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スターリングラード 1

(1941年6月21日)、300万人を越えるドイツ軍が、ソ連邦へと攻め込んだ。ソ連の体制崩壊を目指したこの大攻勢は、バルバロッサ作戦と呼ばれた。当初は破竹の勢いで進撃していったドイツ軍であるが、広大なロシアの大地で消耗を続け、12月にはソ連の首都モスクワを目の前にして、その進撃は食い止められてしまう。消耗し尽くしたドイツ軍は、ソ連軍の反撃の前に敗退を余儀なくされた。


だが、ヒトラーはまだ、ソ連の打倒を諦めてはいなかった。今度はモスクワよりもずっと南、カフカス地方とヴォルガ河にいたる南部ロシアを征服しようとの決意を固めた。東部戦線の最終勝利を目指したこの大攻勢は、ブラウ作戦と命名された。1942年6月28日)、大攻勢が開始され、ドイツ軍は昨年と同じように破竹の勢いで進撃を続ける。ドイツは軍を大きく二つに分け、A軍集団はカフカス地方の油田を、B軍集団はヴォルガ河河畔の都市スターリングラードを目指した。当初、作戦の経過は順調だった。
 

(7月)、スターリングラード攻略を担うドイツ軍は、兵員25万人、戦車750両、軍用機1,200機、火砲7,500門だった。それに対するソ連軍は、兵員17万人、戦車360両、軍用機340機、火砲8,000門だった。(8月23日)、ドイツ空軍が、スターリングラードに猛爆撃を加えた。当時、スターリングラードの人口は60万人であったが、最初の週の爆撃で4万人の死者を出した。8月後半)、ドイツ地上軍は、市の郊外に達する。(9月初旬)、ドイツ軍は自信満々だった。市攻略の主力を担う第6軍司令部には戦勝気分がみなぎり、あるドイツ兵は便りに、「スターリングラードは2、3日で陥落するでしょう」と書いている。しかし、早期攻略どころか、戦闘は激しくなる一方であった。


ソ連軍は消耗し、この時点で防衛隊は4万人ほどでしかなかったが、彼らはここがロシアの最後の防衛線であると認識し、最後まで戦い抜く決意を示していた。兵士達はロシアの国民全体の思いが自分達に向けられていると感じており、スターリングラードで戦うことに凄まじい誇りを感じていた。また、市街戦には多数の女性兵士も参加していた。ドイツ装甲師団の報告、「午後も遅くなるまで、我々は37ヶ所もの敵の高射砲陣地を相手に撃ち合わねばならなかった。敵の砲兵は粘り強い女性だったが、ついに全滅した」。


(9月13日)、ドイツ軍は市街に突入を開始する。爆撃と砲撃で崩れ落ちた建物の一角一角を廻って、独ソ両軍は熾烈な戦闘を繰り広げた。ドイツ兵の書き残し、「急降下爆撃機の地獄を思わせる咆哮、高射砲、大砲の響き、エンジンの唸る音、戦車のキャタピラが立てる雷のような音、ロケット弾の金属音、飛び交う短機関銃のせわしい音、あたりは騒音の洪水である。しかも46時中どこにいても燃え盛る街の熱に襲われる」 「負傷兵の挙げる叫び声、あれは人間の発する声ではない。傷付き苦しむ野生動物のおぞましい叫びだ」 


「衛生兵、助けてくれ!」という負傷兵の叫びは、爆撃音や瓦礫を吹き飛ばす砲弾の音と同じように日常の戦場の音となる。両軍の兵士達にとって、街中に落ちてくる砲弾は何よりも恐ろしかった。爆発そのものも危険であったが、高層ビルに当たれば、砲弾の破片やレンガなどが凶器となって上から大量に降り注いでくるのだ。市街は、始終舞い上がる煙や土埃によって霞み、死体や物の焼ける異様な臭気が立ち込めた。


ヴォルガ河は、湖を思わせる広大な河だった。夜間、船に乗ったソ連の増援部隊が、赤黒く燃え盛る市街地へと送り込まれて行く。巨大な炎がビル群の抜け殻を映し出し、夜空に火の粉を舞い上がらせる。兵士達は、船から鉄兜だけを出して、西岸の燃え盛る建物を睨み続ける。河にはドイツ軍の銃砲弾が絶え間なく飛来して水柱が上がり、直撃を喰らって沈没する船もある。この地獄のような光景を見て、怖じ気をふるう兵士もいた。しかし、船には政治将校が乗り込んでおり、川に飛び込んで逃れようとする者がいれば、容赦なく射殺する構えをとっていた。


至近弾があってパニックに陥る兵士がいれば、政治将校は即刻、射殺して死体を河に投げ落とした。岸が近づくにつれ、焼け焦げた建物と腐った死体の悪臭が漂ってくる。彼らは上陸するや否や、駆け出して、「ウラー(万歳)!!!」の叫びと共にドイツ軍に突撃していった。スターリングラードの凄まじい消耗戦を物語る事例がある。ソ連親衛第13狙撃師団は、増援として市街戦に投入されたが、第13狙撃師団は西岸に渡った最初の24時間で30%が死傷し、スターリングラード戦が終わった時点で1万人いた部隊の内、生き残った者は320名に過ぎなかった。


(9月中旬)、急に気温が下がり、霜が降りてくる。過酷なロシアの冬が近づいていた。だが、そのような事はおかまいなしに、市内では果てしない消耗戦が続いていた。壊れた建物や掩蔽壕、地下室や下水道で、近接戦が繰り広げられた。両軍の兵士は共に、疲労、緊張、憤怒で神経が昂ぶっており、ろくに捕虜も取らずに相手を撃ち殺していった。ドイツ空軍が爆撃して破壊した建物が、皮肉にもソ連軍に格好の待ち伏せ場所を提供していた。ドイツ軍将軍の手紙、「敵は目に見えない。地下室、崩れた壁の陰、掩蔽壕、工場跡に待ち伏せて攻撃してくるので、我が方の損害は甚大だ」。ソ連軍は、ドイツ軍を絶え間ない緊張状態に陥れて心身を消耗させようと、夜襲を繰り返した。さらにソ連空軍は毎晩、ドイツ軍陣地に爆撃を加えた。


あるドイツ軍部隊の報告、「部隊は不眠不休の有様だ。もうすぐ彼らの体力は完全に消耗するだろう」。ドイツ軍の中には戦闘のストレスに耐え切れず、自傷行為を行う者や自殺をする者が絶えなかった。一方のソ連軍の方も消耗し、疲労しきっていた。高い士気を保っている兵士もいたが、恐るべき戦闘の重圧に耐えられない兵士も大勢いた。このスターリングラード戦全体で、ソ連軍は脱走・寝返り・自傷行為・無能・臆病などを理由に13,500人余の自軍兵士を処刑している。


スターリングラード2に続く・・・
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