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海賊黒髭

2010.07.19 - 歴史秘話 其の一
世間で、「黒髭」と聞いたなら、樽に剣を1本1本刺していくと、突然、人形が飛び出す玩具、「黒髭危機一発」の事が、まず思い浮かぶ事だろう。実はこれにはモデルがあり、黒髭なる海賊は実在していたのである。


黒髭の前半生は定かではなく、1680年頃、イギリスのブリストルに生まれ、姓はエドワード、名はティーチ、タッシュ、サッチなどと伝わっている。1710年頃、黒髭は、国家公然の海賊活動である私掠船の1船員となってジャマイカに渡った。それからほどなくして、ホニーゴールド船長率いる海賊に加わる。黒髭には海賊としての天分があったらしく、類まれな勇猛さと統率力を発揮して、たちまち頭角を現していった。黒髭はホニーゴールドに見込まれて、2隻の船の内、もう1隻の指揮を任されるようになる。


ホニーゴールドの下、黒髭は目覚しい活躍を見せて、次々に獲物を仕留めていった。1717年、セント・ビンセント沖で、ホニーゴールドらはフランスの奴隷船を発見する。それは大きく頑丈で、40門の武装を誇る強力な相手であった。だが、2人は協力して、この大物を捕らえる事に成功する。蓋を開けてみれば、この船は宝の船で、金銀宝石、奴隷が山の様に積まれていた。ホニーゴールドはこれまでの黒髭の功を讃えて、この立派な捕獲船を与えた。黒髭は、この船をクイーン・アンズ・リベンジ号と名付けて、自らの乗船とした。この後、ホニーゴールドはほどなくして引退したため、海賊達の指揮は黒髭が執るようになった。


この後、黒髭は、北米ヴァージニアから、中南米のホンジュラスまで暴れ回って、20隻以上の船を拿捕した。黒髭はその内の何隻かを船団に加えて、更に強大になった。また、30門の大砲を積んだイギリス軍艦を打ち負かして、大いに名を上げた。黒髭のやり口は単純かつ冷酷で、相手が黙って積荷を差し出した場合は、そのまま生かして帰したが、抵抗した場合には容赦無く皆殺しにした。黒髭は恐怖の海賊、悪魔の申し子と呼ばれて、人々の恐怖の的となる。黒髭自身の自己喧伝もあって、カリブ海で彼の名を知らぬ者はいなくなった。引退していたホニーゴールドは、今や大海賊となった黒髭が、かつては自分の部下であったのだと人々に自慢した。


黒髭は長身かつ大柄な体格で、非常に恐ろしげな風貌をしていた。いかつい顔立ちに、たてがみのような黒髪をたなびかせ、そのあだ名の由来ともなった長い顎鬚は、編み込まれてへその辺りまで伸びていた。自慢の髭の両端には火縄が結い付けられ、それが煙を上げてくすぶる様は、見る者をたじろがせた。彼の気質は、その見た目同様、突飛で破天荒なものだった。黒髭は、ラム酒と火薬を混ぜた強烈な酒を愛飲していたと云う。また、黒髭は各地の港に愛人を持ち、その数は14人に達していた。


ある晩、黒髭は部下2人と共に酒盛りをした。黒髭は酒を飲みつつ、テーブルの下でピストルを2挺抜いた。船長の予想の付かない行動を知る部下の1人は、危険を察知して甲板へと逃れたが、もう1人はそのまま飲み続けた。すると、黒髭は突然、ロウソクを吹き消して真っ暗闇にすると、2挺のピストルを発射した。部下は膝を撃ち抜かれ、生涯不具の身となってしまった。他の乗員達から、何故そのような行為をしたのか問われると、黒髭は怒って、「時々、こういう事をしなきゃ、お前らも俺がどういう人間か忘れちまうだろうが!」と喚き散らしたと云う。


黒髭は、北米の大西洋岸から西インド諸島にかけての航路に絶えず出没して、付近を航行する船舶を荒らし回った。北米ヴァージニアの貿易業者達は黒髭に恐れ慄き、その貿易活動に支障を来たすまでになった。それらの人々の懇請を受け、イギリス海軍は討伐隊を送り込む事を決した。討伐隊の構成は、2隻のスループ船(中型の帆走軍艦)で、指揮官はロバート・メイヤード中尉であった。メイヤードは、まずは情報収集に努め、黒髭がノース・キャロライナのオクラコウク湾に潜んでいるらしいと聞き付けると、すぐさま現地に向かった。


1718年11月21日、この日、黒髭は拿捕した船を伴って、オクラコウク湾に停泊していた。イギリス海軍が迫っている事も知らず、黒髭は船上で18人の部下達と盛大な酒盛りを始めた。そして、翌日の朝になっても、まだ酒を飲んでいた時、突如、メイヤード率いる2隻の船団に急襲されたのである。だが、そんな泥酔状態であったにも関わらず、一旦、戦端が開かれると海賊達は手強かった。海賊達は猛反撃に転じて、1隻のスループ船の船長を殺して、乗員の大半を殺傷する。黒髭と海賊達は続いてメイヤードの船に斬り込みをかけ、熾烈な接近戦が始まった。


黒髭は、メイヤードを見かけると至近距離からピストルを発砲した。しかし、弾丸は逸れ、今度はメイヤードが反撃のピストルを撃って、黒髭に命中させた。黒髭は負傷に怯む事なく、今度はカトラス(短刀)を持って斬りかかった。黒髭は喚きながら激しく斬りかかり、メイヤードの剣を叩き折る。そして、黒髭が止めを刺そうと剣を振り上げたその瞬間、海軍兵の1人が剣をもって、その喉を切り裂いた。黒髭は瀕死の重傷を負ったにも関わらず、その闘志はまったく衰えを見せなかった。首から血を吹き出させつつ、尚もピストルを乱射し、海軍兵と渡り合った。だが、海軍の水兵に次々に斬り付けられて、20箇所もの刀傷を負い、弾丸も5発受けると、さすがの巨人もゆっくりと崩れていった。その罪業はともかく、勇猛果敢な海賊らしい死に様であった。


戦後、黒髭の首はメイヤードによって切り落とされ、船の船首に吊り下げられた。その首はヴァージニアへと運ばれ、ハンプトン河の河口に見せしめとして吊るされた。そして、戦いで捕虜となった黒髭の部下15人の内、13人も死刑となった。黒髭が海賊の首領として行動していた期間は、僅か2年余でしかなかったが、その激しい活動と破天荒な人物像は人々の語り草となり、やがて伝説となった。その後、作られた海賊ものの小説、映画などには、黒髭の印象が多分に取り入れられて現在に至っている。



kurohige.jpg













↑海賊黒髭


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