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「エルベを目指せ!」 残存ドイツ軍、決死の脱出行 1

1945年4月、第二次大戦末期、ドイツの首都ベルリンは、ソ連軍の大波に飲み込まれようとしていた。4月20日にはベルリンを守る最後の防衛線、ゼーロウ高地も突破され、最早、ソ連軍の進撃を阻む物は何一つ存在しなかった。ゼーロウ高地を守っていた、ドイツ第9軍(司令官ブッセ中将)は3つに分断され、「止まって死守せよ」とのヒトラーの命令を無視して、それぞれ別方向へと撤退していった。



ブッセ中将は、第9軍の中で最も大きな集団を率いて、南西方面へと逃れた。この集団には第9軍以外にも、ばらばらになった諸師団の残兵や民間人なども加わって8万人余となった。彼らに残された車両、燃料は少なく、食料は皆無だった。それでも西へと向かって前進を続けたのは、ソ連軍に捕らえられるのを極度に恐れていたからだった。ソ連軍の支配下に落ちた都市では、虐殺と婦女暴行の限りが尽くされ、生き残った者も強制労働につかされると聞かされていた。



最早、ドイツの敗北は免れない。それならば、いっそ西側のアメリカ軍に投降しようと彼らは考えた。アメリカ軍は既にドイツ国内に進出し、エルベ川西岸にまで達していた。そのエルベ川に向かうべく、第9軍は、ベルリン南東の広大な森林地帯を進んで行った。だが、森林地帯を通過中、急進撃してきたソ連軍によって包囲されてしまう。前方はソ連のコーネフ元帥の軍が進路を遮り、後方からはジューコフ元帥の軍が迫った。このままでは、第9軍の包囲殲滅は確実かと思われた。



この時、エルベ川東岸には、アメリカ軍に備えていたヴェンク中将以下の第12軍があった。幸い、アメリカ軍は進撃をエルベ川で止めていたので、この軍は手隙となっていた。それを目聡く見つけたヒトラーは、ソ連軍の包囲下にあるベルリンへ向かうよう命じた。ヴェンクは、第12軍の微弱な戦力で、150万人以上のソ連軍の包囲網を打ち破る事など、不可能と見なした。だが、現在、西に向けて敗走中の第9軍と避難民を救う事ならば出来そうだった。ヴェンクは決断を下した。



ヴェンクは作戦を開始するに当たって、兵士達に語りかけた。「諸君にはもう一度、ご苦労願わねばならない。最早、ベルリンが問題になっている訳ではなく、第三帝国が問題になっている訳でもない。戦闘とロシア軍から人々を救う事が諸君の任務なのだ」。これを聞いた兵士達の間には、失われつつあったドイツ軍の精神、「忠誠心・責任感・連帯感」が再び蘇ってくるのを感じた。4月24日、ヴェンク中将統率の下、第12軍は士気高く、東に向けて攻勢を開始した。そして、4月25日、第12軍は、ソ連軍によって占領されていたベーリッツに達するや、直ちに攻撃を加えた。熾烈な攻防が数日続いた後、町の奪還に成功した。そして、第12軍は現代地を固守して、第9軍の到着を待つ方針を取った。



一方、ソ連のコーネフ軍は、高速道路周辺に布陣し、更に東西に走る林道を全て封鎖して、第9軍の突破阻止を図っていた。4月25日、第9軍は僅かに残った戦車31両の中から、70トン級の重戦車、ケーニヒスティーガー10両を先頭に立てて、コーネフ軍の突破を試みた。森林での戦闘は、ハルべと云う村落を中心に行われた。4月26日、第9軍は、重厚なコーネフ軍の部隊間に僅かな隙間を見つけると、そこに突破口を開かんとして突撃した。しかし、制空権を支配しているソ連軍機から爆弾、機銃掃射の雨を浴びせられ、更に地上からも猛烈な銃砲火を加えられて、第9軍は元の地点に押し戻された。



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↑ドイツ軍重戦車、ケーニヒスティーガー



4月26日の夜から27日にかけて、第9軍は南北2ヶ所から、再び突破攻勢をかけた。ドイツ軍が一時、突破口を開いたとしても、そこにソ連軍が猛砲撃を加えてくるので、部隊はたちまち壊滅していった。ソ連軍砲兵や戦車は、ドイツ軍の頭上にある高い樹木を目掛けて砲弾を撃ちかける。そうすると砲弾は樹木で炸裂して、大量の木片、弾片が地上にいるドイツ軍に降り注ぐのだ。死者、負傷者の多くは、突き刺さった木片によるものだった。将校達は戦車の下に潜って地図を広げ、作戦を練った。



森林での戦いにはっきりとした戦線はなく、至る所で凄惨な小戦闘が繰り返された。薄暗い木々の間には濃い煙が立ち込めて、陽光を見る事さえ難しかった。ドイツ兵達はそんな中を、疲れ切った足を引きずりながら歩いて行く。力尽きた負傷兵らが車両の進路上に倒れると、そのまま装甲車両にひき潰されていった。森林戦を戦う中、第9軍は広く分散し、大きな集団はハルべ周辺にあって、後衛の部隊は後を追うジューコフ軍との絶え間ない戦闘に巻き込まれていた。こういった最中にも、ベルリンからは、「第9軍と第12軍は、ベルリンへの救出に向かうべきである!」との指令が出されていたが、両軍団からの返答はなかった。



4月28日、ソ連軍は、ハルベの南から火砲やカチューシャロケットによる猛砲撃を加え、進撃するソ連兵も村落に迫撃砲を撃ちこんでいった。第9軍にはどうする事も出来ず、絶え間なく落下する砲弾によって、人々は千切れ飛んでいった。村落はたちまち、燃え盛る家屋、車両、死体で埋め尽くされ、その上に更に砲弾が降り注いだ。28日夜半、第9軍はこの地獄から逃れるべく、ハルべから必死の突破攻勢を行った。そして、ソ連軍の銃砲火の雨を乗り超えて、とうとう封鎖線を突破する事に成功したのだった。しかし、それは、凄まじい犠牲を払っての成功であった。森林を走る道路上には様々な車両が引っくり返って炎上し、周辺一帯にはおびただしいほどの木片、金属片、肉片が散らばっていた。



森全体が煙に包まれ、その合間に見えるのは大量の死体と、木にもたれ掛かって死に逝く負傷者の姿だった。この惨状は、オイルと血にまみれた道路上に沿って、いつまでも続いていた。第9軍の主力はソ連軍を突破しつつあったが、後衛の2個師団と民間人多数はソ連軍を突破出来ず、ジューコフ軍によって包囲された。ジューコフはこれを、ドイツ軍大部隊を包囲したものと誤認したので、その後の追撃は甘くなった。だが、コーネフの方は、残存ドイツ軍を逃すまいと執念を燃やしていた。そして、樹木を切り倒して道路の封鎖を図り、ドイツ兵を狩り立てるべく、森林の中に歩兵と戦車を次々に送り込んでいった。第9軍は、業火のハルベから脱出したものの、まだ、ソ連軍の陣地全てを抜いた訳では無かった。行く手にはまだ難関が残っているが、第12軍との合流も間近に迫っていた。
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