忍者ブログ

西南戦争史跡 城山

城山は、鹿児島県鹿児島市にある山です。標高は107mと小さな山ですが、鹿児島市内を見下ろす要地で、麓には島津氏の居城であった鶴丸城(鹿児島城)もあります。何より、この地を有名にしているのは、維新の三傑と呼ばれた、西郷隆盛最期の地となった事でしょう。



明治10年(1877年)1月29日、明治政府が鹿児島県にあった武器弾薬と製造設備を大阪に搬出しようとした。しかし、西郷隆盛創設の私学校の生徒達がそれに反発し、武器弾薬を奪うという事件を起こす。それを切っ掛けとして、私学校の幹部達は西郷を担いで挙兵、ここに西南戦争が始まる。この後、薩軍は数を増して北上し、九州中部を中心に政府軍と激闘を続けるも、徐々に敗色が濃くなり、同年9月1日には、始まりの地である鹿児島への退去を余儀なくされた。城山に籠った薩軍は300人余で、それを政府軍4万人余が取り囲んだ。同年9月24日午前4時より、政府軍の総攻撃が始まり、薩軍は次々に倒れていった。西郷隆盛は籠っていた洞窟から出て谷を下りつつあった時、腰と大腿部に銃弾を受け、動けなくなった。隆盛は傍らの別府晋介に「晋どん、もうここらでよか」と声をかけ、介錯の太刀が振り下ろされた。西郷隆盛49歳。







↑私学校跡



鶴丸城内にあります。






↑私学校に残る弾痕







↑私学校に残る弾痕






↑鶴丸城(鹿児島城)



鶴丸城は麓の居城と、背後の詰城、城山とで構成されています。城郭は広大でさすが九州の雄、島津氏の城といったところです。







↑鶴丸城庭園跡







↑鶴丸城 御楼門






↑薩摩義士碑


宝暦3年(1753年)から宝暦5年(1755年)にかけて、薩摩藩は徳川幕府より濃尾平野を流れる木曽川、長良川、揖斐川の治水工事を命じられ、多大な出費と難工事の末にこれをやり遂げています。しかし、その過程で多くの犠牲者を出した事から、彼らを弔うためにこの碑が立てられました。






↑西郷隆盛像






↑史跡 西郷隆盛洞窟



西郷隆盛は最後の5日間、この洞窟で過ごしたそうです。






↑史跡 西郷隆盛洞窟





↑西郷隆盛終焉の地



明治10年(1877年)9月24日、洞窟を出た西郷隆盛は、ここで最後を迎えたとされています。





↑城山展望台からの眺め




西郷隆盛も眺めた風景です。


PR

Comment

TITLE:
NAME:
MAIL:
URL:
COLOR:
EMOJI: Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
COMMENT:
Password: ※1
Secret:  管理者にだけ表示を許可する※2
※1 パスワードを設定するとご自分が投稿した記事を編集することができます。
※2 チェックを入れると管理者のみが見ることのできるメッセージが送れます。
 プロフィール 
重家 
HN:
重家
性別:
男性
趣味:
史跡巡り・城巡り・ゲーム
自己紹介:
歴史好きの男です。
このブログでは主に戦国時代・第二次大戦に関しての記事を書き綴っています。
 最新記事 
 カウンター 
 アクセス解析 
 GoogieAdSense 
▼ ブログ内検索
▼ カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
▼ 最新CM
[03/14 お節介爺]
[05/12 杉山利久]
[07/24 かめ]
[08/11 重家]
[05/02 通りすがり]
▼ 最新TB
▼ ブログランキング
応援して頂くと励みになります!
にほんブログ村 歴史ブログへ
▼ 楽天市場