このブログでは主に戦国時代・第二次大戦に関しての記事を書き綴っています。
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出石城は兵庫県豊岡市出石町にある平山城です。
↑標高321mの有子山とその中腹にある出石城
有子山には、但馬の戦国武将、山名祐豊が築いた有子山城が築かれています。有子山城は天正2年(1574年)に築かれ、山名氏の本拠地となりますが、天正8年(1580年)、織田家の部将、羽柴秀長によって攻め落とされます。その後、秀長の家臣、木下昌利、青木甚兵衛が城代を勤め、次に前野長康、小出吉政が但馬の大名として有子山城に入ります。慶長9年(1604年)、小出吉政の子、吉英の時に有子山城は廃され、山麓に出石城が築かれます。この時に城下町も整備されました。元禄9年(1696年)、小出氏が断絶すると、代わって松平氏が入封し、最終的には仙石氏が城主となって明治の世を迎えます。
↑出石城の石垣
苔むしていて良い味が出ています。
↑出石のシンボルとも言える辰鼓楼。
辰鼓楼とは、太鼓で時を告げる鼓楼ですが、現在でも時計台となって現役で働いています。
出石と言えば蕎麦が非常に有名です。せっかく来たので名物の皿蕎麦を頼みました。ここの皿蕎麦は一人前で700~900円位ですが、はっきり言ってそれだけでは物足りません。普通の人なら一皿130円位の皿蕎麦を10皿は追加して平らげないと腹は満たされないでしょう。
なので、ここで皿蕎麦を頼んだ時は、
よぉーく(^◇^)(^◇^)(^◇^)考えよぉー♪
お金は(^◇^)(^◇^)(^◇^)大事だよぉー♪
↑出石城から見た、出石の町並み。
出石は但馬の小京都とも呼ばれた、山々に囲まれた小さな城下町です。
見えにくいですが、右の方にちょこっと辰鼓楼も写っています。元治元年(1864年)7月には、後に明治の高官となる桂小五郎(木戸孝允)が、禁門の変の後、密かに出石を訪れ、幕府の目から逃れるため、しばらく潜伏していた時期もありました。