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ドイツ本土航空戦 1

 ●爆撃目標シュバインフルト


時は1943年10月、第二次大戦最中。イギリスの空軍基地にて、アメリカの搭乗員達が緊張の面持ちで、出撃前のブリーフィングに集まっていた。彼らは、アメリカ第8航空軍に所属する搭乗員達で、ドイツ本土及び、ドイツの占領地(フランス、オランダ等)を爆撃する任務を負っていた。そして、指揮官の口から、「爆撃目標シュバインフルト」と告げられた時、搭乗員達は一様に顔面蒼白となり、自らの運命の終わりを悟った。シュバインフルト、それはドイツ本土南部にある、人口4万人の小さな工業都市である。ドイツの首都ベルリンと比べれば、人口は100分の1に過ぎない。だが、ここでは重要な戦略物資が作られていた。それが、ボールベアリング(玉軸受)である。


ボールベアリングとは真円の球体で、ありとあらゆる機械の稼動部分を担う。人間に例えれば関節、あるいは軟骨に当たる。この球体が無ければ、機械は動かないのである。シュバインフルトは、ボールベアリングの一大生産地であった。従って、この都市を破壊すれば、ドイツの産業自体を麻痺状態に追い込む事も可能と見られた。この小さな工業都市を爆撃する意味は、大いにあったのだ。だが、ドイツもまた、シュバインフルトの重要性をよく理解しており、周辺に強力な戦闘機隊を配置して待ち受けていた。それに加えて、多数の対空砲や煙幕発生装置まで配備していた。


それに、イギリスの基地からシュバインフルトまでは、850kmの距離があって、この往路を護衛可能な連合軍戦闘機は、1943年10月時点において配備されていなかった。従って、爆撃隊は自らの防護機銃のみで敵戦闘機を撃ち払い、目標まで到達せねばならない。実に、前途多難な爆撃行であった。実際、2カ月前に行われたシュバインフルト爆撃において、爆撃隊は深刻な損害を被っていた。1943年8月17日、この日、376機のアメリカ軍爆撃機によって、第1次シュバインフルト爆撃が決行された。


空軍首脳は出撃するに当たって、爆撃隊の損害を少しでも抑えるべく、陽動作戦を行おうとした。まず、先行する別働隊が、シュバインフルトの東南180kmに位置するレーゲンスブルグを爆撃する。こうして、別働隊がドイツ戦闘機隊の注意を惹き付けている隙に、すかさず本隊がシュバインフルトを爆撃するのだ。レーゲンスブルグにはドイツの戦闘機生産工場があって、ここも重点爆撃目標と見なされていた。しかし、これは陽動であって、主目標はあくまでシュバインフルトである。8月17日午前8時、レーゲンスブルグを目標とする別働隊、B17爆撃機146機が次々に飛び立っていった。


続いて、シュバインフルトを目標とする本隊、B17及びB24爆撃機230機が飛び立たんとした時、異変が起こった。それは、かの有名なイギリスの霧である。観光客にとっては見物の1つであったが、航空機にとっては忌々しい白い悪魔であった。出撃予定の午前9時になっても霧は晴れず、午前11時になってようやく出撃可能となった。先行する別働隊とは、3時間の遅れが生じていた。これでは当初の陽動作戦の意味は薄れ、両爆撃隊がそれぞれ目標を強襲する形となる。司令部は判断に迷ったが、作戦続行を決めた。レーゲンスブルグ爆撃隊146機は、ドイツ国境までは味方戦闘機の護衛を受けていたが、ここまでが航続距離の限界で、彼らは翼を振りつつ反転していった。


すると、それを待っていたかのように、ドイツの戦闘機隊が襲い掛かって来る。ドイツ戦闘機隊400機余が代わる代わる攻撃を加えてきて、爆撃機15機が撃ち落され、10数機がエンジンや機体に損傷を受けた。損傷機は煙を吹きつつ、尚も飛行を続行し、爆撃隊はレーゲンスブルグ上空に達して、303トンの爆弾を投下した。爆撃隊はそこから南下してアフリカのアルジェリアを目指したが、エンジンに被弾した機体は地中海を越えられず、海上に落ちていった。それから3時間後、シュバインフルト爆撃隊230機もドイツ本土に侵入した。しかし、この間に、ドイツ戦闘機隊は給油と給弾を済ませ、伝えられる第2派の攻撃に備えていた。シュバインフルト爆撃隊は、その網の中に飛び込んだのだった。


ドイツ戦闘機隊は、爆撃編隊の隙間から切り込んでは、一撃離脱を繰り返した。ドイツ戦闘機隊300機余の迎撃と、地上からの高射砲の砲火を受けて、爆撃機は次々に撃ち落されていった。搭乗員達が落下傘を開いて次々に脱出していく。しかし、きりもみ状態になった機体からは脱出不可能で、そのまま地上に激突して爆炎を上げた。レーゲンスブルグ、シュバインフルト爆撃隊は合わせて376機が出撃したが、その内、60機が撃墜された。故障などで途中帰還した15機を除くと、その損失率は17%に達していた。


アメリカ空軍では1回の任務に付き、4%以上の損失が出るのは許容し難いとしていたので、上層部はこの結果に衝撃を受けた。基地に帰投した316機も、100機余が重大な損傷を受けて廃棄処分となり、撃墜機と合わせると、都合160機もの爆撃機が失われた。熟練搭乗員も一挙に600人が失われ、搭乗員の間には言い知れぬ恐怖感が広がって、士気は急速に低下した。この犠牲の成果で得たものは、シュバインフルトのボールベアリング生産量、34%の低下であった。しかし、それも半年後には旧に復したとされる。一方、ドイツ側も、この迎撃戦において47機の戦闘機を失っていた。


