1924年9月、フォーセットはリンチという記者と知り合い、彼を通じてアメリカ合衆国の各団体から資金を獲得出来る目処が立った。フォーセットは愁眉が開く思いで、早速、探検の準備に取り掛かる。フォーセットは今回の探検に賭けており、決定的な発見をするまで、ジャングルで1年から2年を過ごすと決意していた。これが可能なのかと言うと、フォーセットはこれまでに、ジャングルの先駆者であるインディオから、狩りの方法や食べられる植物の見分け方などを学んできており、初期の頃より、効率的にジャングルから食べ物を採取できるようになっていた。
また、インディオの集落を拠点として、そこから探検行に乗り出す事も考えたのだろう。しかし、古代都市を見つけるという崇高な目的のため、なんの道楽も無く、危険に満ちたジャングルで2年もの間を過ごすのは、並大抵の人間に出来る事では無い。フォーセットは今回の探検に、誰よりも信頼が置けて、同じ目的意識を持ち、更に体力抜群で意志強固な隊員を必要とした。そのためにフォーセットが選んだのは、自らの息子であるジャックと、その親友のローリーであった。
ジャックは偉大な探検家である父に憧れて、少年時代から体を鍛えており、21歳の今では身長190センチの恵まれた体格を誇った。ローリーも21歳で、身長は180センチ近くあって、筋肉質な体格であった。この2人に探検経験はまだ無かったが、古代都市を見つけるという同じ目的意識があり、従順で信頼が置け、それに若々しい活力に満ちていた。フォーセットはこの2人ならば、未知の大いなる試練にも耐えられると期待した。フォーセットは己の探究心を満足させ、不朽の栄誉を掴むべく、若いジャックとローリーは浪漫と名声を求めて、ブラジルへの旅路についた。
1925年1月、3人はリオデジャネイロに立ち寄り、同年2月11日、そこから列車に乗って1500キロ以上先の奥地へと向かった。3月3日、クイアバに到着すると、そこで探検に適した乾季が訪れるまで待つ事となった。フォーセットはここで2人のガイドを雇い、馬やラバなどの動物を買い入れた。そして、4月20日、乾季が到来し、いよいよ出発となった。フォーセットはまず、ここから150キロ先にある、バカイリ営所を目指した。フォーセットはこの行程を、忍耐力と耐久力の試験と位置付け、2人の若き同行者の探検家としての資質を試そうとした。
ジャングルの過酷な環境は、人間の本性を曝け出す。ここでは弱気は許されず、強靭な意志と体力を有する者のみが立ち入りを許される。ローリーは普段は陽気な性格の持ち主であるが、ジャングルの生活を続ける内に徐々に陰鬱となり、黙りこむようになった。また、ダニに噛まれて足に感染症を患い、隊の仕事をこなせなくなった。反対にジャックの方は未開のジャングルにあっても意気軒昂で、父譲りの抜群の体力を示すと共に、感染症に対する免疫力も発揮した。それに勇気ある行動を示して、父、フォーセットを喜ばせた。57歳となるフォーセットは、さすがに体力の衰えは隠せなかったが、それでも意気軒昂で、常人以上の耐久力はまだ健在であった。
しかし、連れて来た動物達が弱り始め、ローリーの体調も思わしくなかったので、フォーセットは休憩を入れるため、ガウヴォンという人物が経営する牧畜場に立ち寄った。ガウヴォンは多数のインディオを殺害して農場を広げたとされる、いわくつきの人物であるが、フォーセット一行を快く受け入れて、数日間もてなしてくれた。出発するにあたっても、ガウヴォンは弱った動物と引き換えに、犬を譲ってくれた。クイアバを発ってから1ヶ月後、フォーセット一行は、20軒ばかりのあばら家があるだけのバカイリ営所に到着する。5月19日、ジャックはここで22歳の誕生日を迎え、翌5月20日、一行はいよいよ人跡未踏のジャングルの奥地へと踏み込んでいった。
5月29日、一行は好戦的なカイアポ族が住む地帯を恐る恐る通り抜け、更に恐ろしいとされるシャバンテ族が住む地帯に差し掛かった。シャバンテ族はかつて白人に残虐行為を受けた過去があるので、白人を信用しなくなり、友好的に接触しようとする者さえ殺害するようになっていた。フォーセットは、非常に危険な地域に踏む込もうとしていた。クイアバから連れてきたガイド2人は熱帯病を患い、これ以上の前進を渋ったので、ここで送り返す事にした。ローリーも足の感染病は治っておらず、黄疸の症状が現れて片腕も腫れ上がっていたので、フォーセットは一緒に引き返すよう促した。
ローリーはジャングルの中で心の弱さを露呈し、体質的にも向いていなかったが、ここにきて、最後まで頑張ると言い張ったので、このまま同行する事となった。3人のささやかな探検隊はガイドに手紙を託し、手を振って別れるとジャングルの奥地へと入って行った。彼らは古代都市を見つけるため、これから2年余りもジャングルで過ごすのだ。それから数ヵ月後、ガウヴォンが譲った犬が、ただ一匹、よれよれになって彼の邸宅に戻ってきた。フォーセット一行の行方に不吉な暗雲が漂う。フォーセットの人並み外れた体力と意志は世間に広く知れ渡っており、当初は誰も心配していなかったが、何の音沙汰も無いまま2年が経ち、1927年の春を迎えると、さすがに彼らの安否を不安視する声が上がり始めた。
