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感状山城

感状山城は、兵庫県相生市瓜生にある山城である。城は、感状山(標高301メートル)の山頂にあって眺望は良く、石垣や曲輪なども良好に残されている。


感状山城の創建年代は定かではなく、鎌倉時代に瓜生左衛門尉が築いたとも、建武3年(1336年)、赤松円心の三男、則祐が築いたとも云われている。南北朝時代、赤松円心は足利尊氏に味方して、新田義貞の軍勢5万人余を播磨で迎え撃った。円心の三男、則祐はこの感状山城に立て篭もって新田軍を撃退する功を挙げた事から、尊氏より感状を賜り、これ以降、感状山城と呼ばれるようになったらしい。戦国時代、播磨西部を勢力範囲に収めた浦上氏や宇喜多氏の手によって、総石垣の大城郭に仕立てられたとの説がある。天正5年(1577年)、羽柴秀吉による播磨侵攻で落城し、ほどなくして廃城になったと云われている。



感状山城
感状山城 posted by (C)重家

↑麓から見た感状山城



感状山城
感状山城 posted by (C)重家

↑物見岩


物見の名前通り、ここからは東、南、西の眺望が良く効きます。



感状山城
感状山城 posted by (C)重家

↑③曲輪跡


この辺りは、山中とは思えないほど広々とした空間が広がっていました。


感状山城
感状山城 posted by (C)重家

↑③曲輪の奥にある急坂


③曲輪の上には、更に南曲輪群や②曲輪や①曲輪が控えています。



感状山城
感状山城 posted by (C)重家

↑南曲輪群


階段状になっていて、上部には石垣が残されていました。



感状山城
感状山城 posted by (C)重家

↑南曲輪からの眺め



感状山城
感状山城 posted by (C)重家

↑②曲輪


城の上部も、広い空間が広がっていました。奥にはまだ、①曲輪があります。



感状山城
感状山城 posted by (C)重家

↑②曲輪



感状山城
感状山城 posted by (C)重家

↑①曲輪


感状山の最高所にあります。


感状山城
感状山城 posted by (C)重家

↑①曲輪から南を望む


感状山城は規模が大きく、遺構も良好な状態で残されていますが、その歴史については不明な点が多く、謎めいた城であります。
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