{ドイツを目指した潜水艦「伊52」1から御覧になってください}
(6月24日午前0時28分)、護衛空母ボーグから、アベンジャー17号機が飛び立った。機長はウィリアム・ゴードン中尉で、テイラー機に代わって現場を探索するために派遣されたのだった。そして、ソノブイが潜水艦を探知すれば、直ちに魚雷攻撃をするよう命令されていた。この機体には機長のゴードン、銃手と無線員、そして、民間人のブライス・フィッシュ技師の合わせて4人が乗り込んでいた。通常、アベンジャー雷撃機は3人乗りであるが、最新兵器である音響探知機ソノブイと、音響追跡魚雷マーク24の組み合わせ攻撃を確実とするため、水中音響の専門家であるフィッシュ技師に同行を要請したのである。(0時55分)、ゴードン機が現場海域から16キロ付近に接近すると、フィッシュ技師はソノブイに微かなスクリュー音が入ってくるとゴードンに伝えた。
(午前1時)、ゴードン機は現場海域に到着する。ソノブイからは、微かなスクリュー音が聞こえ続けた。ゴードンは更に3つのソノブイを投下して、その音に耳を傾ける。(午前1時45分)、1つのソノブイの音が明らかに強くなった。それは北に浮かぶソノブイからであり、潜水艦が北に移動している事が分った。ゴードンは中央の目印と、北のソノブイの中間に魚雷を投下する事を決める。
高度100メートルから、魚雷を投下しようとした時、北のソノブイの反応がより強くなった。(1時54分)、ゴードンは潜水艦が狙いよりやや北に進んだと判断し、投下場所を北方にずらして魚雷を発射した。魚雷は17分間走ると、バッテリーが切れて沈没してしまう。しかし、魚雷が疾走して、17分経っても爆発は起こらなかった。ところが18分後、突如爆発が起こり、それから30秒間に渡って爆発音が響いた。その時の音が、ソノブイ・レコーダーによって録音されている。
まず、伊52のシュッシュッシュッシュッという水を切るスクリュー音がしばらく続く。そして、急にドーン!という爆発音が大きく響き渡った。テープには爆発音と共にパイロット達の会話も録音されていた。
「見えないな」
「黙れ!」
「やったぜ!あの野郎に命中した!」
やがて艦体がきしむ金属音と、空気が漏れる音が聞こえ始める。伊52は艦体に致命的な打撃を受けていた。爆発の音が静まると、今度は艦体が水圧によってつぶれる音が聞こえ始めた。
「何か聞こえるぞ、ブリキ缶を踏み潰す様な音だ」
「潜水艦が壊れる音じゃないか?」
金属がクシャクシャと潰れる音が続き、しばらくして鈍い爆発音が響いた。そして、短い2度の爆発音を最後に静寂が訪れた。テープはここで終った。
(6月24日)夜明け、波静かな海面には油が広がっていた。対潜部隊は撃沈の確証を掴もうと、現場海域を捜索した。捜索に当たった駆逐艦からは、以下のような漂流物が回収された。艦の外板・日本語が書かれた木片・サンダルの片方・天然ゴムの塊多数・ゴム片からはがした髪の毛・絹の破片・人肉の大きな塊一つ。駆逐艦は、現場海域に多数のサメがいると報告した。これは、明らかに人間の死体に引き寄せられたものだった。(人肉の解剖所見)、これは腕の肉のようである。浅黒いのでドイツ人ではなく、日本人のものであろう。体毛の質が良く、数も少ないので若い日本人と見られる。(毛髪鑑定)、黒い直毛。約15センチの毛が多い。毛にこれといった特徴は無いが、状況からいって日本人のものと思われる。
伊52には、民間の技術者達も乗り込んでおり、その遺書が残されている。まだ幼い自分の子供のために残していった遺書である。
「郷照さん 御父さまより
お父様は、日本が戦争に勝つため、大事なお仕事をするため、お国の言いつけによって、遠い所に行きます。戦争をしながら行くのです。郷照も、お父様やまさるのおじ様に負けない、立派な日本の子供にならなければいけません。お母様のお言いつけと、先生の教えをよく守り、勉強も、遊びもお手伝いも、友達との力比べも、誰にも負けぬ、強い賢い子供になるように自分で自分の事を考えて、頑張りなさい。
のぶ子とひさ子には、お兄さんから、話してあげてください。 おわり。」
それにしても、1944年8月前後に届けられた、謎の到着信号は何だったのだろうか?想像力を膨らませてみれば、伊52は1944年6月24日に沈没したものの、乗員の魂はブレストまで到着し、それを知らせたのであろうか・・・
伊52は現在、大西洋アゾレス諸島北方、北緯15度15分、西経39度55分、深度5千メートルの海底に眠っている。
日本潜水艦による訪独作戦は、合計5隻で行われた。
「伊30」 (1942年4月11日)呉を出港。(6月18日)マダガスカル島東岸で通商破壊任務に従事中、訪独任務を受ける。同島沖にて給油を受けた後、出発。(8月6日)ロリアン到着。(8月23日)ロリアン出航。(10月8日)ペナン到着。(10月13日)シンガポールにて機雷に触れ沈没。乗員14人が死亡。
「伊8」 (1943年6月1日)呉を出港。 (6月27日)ペナン出航。 (8月31日)ブレスト到着。(10月5日)ブレスト出航。(12月5日)シンガポール到着(12月21日)呉に到着。唯一の訪独作戦成功艦となる。
「伊34」 (1943年10月13日)呉を出港。(11月11日)シンガポール出航。 (11月13日)ペナン島沖にてイギリス潜水艦の待ち伏せに遭い撃沈される。乗員85人が戦死。水深が35メートルと浅かったため、14人が助かった。
「伊29」 (1943年11月5日)呉を出港。 (12月16日)シンガポール出航。( 1944年3月11日)ロリアン到着。 (7月14日)シンガポール到着。(7月26日)バシー海峡にてアメリカ潜水艦の待ち伏せに遭い撃沈される。乗員110人余が戦死。
「伊52」 (1944年3月10日)呉を出港。 (4月23日)シンガポール出航。(6月24日)大西洋上でアメリカ空母によって撃沈される。乗員125人とドイツ人3人が戦死。
主要参考文献「消えた潜水艦イ52」
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