北米の新聞社はこの格好の話題に飛びつき、フォーセットの一大危機、アマゾンのミステリーなどと、紙面一面に扇情的に書きたてた。これを受けて、世間一般から大小様々な捜索隊が志願して、アマゾンに向かう事となる。そして、1928年にダイオットという人物が最初に調査に乗り出したのを皮切りに、次々に捜索隊がアマゾンの奥地へと向かっていった。だが、誰一人として、フォーセット一行の痕跡を掴む事は出来ず、それどころか、3人の探検隊を見つけるため、100人以上の捜索隊がジャングルの奥地で永久に行方不明になる有り様であった。ジャングルはやはり過酷であり、この結果を受けて、人々もフォーセット一行の生存を絶望視した。
そのまま25年の歳月が流れ、1950年を迎えると、話題の的であったフォーセット失踪も世間から忘れ去れていたが、彼の80歳になる妻、ニーナは、生きていれば82歳になる夫と、47歳の息子の生還を今なお信じて待ち続けていた。1952年、フォーセットの次男であるブライアンは、父の軌跡をまとめた「フォーセット探検記」を草稿する。その最初の一冊を手渡されたニーナは、夕方から翌朝になるまで夢中になって読んだ。それを読んでいると、夫がすぐ側にいるように感じられ、夫やジャックとの思い出で胸が一杯になった。そして、読み終えるなり、「ブラボー!ブラボー!」と叫んで、この本の出来を褒めた。それから1年後、1953年、ニーナは84歳の生涯を閉じた。貧困に喘いだ彼女の最後の場所は、荒れ果てた下宿屋であった。
フォーセットはどこに消え、どのような最後を遂げたのであろうか?近年に至り、ある記者がフォーセット失踪を追ってアマゾンの奥地まで赴き、フォーセットが消息を絶ったとされる地域に住んでいるカラパロ族に取材を試みた。その結果、カルパロ族の首長からフォーセットにまつわる、非常に興味深い話を聞く事が出来た。
彼らは動物を連れず、荷物を自分で背負っていた。首長である1人は年を取っていて、あとの2人は若かった。3人は空腹で疲れ切っていたので、人々が魚を与えると、3人はお礼として釣り針とナイフを差し出した。やがて、年取った男が、「もう行かなくてはならない」と言った。人々が、「どこへ行くのか?」と訪ねると、「あの方角だ。東へ」と答えた。人々は口々に、「誰もあの方角には行かない。向こうには好戦的な部族がいる。殺されるぞ」と諌めた。だが、年取った男は耳を貸さず、出発して行った。それから何日間かは、夜になると野営の焚き火と煙が見えた。しかし、その火は5日目に消えた。人々は3人に何かよからぬ事が起こったのではないかと心配し、野営地を探しに行ったが、もうどこにも3人の痕跡は見当たらなかった。
これはカラパロ族の首長が、両親から語り聞かされたもので、代々語り継がれてゆく、口承歴史というものであった。口承歴史とは、文字を持たない種族が、部族に起こった出来事を世代から世代に正確に語り継いでいくものである。記者が調べを進めると、1931年にカラパロ族と接触した人類学者も同様の話を聞いたと報告しており、1981年に、カラパロ族を調査したアメリカの人類学者もまた、同じ話を報告している事が分かった。この口承歴史を聞くからに、フォーセット、ジャック、ローリーら3人は道中、カラパロ族の村に立ち寄って歓待を受けたが、そこを出てほどなく好戦的な部族に遭遇し、そこで殺されたと見るべきではなかろうか。
現在に至り、フォーセットが最後に探索した地域からは、数々の文明の痕跡が発見されている。例えばクイクロ族という部族の住む地域からは、古代の大集落の跡が残されており、しかもそれを守る様に、直径1・5キロの円状の壕が掘られていた。集落跡には道路に水路、それに橋や土手道の痕跡があって、広大な広場もあった。人々は排泄物と炭を用いて黒い肥沃な土を作り、豊かな農耕生活を営んでいた。また、ここからは多数の精巧な土器も見つかっている。ジャングルに石材は少ないので、人々は木や土を用いて集落を築いていた。周辺数キロにも同じような集落跡が幾つも見つかっており、それぞれ道路で繋がっていた。
しかも、それらの集落は極めて計画的に配置されており、当時の中世ヨーロッパ都市と比べても遜色の無いものだった。これらの集落にはそれぞれ2千人から5千人の人々が住み、西暦800年から1600年にかけて存在していたと見られている。しかし、ヨーロッパ人によって持ち込まれた疫病によって人口が激減すると、これらの集落も衰退して、やがてジャングルに覆い尽くされていった。フォーセットが想像していたような石造りの都市こそ無かったが、ここには確かに文明の痕跡があったのだ。
主要参考文献 「ロストシティZ 探検史上、最大の謎を追え」
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