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三木合戦 其の一

2009.06.06 - 戦国史 其の二
兵庫県三木市には、宅地に埋もれ、見る影もない城跡、三木城がある。しかし、かつての三木城は、御着城、英賀城と並んで播磨の三大城郭に数えられるほどの大城郭であった。そして、この三木城は、播磨の戦国武将、別所長治と織田家の部将、羽柴秀吉との間で激しい攻防戦が繰り広げられた城でもある。


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↑三木城遠景


別所氏は播磨守護職であった赤松氏の庶流で、別所則治の時代に勢力を大きく伸ばし、東播磨八群の守護と呼ばれるまでになった。明応年間(1492年~1501年)、則治は、播磨国美嚢群三木の地に三木城を築き上げ、以降、別所氏は、この三木城を本拠として勢力を伸ばしていった。


元亀元年(1570年)、別所家第四代当主、安治が39歳の若さで死去すると、その嫡男、長治が12歳で家督を相続する。しかし、長治はまだ若年であったので、安治の次弟、吉親と三弟の重棟が執政となって家中を主導した。ところが、この2人は兄弟でありながら仲が悪く、常に権勢を競っていたと云う。天正3年(1575年)10月20日、長治は上洛して、織田信長に服属した。そして、天正5年(1577年)10月、織田家の部将、羽柴秀吉が中国攻めのため播磨国に入ると、これに協力する事を約した。


しかし、別所家中ではこのまま織田家に協力するか、はたまた毛利家に付くかで揺れ動いていた。別所家を主導する長治の2人の叔父の内、吉親は親毛利派であったのに対し、重棟は親織田派であった。重棟はいち早く秀吉に取り入って、その信頼を受けていたが、吉親は織田家や秀吉に対する不信が拭えなかった。おりしも、足利義昭から決起を促す御内書が、別所氏に届けられており、吉親は毛利家と結んで、織田家とは手切れするよう長治に強く促した。


当時、織田家は播磨の隣国、丹波に攻め入って波多野氏とも交戦していた。この波多野氏と別所氏は、婚戚関係にあった。長治の妻は丹波八上城の波多野秀治の妹であるとされており、長治の弟、治定も丹波氷上城の波多野宗長の娘を娶っていたとされている。両家には深い繋がりがあり、この事も織田家離反の決断を促す一因となった。


天正6年(1578年)3月、長治は、織田家に反旗を翻す事を決した。別所氏は、東播磨20万石余の所領を有する大勢力であり、その影響力は大きかった。これを受けて東播磨の諸領主、淡河城(淡河定範)・神吉城(神吉頼定)・高砂城(梶原景行)・野口城(長井政重)・魚住城(魚住頼治)らも呼応し、別所氏を盟主として仰いだ。


別所氏は、丹波の波多野氏や播磨各地の支城との連携を密にして、籠城戦を取る事を決した。別所氏の作戦としては、織田軍を播磨に拘束した上で毛利軍の来援を請い、その来着をもって一挙に織田軍を粉砕せんとの考えだった。三木城には別所一族の郎党に加えて、西播磨の門徒や付近の農民達も籠城に加わった。三木城には7千5百人余が立て篭もったと云われているが、これは過大だと思われる。この人数は、各地の支城の人員も合わせたものだろう。


秀吉は別所氏を始めとする播磨勢を率いて、今まさに中国地方に攻め入らんとしていたところであった。ところが、その頼りとしていた別所氏離反の報を聞いて、さすがの秀吉も愕然となる。秀吉は長治の叔父、別所重棟を呼び出して問い質したものの、重棟自体も驚くばかりであったと云う。別所氏が離反を決めた謀議では、重棟は蚊帳の外に置かれていた。秀吉の意を汲んで重棟は再三に渡って長治に書を送り、必死に翻意を促したが効果はなかった。そこで、重棟は袂を分かって、織田側に身を寄せた。これ以降、重棟は自らの身の潔白と忠誠を証明するため、自身が負傷するほど、同族に向かって激しく戦いを挑む事となる。こうして、播磨勢の過半が毛利方に変身し、秀吉は敵中に孤立する形となった。


天正6年(1578年)3月29日、秀吉は三木城に対し、最初の攻撃を加えたと云われている。しかし、天険の要害である三木城はびくともせず、逆に手痛い反撃を受けて秀吉軍は撃退されたらしい。三木城は、丘陵の上に本丸、二の丸、西の丸、新城、東の丸、三の丸があった。更に今回の挙兵の際、城を強化すべく、新たに西南にある高台、鷹の尾、宮ノ上に砦が築かれた。三木城の北と西には美嚢川(みのうがわ)が、東には志染川が流れており、天然の堀となっていた。このような要害の地に大兵力が篭っていてる現状では、大軍をもってしても早期攻略は極めて難しい。その上、この時の秀吉が率いている兵力は8千人程度でしかなく、城を包囲する事さえ、ままならなかった。


