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「エルベを目指せ!」 残存ドイツ軍、決死の脱出行 2

第12軍は、第9軍の脱出路を確保するため、ベーリッツという地を固守していた。だが、ここにもソ連軍が波状攻撃を仕掛けてくる。ソ連軍の強大な圧力を前に、長く持ちこたえられる見込みはなかった。一方、脱出を図らんとする第9軍も、力尽きる寸前であった。戦車、装甲車は数両を数えるのみで、兵士達は飲まず食わずの戦闘行動で、疲労困憊していた。それでも第9軍は望みを捨てず、残された体力、弾薬を使い尽くして、最後の突破攻撃を敢行した。そして、多大な犠牲を払いつつも、ついにコーネフ軍の陣地を突き抜け、第12軍との合流を果たしたのだった。



第9軍の将兵や民間人達は傷付き、疲弊しきっており、安全地帯に辿り着いた途端、ぐったりと座り込んでしまった。そのままだと、動けずに死んでしまうと思えたので、時には気付けのため、脱出者達を殴りつけねばならなかった。第9軍司令官ブッセも収容されたが、かつて肥満体だった彼は、見違えるほど痩せ細っていた。第12軍は野戦炊事所を設けて迎え入れ、第9軍の脱出者達に久方ぶりにまともな食事を味あわせた。疲弊し切った第9軍には、しばらくの休養が必要であったが、切迫を強める戦況がそれを許さなかった。ソ連軍の追撃は激しく、早急に撤退せねば、12軍諸共、包囲されて全滅してしまう。それを避けるべく、第12軍は車両を総動員して、直ちに収容人員の輸送に取り掛かった。そして、彼らはエルベを目指し、移動を開始した。



第12軍に合流した人員は、兵員2万5千人余、民間人数千人だった。第9軍の大多数は脱出出来なかったのである。そして、第9軍の後衛を担っていた2個師団と逃げ遅れた民間人多数は包囲され、激しく抵抗した後、殲滅された。戦後、この周辺からは3万人余のドイツ兵の遺骨が発掘され、ハルベの墓地に埋葬されている。民間人の犠牲者は1万人余と見られ、ソ連軍も2万人強が戦死したと見られている。深い森林の奥には今でも多数の遺骨が埋もれており、それらは毎年の様に発見されている。



5月3日、ベルリンは陥落し、ヒトラーの死も伝わってきた。だが、脱出を図る第12軍の戦いは、まだ終っていなかった。第12軍と収容人員は、南北東からソ連軍の攻撃を受けながらも、西へ西へと進んで行く。この頃、第12軍には様々な方面から敗残兵や難民が加わって、20万人余の大集団となっていた。第12軍の兵士達は、民間人を守りつつ、後を追うソ連軍と絶え間ない戦闘を交えねばならなかった。困難な後退戦を乗り越え、第12軍集団は、ようやくエルベ東岸に達した。しかし、背後にはソ連軍の大部隊が迫っているので、緊急に川を渡らねばならなかった。そこで第12軍は、川を背に半円周陣地を築いてソ連軍の攻撃に備えつつ、渡河準備に入った。



第12軍は、対岸のアメリカ軍に幕僚を派遣して、受け入れ交渉を開始する。第12軍は兵士と難民の受け入れに加えて、橋の架橋を求めた。これに対してアメリカ軍は、武装解除した兵士ならば受け入れると答えたが、難民の受け入れと橋の架橋は拒否した。そのため、第12軍集団が生き延びるには、自力でエルベを渡るしかなかった。 5月5日早朝、第12軍集団は、鉄道橋、壊れた道路橋、渡船場の3つの場所からエルベ渡河を開始する。渡河には、辛酸を舐めてきた第9軍の生き残りが優先された。しかし、アメリカ軍は橋の上で検問して、SS部隊、外国人、民間人の選り分けをしようとしたため、人々はなかなか対岸に渡れなかった。



5月6日、半円周陣地はソ連軍の攻撃によって、じりじりと侵食されていた。容赦のない砲撃によって、陣地内の民間人や兵士は次々に吹き飛ばされてゆく。エルベ東岸で渡河を待つ者には、焦りばかりが募った。そして、ソ連軍の砲撃が迫ってきて、自軍に被害が及ぶのを懸念したアメリカ軍が川から離れると、人々は一斉に西岸を目指し始めた。鉄橋を渡るのを待ちきれない人々は、川幅が広く流れも早いエルベを、ボート、カヌー、急造のいかだを使って渡ろうとする。しかし、川を渡り切れずに溺死した人も大勢出た。



5月7日朝、半円周陣地は崩壊寸前となる。守備に就いていた第12軍の兵士達も鉄橋を渡って撤退を開始し、残弾を撃ち尽くした砲は爆破処理されていった。午後には、ぎりぎりまで指揮をとっていたヴェンク中将もボートに乗って川を渡らんとした。それを狙ったソ連軍の銃撃を受け、幕僚1人が戦死したが、ヴェンク中将は何とか川を渡りきった。このヴェンク中将の渡河を最後に、エルベ西岸への撤退は終わった。軍民全てが川を渡れた訳では無かったが、それでもヴェンク中将と第12軍の将兵はよく責任を全うしたと言えるだろう。ソ連軍は、ドイツ軍の大部隊を取り逃した事を大いに悔しがった。もし、第12軍による救出作戦が行われなければ、第9軍とそれに追従していた民間人はソ連軍によって殲滅されていたに違いない。諦めて投降していたとしても、酷寒のロシアの地に5年は抑留され、過酷な労働も課せられて3分の1は死に至っていただろう。第12軍による救出撤退作戦は、ドイツ陸軍の追尾を飾る見事なものであった。同日、ドイツは降伏文書に署名し、翌5月8日に欧州の戦争は終結する。




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