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ライヒスタークに赤旗を立てよ!独ソ戦最終幕

1945年4月末第二次世界大戦界大戦末期、ドイツの首都ベルリンは、ソ連の大軍によって包囲され、風前の灯火となっていた。この様な絶望的状況にも関わらず、ヒトラーは尚も戦局挽回を夢見ていた。そして、あくまで首都を守り抜かんとして、ベルリン中の老若男女を動員し、ろくな武器も与えないまま、市街戦に投入していった。即席の動員兵が守る拠点は、圧倒的物量を誇るソ連軍によって次々に押しつぶされていったが、それでも多数のソ連兵を道連れにしていった。崩れ落ちた市街での戦いは、基本的に守備側が有利であり、ソ連軍の進撃は多大な犠牲を伴うものだった。しかし、人的犠牲を顧みないソ連軍は遮二無二に突進して、着実に包囲の輪を狭めていった。



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↑戦車の砲塔を用いたベルリンの防衛陣地


1945年4月30日、ついにソ連軍は、ヒトラーが立て篭もる総統官邸にまで達し、あと1日持ちこたえられるか、どうかという状況となった。ここに至ってヒトラーも最後を悟り、総統官邸の薄暗い地下室にて、結婚したばかりの妻エヴァ・ブラウンと共に自殺を遂げた。だが、ヒトラーの死で、戦いが終わった訳ではない。ソ連の勝利を決定付けるには、ヒトラーの死だけでは不十分で、ドイツという国家を象徴する建造物にソ連の赤旗を掲げる必要があった。それが、ライヒスターク、すなわちドイツの国会議事堂である。
ヒトラーの死の少し前、ソ連軍は総統官邸攻略と並行して、ライヒスタークの攻略も目指していた。ライヒスタークを始めとする官庁街の北側には、シュプレー川が流れており、それが堀の役割を果たしていた。だが、そこには歴史的な橋、モルトケ橋も架かっており、これを奪取すれば官庁街に突入可能だった。



勿論、ドイツ軍もこの橋の重要性を理解しており、爆破の備えをした上、橋の両岸に障害物を築き、南岸のビル群に陣取って厳重な火線下に置いていた。4月29日早々の深夜、ソ連軍は準備射撃をせず、静かに強襲を行ったが、ドイツ軍に察知され、熾烈な銃砲火を浴びせられて撃退された。次に戦車を先頭に突破を図ったものの、これも対戦車兵器の攻撃を受けて撃退された。ソ連軍は死傷者を積み重ねながらも、波状攻撃を繰り返し、人海戦術によってドイツ側の人員、弾薬を消耗させていった。ドイツ軍は守り切れないと見てモルトケ橋を爆破したものの、人が渡れる程度には残っていた。ソ連軍は重砲で対岸のドイツ軍を制しつつ、夜通し攻撃を続行し、夜明けを迎える頃、ようやくモルトケ橋を突破する事に成功した。続いて、内務省ビルを占拠し、対岸に橋頭堡を築いて、ライヒスタークを遠望できる地点に達した。モルトケ橋からライヒスタークまでは、距離にして僅か600m、目と鼻の先である。だが、ソ連軍は、この距離を死者無しには突破出来ないと悟っていた。ライヒスタークを初めとする官庁街には、まだ1万人余のドイツ軍が厳重に守りを固めており、ここからが戦闘の本番であった。



まず、ライヒスターク前面にあるケーニヒスプラッツ(前広場)には、川から水を引いた水壕に加えて、多数の塹壕と砲座を組み合わせた堅固な陣地が築かれていた。更にライヒスタークを始めとする周辺のビル群には、隙間という隙間に銃眼を設けたレンガが積み重ねられており、砲撃にも耐えうる事ができた。つまり、ライヒスタークと周辺のビル群は、それぞれ堅固な要塞と化して、相互支援する態勢となっていた。更にこれを、動物園にあるツォー高射砲塔(コンクリート製の強固な対空要塞で、大口径砲を多数、備えている)が火力支援した。4月30日午前6時ソ連軍の最初の1個中隊がライヒスタークを目指して駆け出したが、50メートルも進まぬ内にドイツ軍の激しい銃砲火を受けて、地面に釘付けにされた。続いて2個大隊が突撃するが、これも多数の戦死者を出して阻止された。ライヒスターク自体から繰り出される猛烈な銃砲火と、ケーニヒスプラッツ西側に位置するクロール・オペラハウスからの側面攻撃もあって、正面からの突破は甚だ困難であった。ソ連軍がライヒスタークを攻略するには、まず、クロール・オペラハウスと周辺のビル群を抑える必要があった。



