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東インド貿易船の航海生活

2009.11.07 - 歴史秘話 其の一
17世紀、オランダ東インド会社の貿易往復船の航海概要


オランダから東インドへの長い航海は、地球を半周する以上の距離があった。そのため、東インド貿易にたずさわるオランダ商船は非常に頑丈に作られていた。商船は大中小幾つかの種類があったが、その中でもバタヴィア号級は最大、最高級の船だった。

バタヴィア号級 性能要目

全長は49メートル、全高は約61メートル 排水量は1200トン、マストは3本、甲板は4層、大砲は30門、船体は2重構造。乗員乗客は350名余。新造時には600トンの積載能力があるが、年数を経ると海水が染込んできて、積載能力は落ちてゆく。

建造費は約10万ギルダー。当時は300ギルダーで家族を1年養う事が出来た時代である。建造には莫大な費用がかかっていたが、老朽化して解体されるまでには、建造費用の数倍の利益が得られた。東インドまでの航海は、並の船では壊れてしまう程の圧力を受ける。頑丈な作りのバタヴィア号級といえども、5、6回の往復、10年から20年働くのがせいぜいだった。老朽化すると解体され、住宅用の木材にされた。


東インド貿易船に、女性が乗り込む事は少なかった。若い独身女性を、数百人の若い男達と一緒にすれば、問題が起こるのは必死だったからだ。東インド会社は過去の苦い経験から、女性が東インドに渡る事をあまり許可しなかった。許可されるのは、高級商務員の妻と娘ぐらいだった。
バタヴィア号級では、階級に応じて部屋や船内空間を割り当てられた。メインマストから後方は、高級船員、商務員とその使用人だけが出入りを許される特別な空間だった。船長などの地位の高い乗員、及び上流階級に属する乗客には個室が与えられ、彼らにはある程度のプライバシーが保たれていた。次に、職人、大工、医師、料理人などの中級に属する人々は船尾、あるいは船首楼の比較的ゆったりとした寝台で眠る事が出来た。


しかし、下級に属する水夫や兵士には個室など無かった。乗組員の三分の二を占める彼らは、メインマストから前方の空間に押し込まれ、仕事に必要でない限り船尾に近づく事は許されなかった。兵士らは甲板の最下層に居住したが、天井は低く、新鮮な空気や光も入ってこない薄暗い空間だった。水夫は砲甲板に居住しており、兵士よりはややましな居住空間があった。ここには光も空気も入ってくるが、その反面、赤道付近では耐え難いほどの暑さに悩まされ、冬場は凍えるような寒さに苦しめられた。水夫、兵士達は限られた生活空間をめぐって、隣人とよく喧嘩沙汰となり、盗難も横行していた。


長い航海生活中、人々は退屈を紛らわせるのに苦労した。食事が一番の楽しみで、それを待つ間、乗員達は噂話をしたり、サイコロ賭博などのゲームをして過ごした。また、歌を歌ったり、芝居を披露する事もあった。上級の少数の人は読書をして過ごし、女性は毛糸を編んだり、料理を作ったりした。水夫達は腕相撲をして気晴らしをした。だが、退屈と暑さのせいで、揉め事はしょっちゅう起こった。不敬や酩酊といった軽い罪を犯した者には罰金刑が課せられたが、暴力行為や盗難をした者には重い罪が課せられた。


ナイフによる喧嘩では、当事者はマストに縛りあげられた上で、利き手の手のひらにナイフを突き立てられる事になる。これは自力で外すまで放置された。反乱のような重罪を犯した者は即座に殺されるか、容赦のない厳罰が加えられた。反乱者には大抵、鞭打ち200回の刑が加えられる事になる。この刑を受けると背中は真っ赤にただれ、苦しみ抜いて死ぬ者も多く、助かっても傷跡は一生残った。さらに重い罰はマスト落とし刑で、後ろ手をロープで縛られ、足に重りを付けられた上で何回もマストの端から落とされた。この刑を受けると、急な減速を受けて手や腕の骨はバラバラに砕けた。他にも船底くぐり刑と言うのがあり、これはロープで括り付けられた上で、船の舷側から舷側へと潜らされた。これは溺死する者が絶えなかった。


