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二条城

二条城は京都府中京区二条通にある、平城である。


慶長6年(1601年)5月、関ヶ原の戦いを経て天下の権を握った徳川家康は、重要な政治都市である京都に新城を築く事を決定する。同年12月、西国諸大名に費用及び、労務負担が割り当てられて大々的な天下普請が始まり、慶長8年(1603年)3月に落成する。同年2月12日に征夷大将軍に就任していた家康は、3月27日に二条城で将軍就任の祝賀の儀を執り行い、ここに徳川幕府の開府を見る。慶長11年(1611年)、家康と豊臣秀頼は、二条城の二の丸御殿にて初対面する。それから3年後の慶長14年(1614年)、大坂の陣が始まると、家康はこの二条城に本営を置いて、翌元和元年(1615年)に豊臣家を滅ぼした。



寛永3年(1626年)、徳川二代将軍、秀忠の時代、二条城は大改築されて、新たに本丸が築かれ、そこに廃城となった伏見城の天守閣が移築された。しかし、寛延3年(1750年)、落雷を受けて天守閣は焼失し、天明8年(1788年)にも京都の大火を受けて本丸御殿が焼失してしまう。この後、天守閣と本丸御殿が再建される事は無かった。時は流れて、慶応3年(1867年)、徳川十五代将軍、慶喜の時代、さしもの徳川幕府も力を失い、慶喜は二条城にて大政奉還、すなわち、政権を朝廷に返還したのだった。二条城は徳川幕府成立と、その終焉を見届けた城となった。



二条城
二条城 posted by (C)重家

↑東南隅櫓



二条城
二条城 posted by (C)重家

↑二の丸御殿


慶長8年(1603年)完成の御殿で、国宝に認定されています。二の丸御殿の廊下はうぐいす張りとして有名で、床板を踏みしめるとキュッキュッという音が鳴り響きます。


二条城
二条城 posted by (C)重家

↑二の丸御殿の装飾


二の丸御殿には各所に見事な装飾が施されており、建物全てが芸術品と言って良いでしょう。その絢爛豪華さから、徳川幕府設立時の勢いを感じさせられます。御殿内部は撮影不可ですが、ここにも見事な襖絵が飾られています。



二条城
二条城 posted by (C)重家

↑本丸櫓門



二条城
二条城 posted by (C)重家

↑本丸庭園



二条城
二条城 posted by (C)重家

↑本丸御殿


かつて、ここには二の丸御殿に匹敵する規模の本丸御殿があったのですが、天明8年(1788年)に京都の大火を受けて焼失してしまいました。現在ある建物は、弘化4年(1847年)に京都御所で建てられた桂宮御殿を、明治27年(1894年)に二条城に移築したものです。重要文化財に指定されており、内部は非公開となっています。



二条城
二条城 posted by (C)重家

↑天守台跡



二条城
二条城 posted by (C)重家

↑天守台からの眺め



二条城
二条城 posted by (C)重家




二条城
二条城 posted by (C)重家




二条城は将軍が滞在する城としては規模が小さいですが、ここでは徳川家康と豊臣秀頼の会見、徳川幕府成立時の祝賀、幕末の大政奉還など、大きな歴史的出来事が起こっています。
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