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常山城

常山城は、岡山県岡山市と玉野市の境目にある山城である。この城は、毛利氏によって攻め立てられた折、城主の上野隆徳の妻、鶴姫が30人余の侍女を率いて、奮戦の後に最後を遂げた事で知られている。




常山城は、文明年間(1469〜1487)、備中の国衆、上野氏によって築かれたとされるが、詳細は不明である。城は標高307mの常山の山頂に築かれ、北と北東の尾根筋に連続して郭を築いた連郭式となっており、備前の山城としては有数の規模を誇る。城のある児島は現在は半島であるが、戦国時代の折には巨大な島であり、北部は吉備の穴海(きびのあなうみ)と呼ばれる浅海が広がっていた。常山城はその児島の中央部にあって、瀬戸内海航路の要衝を占めていた。



城を築いたとされる上野氏であるが、上野隆徳の代、中国地方の覇者、毛利氏と、備中の戦国大名、三村元親との戦い、備中兵乱に巻き込まれて暗雲が垂れ込み始める。上野隆徳の妻、鶴姫は三村元親の妹であって、その縁もあって上野氏は三村氏に味方するも、三村方は終始、劣勢であり、天正3年(1575年)6月2日には三村元親が自害に追い込まれる。同年6月7日には常山城も攻め立てられ、最後の時を迎える。この時、隆徳の妻、鶴姫は女性ながら侍女30人余を率いて、毛利方に戦いを挑み、奮戦の後に本丸に上がって自害したとされる。



その後、城は毛利輝元が支配する所となるが、天正11年(1583年)以降、宇喜多秀家の手に移り、その重臣であった戸川氏によって瓦葺きの建物や石垣が築かれた。慶長5年(1600年)、宇喜多氏は改易となり、代わって小早川秀秋が支配する所となるが、慶長8年(1603年)、秀秋の病死に伴い、小早川氏も改易となった。同年、代わって池田忠継が入るが、常山城は廃城とされた。








↑栂尾丸



北の尾根にあります。





↑栂尾丸から北を望む






↑青木丸







↑天神丸







↑北二の丸



昭和12年(1937年)、城主一族と女軍の冥福を祈って建てられものです。






↑本丸と腹切岩



城主の上野隆徳は、この岩の上で切腹したと云われています。







↑兵庫丸



本丸南にある小さな曲輪です。






↑本丸から南を望む



遠く四国まで見渡せます。






↑本丸から南を望む



瀬戸大橋が見渡せます。






↑本丸から西を望む






↑底無井戸



常山城の飲水です。






↑底無井戸



数百年経った今でも水を湛えています。






↑矢竹丸



北東の尾根にあります。





↑矢竹丸から北東を望む



戦国時代、目前の平野は全て海でした。



常山城の遺構は良好で、眺めも良いです。歴史の悲話も残されていて、感慨に浸れます。山頂近くまで車で上がれますが、車道は非常に狭く、車一台通るのがやっとです。何回かすれ違いましたが、冷や冷やものでした。

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