バタヴィア号級は当時としては最大級の船だったが、便所はたった4つしかなかった。2つは船尾にあって上級の船員や乗客が用いた。残る2つは船首にあって、下級に属する、大部分の乗員がそれを用いた。船首の便所は、雨ざらしの甲板に穴を開けただけのものだった。他人からは丸見えで、乗員はそれに長い列をなして順番を待った。そして、用を足した後、水中まで垂らしてあるロープを引き上げ、それで尻を拭いた。そのロープは勿論、汚物まみれである。悪天候の日には船内で用を足し、それらはビルジ(船底の湾曲部)に溜められた。ビルジの汚水は恐ろしい臭いを放ち、航海中、下甲板から悪臭が消える事はなかった。


航海中は、誰もが日焼けに苦しんだ。また、上級、下級を問わず、全乗員がシラミにたかられた。シラミによって、発疹チフスが発生する事もあった。東インド貿易船の乗員の内、4分の1余りが発疹チフスによって命を落としたと云う。船内にいる生物はシラミだけでなく、ゴキブリやネズミなどもはびこっていた。新造船であっても、これらの生物はいつの間にか潜り込んで、すぐに繁殖した。


長い単調な航海生活を続けていると、中には精神のバランスを崩す者も現れる。うつ病に罹る者は珍しくなかったし、海中に身を投じる者も中にはいた。その一方で、乗員達は楽しいひと時を過ごす事もあった。穏やかな日には水泳をしたり、イルカの戯れを見たり、夜半には話し上手な人の語りに耳を傾けたりして心を慰めた。赤道を越えた日や船長の誕生日など、特別な日を迎えた時は盛大に祝って、大騒ぎする事もあった。人々にとって、1日3度の食事が何よりも待ち遠しい時間であった。しかし、食事も階級によって差があり、上級船員は下級船員よりも上等なものを食べていた。


航海が長引くと食物や水は徐々に腐ってゆき、そこに虫が湧いていった。赤道付近では、熱で樽が破裂する事もあり、これ幸いと無数の鼠が群がった。保存食のビスケットや堅パンも、大量のゾウムシが発生して、不気味にうごめいていた。乗員達は新鮮な食物を手に入れるため、鶏(にわとり)、ヤギ、豚を主甲板の小屋で飼ったり、野菜を育てたり、魚を釣ったりして工夫した。船内生活では、真水は何よりの貴重品である。しかし、日が経つにつれ、水には藻が繁殖してきて緑色を帯び、小さな虫が繁殖した。乗員達は、ぬるぬるとして異臭を放つ水を、こしてから飲んだ。貴重品な水で体を洗う事など、もちろん出来ない。この水も階級によって分配される量に差が有り、上級の人々の割当量は2倍だった。下級の乗員達は、常に喉の渇きを訴えていた。


オランダから東インドまでの航海には、平均して8ヶ月かかった。条件に恵まれた幸運な船は4ヶ月半ほどで目的地に着いたが、風が凪いで数ヶ月間、まったく動けなくなり、再びオランダに帰り着くのに2年かかった船もあった。東インド会社は、如何なる事情があろうとも、航海の遅延には激しく怒った。17世紀半ば、オランダはアフリカ南端の喜望峰に要塞を築き、ここを船の寄港地とした。往復船はオランダを出て、平均5ヶ月かけて喜望峰に到着すると、ここに3週間ほど滞在して休息を取った。その間、食料物資を補給し、病人を治療するなどした。東インド会社はいち早く目的地に到着した船には報奨金を出したが、大抵の船は喜望峰で快適に過ごす数週間の方を選んだ。喜望峰は水夫達にとって憩いの場であり、ここを大海の酒場と呼んで親しんだ。


船が出港して3~4ヶ月経つと、船乗りが最も恐れる壊血病が発生し始める。この病気はビタミンCの不足によって起こるのであるが、17世紀には、まだその原因は知られていなかった。発症すると、患者の足は腫れあがって痛み、息が臭くなり、歯茎から出血し始める。やがて口が酷く腫れ上がり、壊疽を起こして歯が抜け落ちてゆく。発症してから1ヶ月経つと、患者は酷く苦しみながら死んでいった。東インド貿易船では、喜望峰に着くまでの間、1隻に付き、大抵20人から30人が死亡した。犠牲者がもっと増える場合もあり、船の運航に支障が出る場合もあった。


東インド貿易船はこうした様々な苦労を乗り越えて、東インドに到着する。そして、大量の香辛料を積み込んだ後、長い長い往路を戻ってゆくのだった。




batavia.jpg










↑バタヴィア号級

このバタヴィア号級は、難破の結果、150人以上が惨殺される事件が起こった事で有名です。




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