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決闘の歴史

2009.07.05 - 歴史秘話 其の一
現在に生きる人々は、自身の名誉を傷付けられた場合、裁判に訴え、法による裁きで名誉を取り戻そうとする。しかし、現在よりも法が整備されておらず、人々が武器を所有していた時代は、剣によって失った名誉を取り戻そうとしていた。


古代ゲルマン人は私的な揉め事が起こると、一騎打ちによって問題を解決していた。名誉、財産、命は剣捌きと偶然に委ねられた。10世紀から12世紀にかけては、決闘裁判が盛んに行われた。当時の判事はあらゆる訴えに対して決闘裁判を認めた。決闘裁判の結果は、場所、係争案件によって様々である。その一例を挙げると、民事事件では敗者は負傷していると、追放刑か重い罰金刑が科された。刑事事件では敗者は首吊りか火あぶりに処せられた。もちろん決闘であるので、敗者は刑を受ける前に死ぬ事も多い。


原則として争いのある者同士が決闘をするべきであるのだが、相手が成人男子でこちらが老人や女であるなど、力量に差がある場合は、代理人を立てる事も出来た。農民、騎士、市民、貴族などあらゆる人々が、階級によって遵守すべき事柄に従って決闘場で戦った。決闘裁判では、神は正しいものに味方すると信じられていた。しかし、勝者が後に罪を告白するという出来事もあって、決闘裁判の正当性は揺らぐ事になり、やがて廃止される。だが、私闘としての決闘がなくなる事はなかった。


決闘に用いられた武器は様々である。

棍棒・サーベル・バタルド(斬、刺突用の戦闘剣)・エストク(細身の長剣)・エスパドン(刃が150センチ以上で両手用大型戦闘剣)・ラピエール(細身の長剣)・フランベルジュ(細身の長剣)・鉄製斧・ハンマー・戦槌・投げ槍・弓・ブーメラン・時代が下るとピストルも使われた。通常、最初に侮辱を受けた側が武器を選ぶ権利を持つ。武器は同一のものが2つ用意されるのが普通である。時代や所によって方式には違いがあるが、通常、決闘を行う2名は、それぞれ1名の介添人を付けていた。介添人は中世までは武器を携帯しており、決闘が白熱すると介添人同士も戦った。近世になると、介添人は武器を携帯しない立会人となった。



16世紀、決闘はフランスを中心として行われた。この時代は宗教戦争・内戦・迫害・虐殺など血生臭い出来事が立て続けに起こる。すると、この混沌とした時代に後押しされるように決闘は盛んになる。決闘好きな人間は、些細な事から遊びのように命を危険に晒した。ダンボワーズと云う騎士は、仲の良い友人から「何時か」と尋ねられると「お前が死ぬ時だ!」と答えてすぐさま闘いが始まった。当時のフランス社会では、争いや殺人は日常茶飯事で、王の控えの間でさえ人々は短剣を持って闘った。


フランス王、アンリ四世(1553~1610)の時代(在位22年の間)には、決闘で8000人もの貴族が命を失っていた。宮廷は決闘の温床であった。ヴォルトールと云う人物はこう述べている。「国の特色にまでなったこの時代遅れの残虐行為は、内戦や外国との戦争と同様、あるいはそれ以上に国の人口を減らす事に貢献した」と。決闘があまりにも多く行われたため、フランス王は度々、決闘をすれば厳しく処罰すると布告した。しかし、それでも決闘は広く行われていた。


決闘を行う事は、名誉と勇気の証明書とされていた。しかし、この時代の貴族達は血を好み、残酷さを競い、命を軽視するのが毅然とした勇気ある宮廷貴族であると思っていた。自惚れ、気紛れ、ちょっとした一言や視線、態度が決闘に至った。余計な一言のために10人くらいが殺し合う事も珍しくなかった。ある時には、1人の女性を巡って4人の貴族が激しく戦ったが、女性が選んだのは決闘者以外の男性だった。決闘好きなアンドリューと云う騎士は、法によって30歳で処刑されるまで、72人の人間を殺していた。


18世紀、ナポレオンによる第一帝政時代にも決闘は行われていた。ナポレオン自身は「良き決闘者は悪しき兵士である」と述べて、決闘者を軽蔑していたが、彼の将軍達、クレベール、オージェロー、ジュノー、マルモン、ネーといった面々は、かつては決闘者であった。猛将として名高いネーは、サーベルの名手でもあり、18歳の頃、決闘に望んで相手を負かしている。この相手は手首に麻痺が残り、失業して極貧生活に陥った。後にネーはこの相手を探し出して終生、生活費を送った。イタリアのナポリ王は、ナポレオンに決闘状を送りつけたが、彼は「私はあなたの王国を征服する方が良い」と答え、それを実行した。


19世紀、決闘は非合法化されるようになり、相手を殺す事も避けられるようになっていった。しかし、アメリカでは征服、ゴールドラッシュ、インディアン戦争などで国中が沸き立っており、暴力に熱狂して血生臭い決闘が盛んに行われた。第7代アメリカ大統領ジャクソンは、1826年にピストルによる決闘で政敵だったディキンソンを殺している。保安官、カウボーイ、冒険家、金発掘人、盗賊などあらゆる人々が銃を巧みに操った。アメリカ西部での決闘は、銃を抜く素早さが物を言い、先にピストルを抜いて数発撃った者が大抵、勝者となった。


20世紀、第一次世界大戦が起こって、かつてないほどの死の嵐が吹き荒れると、人々は血と暴力に嫌悪感を示すようなり、決闘は不謹慎で野蛮な行為であると見なすようになった。それでも、決闘は伝統主義者達によって支え続けられていたが、第二次大戦後には姿を消していった。現在、決闘は、先進国では法によって禁止されており、全世界で年間15件程度、報告されているに過ぎない。しかし、裏の世界では、今でも人知れず決闘が行われているかもしれない。
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