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いわくつきの城

2008.10.30 - 歴史の怪奇談
いわくつきの城と言えば東京都に在る八王子城が有名です。この城は戦国時代に北条氏照が築いた山城です。(1590年)豊臣秀吉によって北条氏が討伐されるに至って北条家は本城、小田原城に主力を集めて征討軍を迎え撃つ事とし、これに伴い氏照も主力を率いて小田原城に移ります。このため八王子城では氏照の家老が留守を預かり、女子供を含む領民達を動員して2000名程の人員と共に城を守っていました。


天正18年(1590年)6月23日早朝、八王子城は、征討軍の攻撃を受けます。城方は所々で奮戦しますが、城主と主力部隊の不在が響き、僅か半日で落城してしまいます。落城に際して、秀吉は北条家に対し見せしめにするという意向もあって、城内の生ける者達の多くは殺戮されます。その犠牲者数は女子供も含めて千名にも上ったとか。


以来、八王子城では現在に至るまで、様々な怪奇談が語られています。(6月23日)落城の日の夜には城兵達の恨めしげなうめき声が聞こえてくる、婦女子達が自害した滝の側では幽霊が目撃される、等などテレビでも心霊スポットとして取り上げられていました。


もう1ついわくのありげな城跡を紹介します。


戦国時代、三木城の別所氏は播磨の有力大名でありましたが、織田家の部将、羽柴秀吉が進出してくるとこれに従い、その与力となりました。しかし、別所氏は天正6年(1578年)3月、突如、三木城に立て篭もり、織田家に反旗を翻します。以後、秀吉方と別所方は三木城周辺を舞台に戦いを繰り広げ、両軍共、おびただしい数の犠牲者を出します。やがて、三木城は秀吉方によって完全に包囲され、2年にも及ぶ兵糧攻めを受けて多くの餓死者を出した末、天正8年(1580年)に落城します。


三木城は現在では住宅街に埋め尽くされ、見る影もありませんが、いわくありげな城跡ではあります。そして、三木城からやや離れた場所ではありますが、(1990年代前半)道路造成工事を行った際、古い祠か墓を撤去したそうです。それは、三木合戦で戦死した武士の墓であったのかもしれません。その後、道路は開通して、多くの車両が行き来するようになりますが、ある交差点の付近では事故が多発するようになります。そして、その事故を起こした多くの人が、武士の霊を目撃したと言うのです。特に深夜、雨がよく降る日に武士の霊が目撃されたそうです。この噂は当時、この付近全域に伝わっていました。


私も当時、その道を通った事はありましたが、幸いその霊を目撃する事はありませんでした。どこかで聞いた噂話によると、余りにも事故が多発するという事で、その武士の霊を慰めるため祠を立て直し、供養をおこなったところ、武士の霊は現れることはなくなったそうです。しかし、この交差点付近では今でも事故がたびたび起こるようでして、通るたびに、電柱に花が飾ってあるのを見ます。 南無阿弥陀仏・・・



 
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