今山の合戦後、龍造寺隆信は近隣の平定を進め、肥前に確固たる基盤を築き上げる。そして、天正6年(1578年)11月12日、大友宗麟が耳川の戦いに敗れるや否や、隆信は間髪いれずに大友領へと攻め込み、その勢力を大きく伸ばした。
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\ \::_::_:: / / ∥| ワシに続けクマー!!!
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おーーーーー!!!殿に続けー!
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|成松| |百武| |江里| |円城|ゝ |木下|
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龍造寺四天王プラス1
九州一の勢威を誇っていた大友家が衰退すると、やがて九州は佐賀の龍造寺家と、薩摩の島津家との二強対決となる。島原半島の領主、有馬晴信は龍造寺家に服していたが、島津家と通じて反旗を揚げた。島津義久はこれを好機に龍造寺家の間近に橋頭堡を築かんとして、島原半島に弟、島津家久を送り込む。隆信もこれを好機に有馬家を討ち滅ぼし、島津家に痛打を与えるべく、自ら大軍を率いて島原半島に乗り込んで行く。これが、世に云う「沖田畷の戦い」である。
ちょっとシャケを食べ過ぎたクマー
ついでに生意気な島津と有馬もたいらげてやるクマー プマプマ~♪
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/ノ ヽ
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| ( _●_) ミ ミ
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\ | :/ タップン タップン
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ポカーーン ・ ・ ・妖怪ぬりかべ?
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( ゚д゚) ・・・( ゚д゚) ・・・
龍造寺四天王プラス1
殿ッ!その体型では戦になりませぬぞ!!!
m9っ`Д')
ビシッ! m9っ`Д')
ビシッ! m9っ`Д')
ビシッ!
m9っ`Д')
ビシッ! m9っ`Д')
ビシッ!
∩_∩ ;
; | ノ|||||||ヽ ` 皆さん手厳しいクマね・・・
, / ● ●| 必死に減量してきたクマ・・・
;, |\( _●)/ ミ さあ、ワシに付いて来るクマ・・・
; 彡、| |∪| |、\ ,
./ ヽ/> ) :
(_ニニ>/ (/ ;
; | | ; しおしお~~
' \ヽ/ / :
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; し' '`| | ;
はあ~・・・
('A`)・・・('A`)・・・('A`)・・・
('A`)・・・('A`)・・・
大丈夫かな、今回の戦・・・
( ´д)ヒソ(´д`)ヒソ(д` )( ´д)ヒソ(´д`)ヒソ
天正12年(1584年)3月24日払暁、隆信の采配の下、龍造寺軍は一斉に雄叫びを上げて、島津方へと攻め込んでゆく。隆信自身は中央の軍を指揮して、敵陣に強攻をかけた。
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ノ ヽ /⌒)
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/ / ( _●_) ミ/ 一番槍にはシャケの
.( ヽ |∪| / 切り身を与えるクマー!
\ ヽノ / かかれクマーッ!!!
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) )
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うおおーーー!褒美は微妙だが、突撃ぃーー!
ヽ( `皿´ )ノヽ( `皿´ )ノヽ( `皿´ )ノ
ヽ( `皿´ )ノヽ( `皿´ )ノ
龍造寺軍は2万5千余の兵と3千余の鉄砲を有し、これに対する島津・有馬連合軍は7~8千余の兵力でしかなく装備面でも劣っていた。しかし、島津軍は、狭隘な地形に築いた大木戸と塁壁を楯として奮戦する。龍造寺軍は緒戦は優勢であったものの、島津軍の頑強な抵抗を受けて苦戦する。そこで隆信は兵を叱咤すべく、自ら最前線に乗り込んでいった。
∧ ∧ ←鍋島直茂
(・∀ ・) <殿っ薙ぎ払えーー!