アメリカの主力爆撃機、B17及びB24は、エンジン4発の大型機で、それぞれ10人の搭乗員が乗り組んでいる。それに対して、ドイツの主力戦闘機、Bf109及びFw190は、エンジン単発で1人乗りであった。血の取引は、アメリカの方が明らかに分が悪かった。それに、ドイツ上空でアメリカ軍機が撃墜された場合、運良く搭乗員が脱出出来たとしても、成すすべ無く捕虜となって、戦線復帰は不可能となる。一方、ドイツ軍機は撃墜されたとしても、搭乗員が無事、脱出に成功すれば、すぐに戦線復帰が可能であった。


大損害を受けたアメリカ第8航空軍は、本国から新たな補充を受けつつ、戦力の再建を図った。そして、まだ傷も癒えないまま、1943年9月6日、ドイツ本土のシュツットガルトを目指して、262機の爆撃機が飛び立った。目標はシュツットガルト周辺に点在する、航空機工場であった。しかし、今回の爆撃行も苦難に満ちたものとなり、45機の爆撃機が撃墜され、損失率は前回と同様、17・2%に達していた。搭乗員達は目標、レーゲンスブルグ、シュヴァインフルト、シュツットガルトと告げられた際には、死刑宣告と同様に受け取った。搭乗員にとって何よりの衝撃は、すぐ前や横にいる僚機がみるみる炎に包まれて、分解しながら落ちていく光景だった。


夕方を迎えると、搭乗員の多くは、昂ぶった神経を抑えるためウイスキーに手を伸ばした。酒の手を借りて眠りについても、機銃掃射を受けて機体を穴だらけにされ、戦友が重傷を負ってもがき苦しみ、エンジンが火を噴くといった悪夢にうなされた。多くの者が戦闘神経症に罹り、突然の震えや金縛りに遭い、中には一時的に失明する者もいた。どれも、極端に危険な状態に置かれ続けた事による、ストレス反応であった。爆撃機の損失は、ドイツ軍によるものだけでは無い。霧が濃い時は、空中衝突が頻発したし、帰還途中で衝突事故に到る例も多かった。また、爆撃中、上空の味方が落とした爆弾に当たって、爆散する機体もあった。


飛行任務中の苦労も絶えない。高空の凍えるような寒風は、胴体両側面の銃座を固める銃手にとって、大変きつかった。外気に直接、接しているので、全身がかじかんでくるのだ。電熱式の長靴、手袋、つなぎ服で固める者もいたが、動作が不安定で、任務中、それらがずっと機能し続けるのは稀だった。銃塔に篭もる乗員は、敵地の上空にいる数時間、狭い空間から出られないため、尿意を催した場合、ズボンの中に垂れ流す他、無かった。飛行中、重傷を負った者は、基地にたどり着く前に低体温症で命を落とす公算が高かった。25回の爆撃任務を終えると、本国に帰還して、休暇を得られる約束が成されていたが、そんなものは遠い夢物語に思えた。


搭乗員達は、心身共に衰弱していた。しかし、そんな彼らを奈落に突き落とすかの様に、再びシュバインフルト爆撃が告げられた。冒頭、第2次シュバインフルト爆撃の開始である。




↑B17G

全長:22.66m

全幅:31.62m

全備重量:29,700kg

出力:1,200hp×4

最大速度:462km/h

航続距離:5,800km

武装 :12.7mm機銃×13  

爆弾搭載量:近距離任務時、3,600kg

乗員:10名

総生産機数:12,731機


原型機となる、モデル299の初飛行は1935年であったが、発展余裕があった事から、その後の大改良と重量増加をよく受け付けた。大抵の航空機は何らかの欠点や癖があるが、飛行性能は安定しており、構造も頑丈であったので、並の軍用機なら墜落するような損害にもよく耐えた。アメリカ空軍による、対ドイツ爆撃の主力を担った。






↑B24J

全長:20.60m

全幅:33.50m

全備重量:29,500kg

出力:1,200hp×4

最大速度:488km/h

航続距離:5,900km

武装 :12.7mm機銃×10

爆弾搭載量:近距離任務時、3,600kg

乗員:10名

総生産機数:18,431機


B17と並ぶアメリカ空軍の主力爆撃機であった。飛行性能自体は、B17を上回っていたが、被弾に脆い事から、乗員はB17の方を好んだ。航続距離に優れる事から、太平洋戦線や地中海戦線では活躍した。また、哨戒機型は大西洋戦線で活躍し、Uボートの封じ込めに大いに貢献している。





↑Bf109G

全長:8.95m

全幅:9.92m

全備重量:3,400kg

出力:1,475hp

最大速度:640km/h

航続距離:650km

武装 :20mm機関砲×1 、13mm機銃×2

爆弾搭載量: 250kg

乗員:1名

総生産機数:33,000機


1939年開戦時からのドイツ空軍の主力戦闘機で、登場時は世界の最先端を行く機体であった。戦争後半には英米の新型機に見劣りするようになったが、それでも改良を重ねて一線級の性能を維持した。軽量で運動性に優れていたが、航続距離と武装が不足気味であった。



↑Fw190A8

全長:9.00m

全幅:10.50m

全備重量:4,900kg

出力:1,700hp

最大速度:656km/h

航続距離:800km

武装 :20mm機関砲×2、13mm機銃×2

爆弾搭載量:500kg

乗員:1名

総生産機数:2万機以上

Bf109と並ぶドイツの主力戦闘機で、高高度性能以外ではBf109を上回る性能を示した。機体構造が頑丈で、戦闘爆撃機としても用いられた。発展余裕にも優れ、後期型のFw190Dは、アメリカが誇るP51マスタングに匹敵する性能を示した。


                                            

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重家 
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