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ナポレオンの死 遺体の行方

2011.10.27 - 歴史秘話 其の二
現在、ナポレオンの遺体は、パリにある廃兵院(アンヴァリッド)に安置されている。しかし、この遺体が、別人の者であると言えばどうなるだろうか?もし、そうであればフランスのみならず、全世界に衝撃を与える事になるだろう。何故、こんな疑いをもたれるのかと言うと、1821年にナポレオンが死亡して埋葬された状態と、1840年にフランスに返還するため、棺が発掘された時の状態とは明らかに異なっていたからである。 


1821年の埋葬時 
①ナポレオンの棺の下には2本の材木が敷かれて、湿気が棺に達しないようにされていた。 
②3重の棺。錫(すず)→鉛→マホガニー(高級木材)の順 
③銀の拍車の付いた乗馬用長靴 
④白い絹の靴下 
⑤三つの飾り。レジオン・ドヌール、鉄冠章、レユニオン章 
⑥色あせたパレードの服装 
⑦革命の3色の帽章の付いた帽子が足に載せられた。 

1840年の発掘時 
①棺を支える材木が無くなっていた。 
②4重の棺 錫→マホガニー→鉛→マホガニーの順 
③長靴には拍車が無い。縫い目がゆるんで、指が露出していた。 
④絹の靴下は無い。 
⑤二つの飾り。レジオン・ドヌール、鉄冠章 
⑥新しく見える普段の服装 
⑦帽章の無い帽子が尻にあった。 


1821年5月5日にナポレオンは死亡する。イギリス人軍医ヘンリー曰く、「なんと美しいことか皆が言った。皆、こんなに綺麗で整った死に顔は見た事が無いと異口同音に言った」。しかし、セント・ヘレナの熱帯性気候は、容赦がなかった。5月6~7日には、イギリス人士官や島の住人が弔問に訪れたが、もうその時には遺体の腐敗は進み、悪臭が漂っていた。ナポレオンの侍従の回想、「遺体の臭いがきつくなったので、ドアや窓を開けねばならなかった。人々は側に長く居る事に耐えられなかった。」 


1821年の遺体の状況 
①顔も頭も完全に剃られていた。 
②口は閉じていた。 
③顔立ちは完全に変質し、見分けがつかなくなっていた。 
④体は腐敗が進み、崩れかかっていた。 
⑤内臓を抜かれた体は伸びていた。 

1840年の遺体の状況 
①顔には髭が生え、頭にもいくらか髪の毛があった(死後、髪が伸びる現象もある) 
②口は開き、3本のとても白い歯が覗いていた。 
③顔は若く気品があった。顔立ちは変化していない。 
④肉体はミイラ化され、体型を保っていた。 
⑤内臓を抜かれた体は新鮮さを保っていた。 


1840年時に発掘されたナポレオンの遺体は、実は1818年2月27日に死亡した給仕長チプリアーニの遺体でないかと見る向きがある。チプリアーニはナポレオンと同郷で、体はより大きいが顔立ちは比較的、似ていた。チプリアーニの遺体は、セント・ヘレナ島の中心街ジェームズ・タウンに埋葬されていたが、後に墓地から消えてしまっていた。本物のナポレオンの遺体は、イギリス本土にあるウェストミンスター寺院に無名のまま安置されているとする向きも多い。生前のナポレオンも、「唯一の恐れは、イギリス人が私の遺体をウェストミンスター寺院に安置する事だ。無理にもフランスに返させてほしい」と述べていた。 


イギリス政府はナポレオンを籠の鳥としても、ヨーロッパ全体を震撼させたこの人物に対する警戒は怠らず、執拗なまでの監視体制を布いていた。もし、ナポレオンがフランス本土に舞い戻るような事があれば、この人物は三度、ヨーロッパに波乱を巻き起こす可能性が高い。このような危険人物は早めに消えてもらうに越したことは無いと考えるのが、普通ではなかろうか。しかし、表立っての殺害となると、イギリスという国家の名誉に傷が付くばかりでなく、フランス国民からの激しい反発を食らう事になる。そうなると、早めに病死してもらうか、病死のように見せかけて殺害するしかない。もしかすると、ナポレオンの信頼篤く、邸宅のワイン管理人だったモントロンと共犯に及んだのかもしれない。しかし、その後、ナポレオンの遺体が精密検査されて毒殺の疑いが出れば、困るのはイギリス政府である。なので、遺体をすり替えた(もっともチプリアーニの遺体も砒素中毒の疑いがあるが)。しかし、断っておくが、これもあくまで推理の一つに過ぎず、真相は闇の中である。 


1839年、モントロンはフランスで破産し、債権者に終われてイギリスに逃げ込んだ。ここで、モントロンはターナーと言うイギリス人に助けられ、15万リーブル・スターリング(現在の額で70万ユーロ)の巨額の資金を融資される。しかし、モントロンは、この金を不正に着服した。巨額の資金を騙し取られたにも関わらず、ターナーは告訴もせず、イギリス政府からもなんのお咎めも無かった。実質的には、イギリス政府から金を贈られたようなもので、何とも不自然である。現在、パリの廃兵院には疑惑のあるナポレオンの遺体が安置されている。唯一真偽を確かめる方法は、DNAによる鑑定であるが、何故か、フランス政府は頑なにそれを拒否している。


主要参考文献「ナポレオンは殺された」
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