∩( っ¶っ¶∩
| ノ  ̄ ̄ ̄ ヽ
ズシーン / ●:::::::::::● | ンゴォォォォォー!!!
| :::::::( _●_):::: ミ
彡、::::::::: \\\:::::、`\
( . .:.::;;;._,,'/ __::ヽノ\\\:::/´> )
).:.:;;.;;;.:.)(___)::::::::::/\\\ (_/ ズシーン
ノ. ..:;;.;.ノ | ::::::::::::::::::::/ \\\
( ,.‐''~ ワー | ::::/\:::::\ . .\\\丿ヽノヾ/丶
(..::;ノ )ノ__. _ | ::/ _ )::::: _)ゴー..ヽ\\_ノヽノヽノヽ )
)ノ__ '|ロロ|/ \∪.___.|ロロ|/ \/ヽ ヽ\ )ノ
_|田|_|ロロ|_| ロロ|_|田|.|ロロ|_| ロロ|_ (.:;;.;;丶 丿ソ
おおー!!!さすが殿でござる!
ヽ(`Д´)ノヽ(`Д´)ノヽ(`Д´)ノヽ(`Д´)ノヽ(`Д´)ノ
だが、隆信は前進し過ぎて、やがて乱戦に巻き込まれてしまう。そして・・・
何だあれ?シャケかな
∩___∩ |
| ノ\ ヽ |
/ ●゛ ● | |
| ∪ ( _●_) ミ j
彡、 |∪| | J釣り野伏せ
/ ∩ノ ⊃ ヽ
( \ / _ノ | |
.\ “ /__| |
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はて、何でござろうな?
(・д・)ジーッ(・д・)ジーッ(・д・)ジーッ
(・д・)ジーッ(・д・)ジーッ
とりあえず食べてみるクマ
ムシャ |
ムシャ |
∩___∩ | ぷらぷら
| ノ ヽ (( |
/ ● ● | J ))
. (( | ( _●_) ミ ・
彡、 |∪}=) ,ノ ∴a
| ヽ \ |
| ヽ__ノ
殿っ!戦場で拾い食いはよくありませぬぞ!
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(;゚□゚) (;゚□゚)
\ ∩___∩
. \ | ノ ヽ
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\| ( _●_) ミ つっ、釣られたクマーーーっ!!
彡、 |∪| ,/..
ヽ ヽ丿/ /⌒|
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\___)___)(´;;⌒ (´⌒;; ズザザザ
ああっ!殿ーーーっ!!!だから言わんこっちゃない!
Σ(゚Д゚;)!Σ(゚Д゚;)!Σ(゚Д゚;)!
Σ(゚Д゚;)!Σ(゚Д゚;)!
隆信が馬上で叱咤激励していた時、忍び寄ってきた島津兵によって槍で突き倒され、その首級を奪われてしまう。隆信戦死の報が伝わると、龍造寺軍は恐慌状態に陥った。九州の太守にならんとした隆信の大望は、こうしてあっけなく潰えてしまったのである。
殿ぉ!!!我らもお供仕るー!
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龍造寺四天王の武将達は主君の最後を聞くと、仇を討たんと戦場に飛び出していったが、隆信に殉ずるように皆、討死を遂げてしまった。(木下は生死不明)この後、隆信が一代で築き上げた勢力圏は崩壊し、肥前の一大名に転落してしまう。隆信の跡を継いだ政家には、父ほどの器量はなく、家中の采配は鍋島直茂に委ねられた。その過程で主従の上下は逆転し、やがて佐賀の地は鍋島家が支配するところとなった。
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↑上記のような事を書いておきながら、なんですが・・・九州三強と呼ばれた大勢力、島津家・大友家・龍造寺家の中で、個人的には龍造寺家が一番好きですね。龍造寺隆信の世間の評判はあまり良くありませんが、一国人から一代で五州二島の太守と呼ばれるほどの勢力を築き上げた手腕は、一代の傑物であったと云わざるを得ないでしょう。隆信は豪胆な武辺一辺倒の武将に思われがちですが、実際には謀略と軍略に長けており、宇喜多直家に近い武将であったのではないでしょうか。
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