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近江の地、天下を制する地

2009.05.02 - 戦国史 其の二
戦国時代、天下統一を目指す者にとって、近江国(滋賀県)は最重要地であったと思われる。


天正10年(1582年)6月2日、明智光秀は本能寺の変を起こした後、真っ先に近江の攻略に着手する。当時、近江にはまとまった軍勢はおらず、軍事的空白地となっていたのもあるが、なによりこの地の持つ重要性を分かっていたからだろう。


近江の地が持つ重要性とは何か・・・

太閤検地による石高と石高1万石につき250人の兵力を得られたして、近江の地を挙げてみると。

近江 77万5千石  兵力19,375人

戦国時代を代表する戦国武将、武田信玄の主な領国、甲斐、信濃、駿河を挙げてみると。

甲斐 22万7千石  兵力5,675人
信濃 40万8千石  兵力10,200人
駿河 15万石    兵力3,750人
合計 78万5千石  兵力19,625人

次に上杉謙信の主な領国、越後、越中を挙げてみると 。

越後 39万石  兵力9,750人
越中 38万石  兵力9,500人
合計 77万石  兵力19,250人


この太閤検地で弾き出された石高は、完全には信用出来ないが、おおよその国力の目安にはなる。そして、これを参考にすれば、近江1国を領有するだけで武田、上杉といった有力戦国大名に匹敵する動員力を得られる事になる。近江国が持つ強みは、それだけではない。琵琶湖の水運があって、日本海と瀬戸内海の産物が往来しており、物流が盛んで、畿内有数の商業先進地であった。また、鉄砲の産地、国友村を擁しているので、当時の最新兵器も入手可能であった。


全国地図を見てもらえば分かるが、近江国こと滋賀県は、日本本州のほぼ中心に位置している。戦国時代、ここは中山道、北国街道、東海道と言った重要街道が走る交通の要衝であった。現在でも滋賀県には、名神高速や北陸自動車道といった重要道路や、東海道新幹線が走っており、もし、この地が閉ざされたなら、国内の移動すらままならなくなる。また、戦国時代有数の大都市にして政治都市でもある、京都に隣接するという点も見逃せない。織田信長がこの地に安土城を築いたのも、こういった地理的重要性と琵琶湖の水運を考慮してのものだろう。安土城から船を出して坂本に入り、そこから比叡山を馬で超えれば、その日の内に京に入る事も出来た。


そういった重要な地であったからこそ、天下人となった者は、近江の国を力量があり、信頼の置ける武将に任せている。豊臣秀吉は石田三成を、徳川家康は井伊直政をこの地に配している。


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