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↑三木城天守台跡


そこで、秀吉は長期戦を覚悟し、三木城への兵糧輸送と兵員提供を担っている支城を、一つ一つ落としていく地道な作戦を取る事にした。4月3日、秀吉軍はまず、三木城の近隣にある野口城へと向かった。秀吉軍は野口城を力攻めにしたが、城主長井政重と4百人余の城兵の抵抗は激しいものがあった。しかし、緒戦で敗退する訳にはいかない秀吉は、休まず3日間猛攻を加え続け、ようやく政重を降伏に追い込んだ。ひとまず序盤の山場を越えた秀吉であったが、またもや憂慮すべき事態が起こる。


秀吉は三木城攻めに取り掛かったばかりであったのに、今度は西に大敵が現れたのである。4月下旬、毛利、宇喜多の連合軍3万人余が、備前、播磨、美作の国境沿いに位置する上月城を囲んだのである。これこそ、別所氏が待ち望んでいたものであった。上月城には、尼子勝久、山中幸盛(鹿助)を始めとする尼子の残党7、8百人余が立て篭もっていた。尼子の残党は御家再興を願って、織田家の指揮下に入っており、秀吉の中国攻めにも協力していた。上月城からの急報を受け、秀吉は三木城に抑えの兵を残すと、救援に向かった。


5月4日、秀吉からの増援要請を受けて、荒木村重の軍も上月城に到着した。しかし、両将の兵を合わせても1万人余でしかなく、これに対して毛利、宇喜多軍は3万人もの兵力で、しかも要地を占めて城を取り囲んでいた。劣勢の秀吉、村重軍は近づく事も出来ず、城と連絡を取り合う事すら困難であった。上月城が困窮する様子は秀吉にも伝わってくるが、手の打ちようが無く、ただただ日数だけが過ぎていった。6月16日、万策尽きた秀吉は上洛し、信長の指図を仰いだ。


秀吉は、信長の直接出馬をもって、上月城を救ってもらいたかった様だが、信長の下した決断は非情かつ、現実的なものだった。秀吉に対し、上月城は見放し、三木城の攻略に専念するよう命じたのである。6月26日、現地に舞い戻った秀吉は、後ろ髪を引かれる思いで姫路、書写山へと引き揚げていった。味方に見捨てられた上月城が落ちたのは、7月3日の事であった。籠城以来、70日余が過ぎていた。この日、尼子勝久は自刃して果て、山中幸盛も後に殺害された。かつて山陰に大勢力を築いた尼子氏は、ここに滅亡した。


6月27日、上月城から秀吉が退き始めた頃、織田信忠率いる3~4万人余の大軍が播磨に来援した。そして、織田軍は三木城の支城の一つ、2千人余の将兵が守る神吉城に対する攻撃を開始する。織田軍は大軍にものを言わせて強襲を加えたが、城方の抵抗は激しく、おびただしい戦死者を出した。この攻防戦の最中、信長の三男、信孝も負傷している。だが、織田軍は攻撃の手を緩める事無く、井楼(せいろう)、築山(つきやま)を築き、そこから大鉄砲を城内に撃ち込んでは、塀(へい)、櫓を突き崩していった。織田軍が本丸に迫ってくると、城方は降伏を申し出て来たが、信長はこれを撥ねつけさせた。


7月20日、激しい攻防戦の末、城主、神吉頼定は戦死し、神吉城は落城した。他の城への見せしめとするため、城内の生存者のほとんどが殺害された。織田軍は引き続き志方城へと押し寄せたが、城方は神吉城の凄惨な最後を見て萎縮しており、戦わずして降伏した。恐怖を与えて早期降伏に追い込む、これこそ信長の狙いであった。そして、こちらは人質供出と、城の明け渡しだけで許された。この神吉、志方城の攻略と前後して、織田軍は加古川河口にある高砂城へも兵を差し向けている。こちらの攻防は定かではないが、城主の梶原景秀は後に秀吉に服属しているので、降伏したようだ。次に織田軍は、本元である三木城を囲んだ。しかし、信長の敵は、毛利や別所だけでは無い。数万もの大軍がいつまでも播磨だけに留まっている訳にはいかず、幾つかの付城を築くと本国へと引き揚げていった。三木城の主だった支城は落としたので、後は秀吉の仕事とされたのである。


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↑三木城からの眺め
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