同日午後13時00分ソ連軍はライヒスターク周辺のビル群攻撃と並行して、再びライヒスタークに突撃を開始した。激しい銃火を潜り抜け、ソ連兵はケーニヒスプラッツの水壕に達した。そして、いよいよライヒスタークに乗り込もうとした時、突如、背後から猛砲撃を受けた。2km後方にある、ツォー高射砲塔の大口径砲が火を噴き始めたのだった。ケーニヒスプラッツのソ連軍はたまらず遮蔽物に身を隠し、攻撃停止を余儀なくされた。だが、この間にも、モルトケ橋から多数の戦車と自走砲を渡して戦力を増強し、周辺ビル群の掃討を続けた。また、ライヒスタークに打撃を与えるべく、152mm迫撃砲と203mm迫撃砲を含む90門余りの火砲、それにカチューシャロケットによる絶え間ない砲撃が加えられた。ソ連軍の砲撃は熾烈を極めたが、ライヒスタークの堅牢な建物はこの砲撃をよく耐えて、砲煙の間から重厚な存在を示し続けた。同日午後18時前後、濃い煙と夕闇に紛れて、ソ連軍はライヒスタークへの再突撃を開始した。そして、戦車の濃密な援護を受けつつ、ライヒスタークの外壁に取り付く事に成功した。しかし、窓や扉は全て障害物やレンガで塞がれており、内部には入れなかった。そこで重砲による至近距離からの砲撃、またはレンガに爆薬を仕掛けるなどして、突破口を開いた。



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↑ライヒスターク


ソ連兵は突入する度、次々に撃ち倒されていく。しかし、ソ連兵に後退はありえない。ソ連の独裁者スターリンは、ライヒスタークの早急な奪取を望んでいた。4月30日夜に開かれる、メーデー(労働者の祭典の日)に彩りを添えるためである。ソ連の威信を内外に示すためなら、兵士達にどのような犠牲が生じようともスターリンは意に返さなかった。上官に急き立てられ、ソ連兵は大きな危険が待っている、小さな穴に次々に飛び込んでいく。躊躇すれば銃殺が待っているので、行くしかないのである。
一方のドイツ軍にも後退はあり得ない。彼らは街の片隅に追い詰められ、後退する場所など存在しなかった。また、ドイツ軍は大戦中、ソ連軍捕虜を人として扱わず、多くを死に至らしめていた。そのため、ソ連軍に投降しても、人として扱われる保障はなかった。実際、ソ連に囚われたドイツ兵捕虜の多くが、ロシアの土と化している。彼らは戦って目の前の敵を倒し、束の間の生を得るしかなかった。



ライヒスターク内での戦い。ドイツ軍は建物内部の各所で、構造物の段差や陰影を利用して待ち伏せの構えを取っている。特に、中心部の議場ホールの守りは固く、障害物を築いて、多数のドイツ兵が配置に付いていた。そこへソ連軍が突入して来ると、上階のドイツ兵がパンツァーファーストで狙い撃ちし、更に機関銃で追い討ちをかけた。壮麗な石壁や石柱には、たちまち銃痕が刻まれてゆき、そこに飛び散った血肉が張り付いていった。そして、弁論で応酬するはずの議場ホールは、銃火と手榴弾で応酬する場となり、ホールはたちまち死で埋め尽くされた。ソ連軍が上階に進出し始めると、地階のドイツ兵がその背後を襲った。建物内各所で、銃声、罵声、うめき声、爆発音が響き渡り、さらに内部の火災がこの戦場を燻しあげる。


4月30日22時50分ソ連軍の発表によれば、激戦の最中、赤旗第5号旗を抱えたソ連軍兵士が建物内を駆け上がり、ライヒスタークの屋上に到達して、高々と赤旗を掲げたとされる。それは、モスクワ時間のメーデーの日が明ける70分前の出来事であったとされる。しかし、その時間帯、建物内部は、まだ激戦の真っ只中にあって、本当にメーデーの日に間に合ったのかどうかは定かではない。
ソ連軍が屋上に旗を立てたとしても、ライヒスターク内ではまだ、建物の1室1室を巡って、死闘が繰り広げられていた事は確かである。地上階は徐々にソ連軍に制圧されていったが、ドイツ軍は地下室から尚も抵抗を続けた。だが、追い詰められ、弾薬も使い果たしたドイツ兵は、5月2日ついに降伏する。 暗い地階から300人余のドイツ兵が投降し、奥には500人余の負傷兵と200人余の戦死者が横たわっていた。この戦闘におけるソ連軍の死傷者数は不明だが、ドイツ軍を遥かに上回るものであったろう。


戦闘終了後、ヨーロッパでの第二次大戦終結を印象付ける、かの有名な写真がライヒスターク屋上で撮られる事となる。


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