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五稜郭に埋もれた遺骸

2009.06.27 - 歴史の怪奇談
大正15年(1926年)10月8日夕暮れ、五稜郭周辺に住む女性が買い物帰り、何気なく郭内にある三号売店の方を見た。すると、人魂のようなものが漂っており、それはスーッと五稜郭の橋の袂の方へと消えていった。翌10月9日、桜の木の植替え作業中、函館戦争で戦死した者と思われる遺骨4体が発見されたのだった。その内の一体は遺骨は驚くほど形が保たれていたが、誰であるかは判明しなかった。五稜郭では、明治11年(1878年)にも遺骸が発見されている。土塁の修復作業中、旧幕府軍の戦死者と思われるおびただしい数の遺骸が発見されたのだった。それらは願乗寺に埋葬されたが、後に高等な位置に移葬されたと云う。


函館戦争は明治元年(1868年)10月21日、榎本武揚率いる旧幕府軍が函館近くに上陸した時から始まり、明治2年(1869年)5月18日、五稜郭に立て篭もった旧幕府軍が、降伏するまでの間に行われた戦いである。兵力は、新政府軍が9000人余で、旧幕府軍は3000人余、戦いによる戦死者は、旧幕府軍で800人余、新政府軍は300人余であったらしい。五稜郭周辺で戦死した旧幕府軍は、郭内や付近の寺院に埋葬されていた。


函館戦争で戦死した人物の中で最も有名なのは土方歳三である。
明治2年(1869年)5月11日、新政府軍総攻撃のこの日、歳三は一本木関門辺りで戦闘指揮している最中、腹部を撃ち抜かれて戦死した。歳三の遺体は、従卒によって五稜郭に運ばれたと云われており、郭内に埋葬されていると考えられている。土方歳三の墓は、伊庭八郎の墓の傍らにあったとも云われている。しかし、歳三が眠っている場所は、現在でもはっきりとは分かっていない。
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