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オランダ東インド会社

2009.11.07 - 歴史秘話 其の一
ヨーロッパに住む人々は、古代から肉や魚をよく食していた。その肉や魚を長期間、保存したり、味を引き立たせるには香辛料が不可欠である。しかし、ヨーロッパには香辛料を産出する地域はなく、遠い異国から取り寄せねばならなかった。それは遥か彼方、インドからニューギニア付近にかけての東南アジアにあった。そこから香辛料をヨーロッパに持ち込もうとすれば、アジアやアラビアの陸路を経由せねばならず、その間に価格は元値の百倍に跳ね上がる。それでいて、手に入る量は僅かであった。その為、ヨーロッパ人はより安く、より多くの香辛料を求めて海へと乗り出していく。そして、15世紀後半にポルトガル船がアフリカを回ってインド洋に進出すると、海路を通じて産地から直接、香辛料を仕入れる事が可能になった。


東インドからヨーロッパにまで香辛料を運ぶ航海は非常な困難を伴うが、貿易から得られる冨はその労苦を補って余りある物だった。それから、しばらくはポルトガルとスペインが香料貿易を独占していたが、16世紀後半からは、オランダとイギリスも東インドに進出するようになる。新興勢力のオランダ商人には勢いがあり、多数の商社を結成して船団を東インドに送り出していった。これらの商社は、お互いに競合しながら膨大な利潤を上げていたが、やがて、競争の激化によって貿易の利益率は下がっていった。こうした事態を放置しておけば、共倒れになる恐れが高い。1602年3月20日、そこで、各商社は話し合って、一つの巨大会社を設立する事にした。これが、世界最強の会社とも謳われた、連合東インド会社(略称VOC)の誕生である。


新会社の経営は17人の重役の手に委ねられ、出だしは順風満帆であった。最初の連合船団は巨額の富を会社にもたらしたし、ポルトガルと戦って、重要な香料諸島を奪取せしめたからである。更に東インド会社は、イギリスを東インドから追い出して、香料貿易を独占する事にも成功した。こうして、東インド会社は世界最高の冨と権力を誇る、並び立つ者のいない大企業となった。貿易でもたらされる冨は、いったん東インド会社の金庫に収められた後、出資者に分配されていった。株主には10~20%の配当が毎年、支払われ、時には50%を越える時もあった。出資者の1人、ヤコブという商人は50万ギルダーの財産を築き上げた。


会社の出資者達の懐は、大いに潤っていた。しかし、実際に命懸けで長い航海にたずさわる職員や水夫には、僅かばかりの賃金が支給されるに過ぎなかった。昇級はあったが、年金などは無かった。だが、オランダ本国で働こうにも、安定した仕事にありつくことは難しく、僅かであっても賃金が支払われ、食事、寝床だけは保障されている東インド会社で働く事は、貧しい者にとっては励みとなっていた。ちなみに当時の月給は、上級商務員は80ギルダーで交易の責任者となれば160ギルダー、商務員の中で一番位の低い商務員補佐で24ギルダー、兵卒は9ギルダー、軍曹で18ギルダーだった。当時のオランダでは300ギルダーで家族を1年養う事ができた。


会社で働いていれば、大きな利益を得られる機会は確かに存在した。だが、大金を得る前に早死にする者の方がほとんどだった。東インドに到着したばかりの職員の余命は3年であり、現地に定住して長生きする者はごく僅かであった。熱帯の蒸し暑い気候の下、大勢の者が健康を損ない、マラリア・赤痢を始めとする疫病、熱病に罹って死んでいった。また、会社から厳罰を下されて死ぬ者や、海難事故で命を落とす者や、酒を大量に浴びて命を落とす者も大勢いた。東インド会社の職員となって、無事帰国できる者は大体、3分の1だったと云う。


こういった事情で、東インド会社に応募する者の大抵は窮乏し、切羽詰まって、命の危険を省みずに一山当てようとする者ばかりだった。商務員の中には育ちの良い者もいたが、多くは財産を失った者であった。商務員が仕事で大きな功績を挙げても賞与などは与えられず、働きに見合った賃金が支払われる事はなかった。潤うのは安全な本国にいる経営者達だけであり、正直者でいては馬鹿を見るばかりだった。そのため、商務員達はことごとく不正行為に手を出して、帳簿の改ざん、禁止されていた私的貿易などが日常茶飯事のように行われていた。この様な状況がまかり通っていたにも関わらず、実利を重んじる東インド会社は私貿易の横行を黙認し、まれにしか取締りを行わなかった。



東インド会社もその職員も欲丸出しで皆が金儲けに執心していたが、その下で働く水夫や兵士の多くも柄の悪い荒くれ者揃いだった。彼らは悪態をつき、大騒ぎし、娼婦を買い、殺人を犯すので、上官は厳罰をもって彼らを服従させねばならなかった。粗暴な部下を率いる上官には、何よりも腕っ節の強さを求められた。しかし、こうであっても、船を動かすには相互の信頼と協力が不可欠である。東インド会社の水夫達は度々、問題行動は起こしても、航海を通じて絆を深め、それなりにはまとまっていた。当時の一般認識では、東インド会社で働く人間は社会の最底辺にいる者と見なされていたが、こういった命知らずの人間でなければ務まらない仕事でもあった。


東インドに滞在しているヨーロッパ人女性は、非常に少なかった。そのため、新たにやってくるヨーロッパ女性は航海中から待ち望まれており、美人であろうと不美人であろうと求婚者には事欠けなかった。そのような事情で、東インドで働いているオランダ人男性の大半は現地人女性を妻や、愛人としていた。しかし、オランダ政府は、現地人妻や混血児を本国に連れ帰る事を禁じていたので、オランダ人男性が現地家族と暮らしていこうとすれば、東インドに定住するしかなかった。これには慢性的な人手不足に悩む、東インド会社の思惑もあった。だが、大抵のオランダ人男性は一山当てると、現地家族を捨てて本国に帰っていったようだ。


東インド会社は、最盛期には約200隻の武装商船と1万人の兵士を有しており、東南アジア全域から、日本を含む東アジアにも影響力を及ぼしていた。オランダで最大の収益を誇り、かつ強大な会社であると自他共に認める存在であった。この東インド会社の成功は、オランダに大いなる冨と繁栄を呼び込む。しかし、18世紀に入ると、香料の価値の低下、職員の私利追求、植民地拡大戦争による出費などが経営に重く圧し掛かって来るようになる。そして、1799年、さしもの大会社も破産状態となって解散となり、東インドの経営と支配はオランダ政府の手に委ねられた。オランダ東インド会社は、冨に彩られた華やかな表情の裏で、強欲な醜い一面を持つ組織でもあった。だが、歴史に特筆される大きな存在であった事は間違いない。




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