戦国時代、現代の鹿児島県に当たる大隈国では、島津氏と肝付氏が九州南部の覇権を争って戦いを繰り広げていた。そして、時には500人以上の戦死者を出す事もあった。両者の戦いは大根占の地でも行われ、おびただしい数の武士の骸が戦場に横たわった。付近の農民達は戦いがある度に避難して隠れていたが、戦いが終わると戦死した武士の祟りを恐れて、塚を作って弔い、丁重に供養を続けた。しかし、時が流れる内にそのような歴史も徐々に忘れ去られていった。
現代に至り、とある場所で塚を撤去して工事が行われる事が決まった。しかし、いざ工事が始まると、その現場では作業者達の事故が相次ぎ、死者も出るなどして、工事はなかなかはかどらなかった。「塚を撤去した祟りではないのか!?」と言う声が囁かれ始めたが、その工事を請け負う会社社長は取り合わず、工事を続行させた。
ある日の夕刻、付近の住民がその工事現場を通りかかった際、驚くべきものを目撃した。人魂のようなものが舞い上がって、とある方向へ飛び去っていったのだ。その人魂は目を凝らせば、生首の様に見えたと云う。そういった現象が度々目撃され、ある日、会社社長の死が伝わってきた。
その社長は突然、高熱に襲われ、「武者の生首が襲い掛かって来る!」とうわ言を言い、その顔は恐怖でひきつりながら息絶えたと云う。工事現場から飛び立った生首の人魂が向かっていたのは、その社長の家の方向であったのだ。人々は恐れおののいて工事は中止となり、改めて塚を作り直し、供養を行うと怪奇現象は治まったと云う。
この大根占付近での別の話。
夜間、ある人が隣町まで出掛けようとしてバイクを走らせていた。その内、道が鬱蒼と茂った林の中へと続くと、その人はただならぬ気配を感じ始めた。そして、両側の木々の間から、鎧兜を身に着けた大量の人影が現れて来たのだ。その人は恐怖に囚われてバイクのアクセルを強めると、人影達は一斉に襲い掛かって来た。バイクのライトに照らされてもその人影の顔は見えず、「ぶつかる!」と思った瞬間、その林の道を通り抜け、事無きを得ることが出来た。後日の昼間、その人があの時、何があったのか確かめようとその道を調べて見ると、林の道の両側には武士達の墓が立ち並んでいたと云う。
日本には大根占だけでなく、全国各地に首塚や供養塔があります。その中でも、とりわけ有名なのは平将門の首塚でしょう。第二次世界大戦後、GHQが周辺の区画整理をしようとして将門の首塚を撤去しようとした際、ブルドーザーが転倒して運転手が死亡したという事故が起きたため、造成計画を取り止めたという話があります。こういったものを撤去するとやはり良い事は起こらないのでしょう。あな、恐ろしや・・・しかし、武士の霊は一度、この目で見てみたい気もする。
PR