になる。乗員は、パンやソーセージの詰まった袋に頭を埋め、果物の詰まった竹かごに足を乗せて寝た。食料の大体の内訳は、ハム、ソーセージ、リンゴ、葡萄、焼きたてのパンなどの生鮮食料と、肉、野菜、バター、卵、果物、パンなどが詰まった缶詰である。また、壊血病予防のため、いたる所にレモンが詰め込まれていた。Uボート乗員の生活が過酷であるのは皆が承知であるので、ドイツ国防軍の中でも最良の食料が配給されていた。


出航前の潜水艦は綺麗に清掃され、内部には焼きたてのパンと果物の香りが立ち込める。しかし、出航して1週間も経つと食べ物は腐り始め、その腐敗臭と、油、汗、小便、電池のガス、湿気の多い空気とが入り混ざった異様な臭気に変わる。2週間も経てば艦内は、下水道の中に居るのと変わらない状況となった。更に3週間経つと、主食である黒パンにソーセージ、レモンなども厚いカビに覆われるので、乗員はパンの真ん中だけを食べた。それでも、1日3回温かい食事は出されていたので、東部戦線で冷え切った粗末な食事を取っている兵士よりは、まだ恵まれていた。だが、乗員達にとって何よりのご馳走は、食事ではなく敵船舶を喰らう事であった。これを喰らうと乗員の士気は高まり、汚れた艦内生活さえ苦にはならなかった。


Uボートが敵船を撃沈すると、情報収集目的で1人か2人は救出する事はあるが、相手の乗員全てを救出する事はない。救出活動自体が自艦を危険に晒す事につながる上、狭い艦内に捕虜を収容する余裕などまったく無いからである。だが、敵船から救命ボートが降ろされた場合、Uボートがそれを攻撃するような真似はしなかった。ドイツ海軍では、救命ボートに乗った漂流者を殺戮する事は基本的に容認できないとされており、Uボートが漂流者に向けて機関銃を掃射したのは、一度の事例を除いて確認されていない。それに対して、アメリカ潜水艦が日本船舶を撃沈した場合、度々、漂流者や救命ボートに向けて容赦なく機関銃を掃射していた。


潜水艦では、ハッチの閉め忘れ、弁の誤回転、電池の誤配列、敵艦船や航空機の見落としが即、全乗員の死につながる。乗員1人1人の果たす役割は重要であり、潜水艦ほどチームワークが要求される兵器はなかった。士官、下士官達は魚雷、ディーゼル機関、電動機、操舵、潜望鏡などの専門家であり、その他の乗員達もそれぞれ特殊な技能知識を持っていた。乗員達はお互いの能力を信頼しあい、篤い友情を培っていた。長期間、狭い空間の中で共に不自由、危険、恐怖、喜びを分かち合うので、自然に兄弟のような一団になっていった。Uボートの頭脳たる艦長には、乗員達を束ねる統率力、状況を素早く正確に見極める観察眼、敵に立ち向かっていく攻撃精神が要求される。潜水艦が任務を成功し得るかどうかは、多分に艦長の力量に左右された。撃沈を重ねた艦長は乗員の信頼を得て士気も上がったが、逆に戦果を挙げられない艦長には失望し、士気も低下した。


潜水艦の任務は過酷であったが、その分、報酬も高額であった。Uボートが潜航した日には、給料が跳ね上がった。また、Uボートが西経20度を通過し、最前線に出れば、危険任務手当てが出て、それはロリアン(フランスにあるUボート基地)に帰投しだい支払われる事になっていた。その金で彼らは、フランスで神のような生活が出来たのだとか。Uボートが過酷な戦闘哨戒任務を終えて基地に帰投すると、軍楽隊が演奏を奏でて勇者達の帰還を祝う。他のUボート乗員や基地要員達は、桟橋から手を振ってこれを出迎え、上陸した乗員には婦人や少女達から花束が手渡される。乗員達は久方ぶりに陸地を踏みしめて、ようやく心から安堵するのだった。顕著な戦果を挙げた艦長ならば、ここで司令長官から勲章を授けられた。


乗員達は陸上に上がると、大抵、盛大なパーティを開く。明日をも知れない身であるので、生ある内に存分に楽しもうという思いからだった。それに、彼らは特別待遇を受けており、多少羽目を外したとしても、憲兵からは大目に見られていた。だが、帰投したUボートが整備と準備を終えると、再び危険な海域へと向かわねばならない。軍楽隊は歓送の音楽を奏で、基地からは成功を祈る群衆が手を振って見送る。Uボートの乗員達はそれに応えながら、大海の彼方に消えて行くのだった。


大戦を通じてUボートは、連合軍船舶を2880隻、1440万総トンを撃沈し、それに加えて連合軍艦船175隻、80万トンを撃沈した。連合軍商船の乗員は、5万人が戦死した。Uボートは大戦中1114隻が就役したが、喪失数も817隻に上った。Uボート乗員3万9千人の内、戦死した者は2万8千人、捕虜となったのが5千人だった (上記の数字は資料によって差異がある)。


大戦中、Uボート部隊を一貫して指揮していたのは、カール・デーニッツである。デーニッツはUボート部隊創設の父であり、潜水艦の特性を熟知した卓越した指揮官でもあった。デーニッツはこう述べている。「開戦時にUボートが、300隻あれば、イギリスを屈服させ得ただろう」と。これは決して大言壮語ではなく、事実であろう。戦争後半になって、ようやくデーニッツは300隻余りのUボートを手にしたが、全ては遅すぎた。戦機に適切な量を投入出来なかったため、勝利を逃したのである。これはデーニッツの罪ではなく、ドイツ軍上層部の無理解によるものであった。


当時のイギリス首相、ウィンストン・チャーチルはこう述べている。「私が真に恐れていたのは、Uボートの脅威であった。ドイツはこれに全てを賭けていた方が賢明であった」




↑Youtube動画 映画Uボートのワンシーン 音楽が勇壮でとても良いです!


 
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