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三国志・魏の武官、文官達の所領

2010.12.02 - 三国志・中国史
中国の三国時代、功を挙げた人物は、主君より褒美として官位や所領を与えられて、報われていた。日本の戦国時代でも、功を挙げた人物には官位や所領を与えられて、報われている。日本での所領の呼称は石高と呼ばれ、土地の生産性で示されたが、三国時代の中国では戸数と呼ばれ、家の数で示されていた。


従って魏、呉、蜀では、配下の将領達に戸数を与えていたが、国家機能が完全ではなく、途中で滅亡してしまった呉と蜀の諸将達の戸数は、残念ながら分かっていない。しかしながら、三国の中で最も国家機能が充実していた魏では、諸将達の戸数がある程度、分かっている。それでは、魏の有名人物に限って、戸数を取り上げてみたい。


●夏侯惇(かこうとん) (?~220年)

曹操の親戚で、創業期から活躍した宿将である。曹操から最も厚い信頼を受けており、友人としての待遇を受けていた。軍事面だけでなく、統治面でも才を示した。(戸数2,500)


●夏侯淵(かこうえん) (?~219年)

夏侯惇とは従兄弟に当たり、急襲を得意とする猛将である。猪突猛進のきらいはあったが、曹操の信頼は篤く、各地で赫々たる武勲を挙げた。ただ、その活躍と比べると戸数は少なく、216年に(戸数800)となっている。


●曹仁(そうじん) (168~223年)

曹操の従弟で、知勇を兼ね揃えた曹一門きっての名将である。曹操から重要地の守備を託されたり、遠征軍の指揮官を任される事も度々であった。(戸数3,500)


●曹供(そうこう) (?~232年)

曹操の従弟で、その一命を救った事もある勇将である。220年(戸数2,100)。曹丕の時代には疎まれて戸数を削減されたが、232年、曹叡の時代に名誉を回復し(戸数1000)を与えられた。最終的には(戸数1,000?それとも3,100?)


●曹植(そうしょく) (192~232年)

曹操の子息で、その類まれな詩才を愛され、一時はその後継者と目された。しかし、兄、曹丕がその跡を継ぐと、疎まれて各地を転々とさせられると共に戸数も削減されていった。232年(戸数3,500)


●曹真(そうしん) (?~230年頃)

曹操の族子にあたる。三国志演義では無能な人物に描かれているが、実際には忠烈無比で有能な将軍だった。諸葛亮の北伐では、その意図を見抜いて的確な対処を取った。(戸数2,900)


●張遼(ちょうりょう) (169~222年)

魏の五名将の1人。人並みはずれた武勇に加え、冷静な知略も有している。合肥の戦いでは、8千の兵で10万の呉軍を破った。名将多い魏において、その筆頭的な存在にある。(戸数2,600)


●楽進(がくしん) (?~218年)

魏の五名将の1人。小柄ながら豪胆な武将だった。曹操に早くから従って呂布、袁紹、劉備、孫権など名立たる強豪相手に数々の軍功を挙げた。(戸数1,200)


●于禁(うきん) (?~221年)

魏の五名将の1人。192年に曹操に属して以来、30年近くに渡って軍歴を積み重ねた。規律を重んじ、数々の軍功を挙げた名将であったが、219年に関羽に敗れて降伏した事から、晩節を汚す結果となった。(戸数1,200)


●徐晃(じょこう) (?~227年)

魏の五名将の1人。冷静かつ慎重な武将であるが、ここぞと言う時には疾風の様な攻撃を見せた。慎み深い性格で、曹操もその将器を褒め称えた。(戸数3,100)


●張郃(ちょうこう) (?~231年)

魏の五名将の1人。その軍歴は後漢末の黄巾の乱から始まり、以来40年余、諸葛亮の北伐まで続く。その将器は、敵である蜀の劉備や諸葛亮も一目置くほどであった。(戸数4,300)


●荀彧(じゅんいく) (163~212年)

曹操に対し、数多くの有効な進言を行い、その覇業を知略の面から助けた。また、多数の有能な人材を推挙してもいる。曹操は我が張良であると評し、前漢の名軍師となぞらえて重用した。207年(戸数2,000)


●荀攸(じゅんゆう) (157~214年)

思慮深いが、剛腹な人物でもあった。袁紹と曹操の決戦、官渡の戦いでは、参謀として参加し、数々の有効な進言を打ち出して、曹操軍を勝利に導いた。207年(戸数700)


●郭嘉(かくか) (170~207年)

曹操の幕僚中では最も若かったが、将来を見通す洞察力は誰よりも勝っていた。曹操の真意を理解しており、その進言に誤りはなかった。死後に加増される。(戸数1,000)


●賈詡(かく) (?~223年頃)

かつては、敵として曹操を窮地に陥れた事もある知将である。曹操の配下となってからもその知略は冴え渡っていたが、処世術に長けた賈詡は控えめに身を処した。(戸数800)


●程昱(ていいく) (?~220年頃)

立派な風貌と、それに見合う豪胆さも兼ね備えていた。優れた洞察力を有する参謀であったが、指揮官としての才能もあった。呂布や袁紹との戦いでは、指揮官として城の守りに就いている。(戸数800)



●満寵(まんちょう) (?~242年)

192年より曹操に仕えて以来、曹丕、曹叡、曹芳の曹氏4代に渡って活躍した宿将である。地味ながら政治、軍事両面で活躍し、実績を積み上げていた。(戸数9,600)


●司馬懿(しばい) (179~251年)

非常に頭が切れる上に大局観もある人物だった。指揮官としても非常に優秀で、内に大いなる野心を秘めて、東西奔走の働きを見せる。241年、(戸数10,000)。249年、(戸数20,000)。251年(戸数50,000)


こうして見ると、長年に渡って活躍した人物ほど、戸数が多い事が分かる。また、政治、計略に才を発揮する文官よりも、戦場で功績を打ち立てる武官の方が評価が高い傾向にある。それと、曹氏の政権は、一族であっても過剰な戸数は与えず、外様でも有能な人物には同等の処遇を与えている事が分かる。そして、その中でも司馬懿の戸数の上昇振りは異常で、魏の実権を握っていく過程が戸数の面からも伺える。最後の5万戸ともなると、曹一族を始め、太刀打ち出来る者は存在しなかっただろう。



 

 

 
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