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因幡若桜城

若桜城(わかさじょう)は、鳥取県八頭群若桜町にある標高445メートルの山城です。鬼ヶ城とも称される険しい城ですが、現在は林道を伝って、車で山頂近くまで行けます。



若桜城の築城年代は不明で、正治2年(1200年)頃、この地に赴任してきた駿河の豪族、矢部氏によって城砦が築かれた模様である。若桜城は播磨と因幡との国境にあり、街道を制する位置にある。そのため、戦国期には度々、争奪戦の的となった。天正3年(1575年)には、尼子再興を目指す、山中鹿之助の拠点としても、用いられた。しかし、翌天正4年(1576年)、吉川元春の攻撃によって、山中鹿之助は若桜城から追い落とされた。天正6年(1578年)、織田家の部将、羽柴秀吉による中国攻めが開始されると、この若桜城も落とされ、因幡攻略のための拠点とされた。



天正9年(1581年)、毛利方の鳥取城が落城し、因幡が平定されると、秀吉の部将、木下重堅が2万石の若桜城主として入った。その後、重堅は城を大規模に改修し、総石垣の近世城郭に改めた。慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いで西軍側に属した重堅が自刃すると、代わって山崎家盛が2万5千石で入封した。元和3年(1617年)、山崎家二代目、家治は移封され、代わって池田光政が因幡、伯耆の2ヶ国32万5千石の領主となって入封する。しかし、光政は鳥取城を居城とし、一国一城令もあったため、若桜城はほどなくして廃城となった。




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↑馬場



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↑崩れた石垣


若桜城の石垣は所々で崩れていますが、これは自然によるものではなく、廃城時に人為的に崩されたものです。



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↑曲輪



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↑上が本丸



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↑天守台跡



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↑砕けた瓦


かつては立派な建物が立っていたのでしょう。


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↑若桜城からの眺め


眼下に広がるのは、若桜の城下町です。


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↑若桜城からの眺め


右手奥の道は、旧播磨国へと通じています。秀吉もここから進軍してきたのでしょう。
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