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スターリングラード 2

激戦の最中にも、まだ市内には多数の民間人が残っていた。男は兵士として戦場に駆り立てられたため、残されたのは女子供ばかりであった。市街に残された市民は、廃墟の地下室や下水道、河岸に掘った横穴に隠れたが、多くは生き残れなかった。西のドイツ軍占領地に向かった避難民もいたが、そこには何もなかった。ドイツ軍はあらゆる物資を摘発していたので、食料も何も残っておらず、避難民達は寒々とした荒野に捨て置かれ、その大半がロシアの土と化していった。


ソ連の情報筋によれば、ドイツ軍は戦闘中に3千人余の市民を処刑し、また、ヒトラーの命令で6万人余の市民が、強制労働に従事させるべくドイツ本国へと運ばれていったと云う。独ソ両軍とも、市民を積極的に助ける気など毛頭なかった。スターリンはドイツ軍の命令に従った市民は全て射殺せよと命令を発し、たとえ強要されて行動したとしてもその例外ではないとした。 そのため、ソ連軍が自国民を殺害するケースも多々あった。


スターリングラード攻略の主力を担うドイツ第六軍には、5万~7万人余の元ソ連兵が含まれていた。彼らはヒーヴィ(対独協力者)と呼ばれ、その構成はコサックなどの志願した現地住民、脱走したソ連兵、捕虜となったソ連兵などであった。ヒーヴィの多くはソ連兵捕虜で占められており、始めは労働に従事していたが、ドイツ軍の兵力不足を補うため、次第に戦闘に駆り出されるようになっていった。ドイツ軍参謀長の報告、「我が戦闘部隊をロシア人捕虜で強化せざるを得ないのはまことに遺憾であります。彼らはすでに我らの射撃手になろうとしております。敵であるべき野獣が今や一致協力して我々と生活を共にしているとは、何とも奇妙な状況であります」。


ヒーヴィは同国人に対し勇敢に戦い、忠誠心篤い態度を示したため、総じて前線のドイツ軍はヒーヴィを厚遇した。何故、これほど多くのヒーヴィがドイツ軍に協力したかと言うと、多分にソ連の残酷な体制に対する不信と恐怖からであった。一旦、ドイツ側に協力した者を、ソ連の体制は決して許容しなかったため、彼らは最後までドイツ軍と共に戦わざるを得なかった。しかし、ドイツ軍は協力者以外の捕虜にはろくに食料も与えず、その多くを餓死に追い込んだ。


(10月初旬)、スターリングラード攻防戦の中盤、ドイツ軍によって市街の大半は占領され、ソ連軍はヴォルガ河を背後にした、細長い戦線を維持するのみとなっていた。ソ連軍の戦線は、ヴォルガ河の対岸から船で運ばれてくる増援と補給によって辛うじて支えられていた。船は兵士や物資を西岸に届けた後、負傷兵を満載して東岸に運んだ。


ドイツ軍も勿論、それは察している。そのため、渡河地点に猛烈な砲撃を加えたり、急降下爆撃機で船を攻撃して、全力でこれを阻止しようとした。船の乗組員の死傷率は、第一線で戦う部隊と変わりなかった。船舶の損失は甚大であり、おびただしい数の負傷兵が対岸に渡れず、岸辺に横たわってうめき声を上げていた。船に乗せられても、負傷兵達は穀物袋を積載するように積み重ねられて運ばれていったので、状態がより悪くなったり、東岸に渡るまでに死亡する例も多かった。また、東岸に渡っても、満足な治療が受けられる保障はなかった。


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ヒトラーはスターリングラードの象徴性に取りつかれており、その奪取に執念を燃やしていた。それにソ連軍は最早、撃滅寸前であると確信していたため、ドイツ軍の戦力を集中的に市街に投入していった。薄くなったドイツ軍戦線の両側面は、貧弱な装備しか持たないルーマニア軍に委ねられた。ドイツ軍が市街戦に釘付けになっている間、ソ連軍は密かにスターリングラードの北西と南東に戦力を集中し始めていた。市の防衛に送られる戦力まで削減して、その増強に努めたため、スターリングラードの防衛が危機に陥るほどであった。


(11月中旬)、ヴォルガ河には浮氷が下り始め、本格的な冬が迫っていた。敵味方のどちらを見ても、最初から残っている戦闘員はほんの少数だった。ソ連古参兵いわく、「あれは、我々が8月に戦った連中とは違うドイツ兵だ。我々の方も違っていた」。ソ連兵の大量の死体は瓦礫の中に埋もれてゆき、市の郊外にはドイツ兵の墓標が広がり続けていた。この頃になると、ドイツ第六軍の健康状態は、深刻な状況にあった。ドイツ軍の間には、赤痢・チフス・パラチフスなどの感染症が広がり、病死する兵士の数が急増していた。軍医の推測によれば、食糧不足に加えて、累積するストレスで体の抵抗力は弱まった事が原因であるとされた。ソ連軍も病気になるドイツ兵の多さを知って驚き、それをドイツ病と呼んだ。


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(11月19日)、満を持したソ連軍の大反抗「ウラヌス作戦」が開始される。(11月22日)、ソ連軍は、まともな対戦車装備を持たないルーマニア軍の戦線を突破し、一大包囲網を完成させる。この結果、ドイツ軍・同盟軍・ヒーヴィ合わせて29万人余(数字には諸説あり)が包囲された。孤立地帯の食料、弾薬不足は深刻であった。空軍は空からの補給を約束したが、孤立地帯のドイツ軍が要求する物資の数分の一しか空輸できず、それすら悪天候によって途絶える事もしばしばであった。輸送機は積荷を降ろした後、傷病兵を満載して飛び立ったが、度々、過剰積載で墜落したり、ソ連軍の高射砲で撃ち落された。ただでさえ乏しい糧食は三分の一から二分の一に切り詰められた。ヒトラーは包囲されたドイツ軍をスターリングラード要塞軍と命名し、その絶対死守を命じた。


多くのドイツ兵達は、包囲以前に適切な防寒服を受け取っていなかったので、猛烈な寒気に苦しめられ、凍傷に罹る者が後を絶えなかった。さらにシラミにたかられ、それが運ぶ伝染病にも苦しめられた。このドイツ軍包囲の勝報は、スターリングラード市内で戦っているソ連兵にはなかなか伝わらなかった。そのため、士気の低いソ連兵多数が、包囲されているドイツ軍へ投降するという出来事もあった。無論、彼らは閉じ込められ、ドイツ軍と共に飢えに苦しむ事となった。


スターリングラード3に続く・・・
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