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松代城(海津城)

松代城(海津城)は長野県松代市松代町にある平城です。かの有名な川中島の戦いでは、信玄はこの城を拠点として、謙信と睨み合っていました。松代城の正確な築城年代は不明ですが、永禄3年(1560年)頃には既に完成していたようです。



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↑二の丸南門




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↑北不明門



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↑戌亥(いぬい)隅櫓跡



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↑本丸石垣



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↑本丸


本丸の中心部で、江戸時代には御殿が建てられており、政庁や藩主の住居として用いられていたとの事です。かつては信玄とその部将達も、この中心部で軍議を開いていたのでしょうか。



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↑東不明門


松代城の東側には、城を囲むように山が取り巻いています。戦国期、この山々には、城を固めるための武田家の城砦がありました。



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↑二の丸


この松代城(海津城)は、北信濃を支配する上で非常に重要な拠点でありました。信玄の時代、謙信に備えてこの城を守っていたのは春日虎綱(高阪昌信)でした。虎綱は永禄3年(1560年)頃から天正6年(1575年)に病死するまで、長きに渡って海津城代を務めていました。これは、虎綱が並々ならぬ器量の持ち主であったのと、信玄、勝頼の二代に渡って深く信頼されていた証であったと言えるのではないでしょうか。


松代城は、天正10年(1582年)に武田勝頼が滅亡した後は一時、織田信長の支配する所となり、その織田家が「本能寺の変」で分裂すると、その隙に乗じて北信を制圧した上杉景勝の支配する所となります。その上杉家が慶長3年(1598年)に会津に転封されると、一時、豊臣家の支配する所となりますが、慶長6年(1600年)から森忠政が城主となります。


慶長8年(1603年)、忠政が美作に転封されると、代わって松平忠輝の居城となりますが、忠輝元和2年(1616年)に改易されます。その後、松平忠昌、酒井忠勝を経て、元和8年(1622年)から真田信之が移り、その後代々、真田家の居城として用いられながら、明治の世を迎えます。尚、海津城が松代城と改名されるようになったのは、真田氏の時代からであります。松代城は、明治時代に廃城となりましたが、平成に入って復元工事が成されて、江戸期の頃の姿がある程度、再現されています。
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