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越前大野城

越前大野城は、福井県大野市にある平山城である。



大野城は、天正4年(1576年)、織田家の部将、金森長近によって築かれたのが、最初となる。城は、標高249メートルの亀山の山頂に築かれ、野面積みの石垣の上に、2層3階の天守閣が置かれた。その後、城主は次々に入れ替わるが、天和2年(1682年)、大老、土井利勝の子、利房が入ってからは、以後代々、土井氏が城主を務めた。安永4年(1775年)、野口村から出火した火災が、城下1,400軒を焼く大火となって、大野城にも飛び火、天守閣を含む本丸を焼失した。寛政7年(1795年)、本丸は再建されたが、明治6年(1873年)、明治政府による廃城令によって、建物は取り壊された。昭和43年(1968年)、鉄筋コンクリート製の天守閣が復元されて、現在に到る。





↑麓から見た、大野城





↑城門





↑お福池





↑西を望む





↑東を望む





↑南を望む





↑北を望む






↑天守台の石垣




↑天守閣


越前大野城は、雲海に浮かぶ天空の城として知られており、福井県の名所ともなっています。しかし、個人的にはやはり、鉄筋コンクリート製の天守閣は頂けず、いずれは木製で復元してもらいたいです。




↑朝倉義景の墓所


大野城から歩いて、15分ほどの所にあります。 朝倉義景とは、かつて、越前国を支配していた戦国大名で、周辺国にも大きな影響を及ぼすほどの大大名でした。しかし、天正元年(1573年)、織田信長に大敗を喫した事から、本拠の一乗谷も危うくなり、一族の朝倉景鏡を頼って、越前大野の賢松寺へと逃れます。ところが、ここで景鏡の裏切りを受けて、賢松寺は200騎の武士に取り囲まれ、その中で無念の自刃となりました。賢松寺はその後、廃寺となりましたが、義景の墓所は現代でも、市街地の一角にひっそりと佇んでいます。

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