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松山城

松山城は、愛媛県松山市にある平山城である。日本に現存する、12天守の1つを有し、また、櫓や門などの現存建造物も数多く残されている。天守閣を含む、21の現存建造物が重要文化財に指定されている。四国を代表する名城である。



慶長7年(1602年)、伊予国20万石の領主であった、加藤嘉明によって築城が始まった。嘉明時代に5重の天守閣が築かれたが、その後も工事は続けられた。寛永4年(1627年)、嘉明は会津に転封となり、代わって、蒲生忠知が24万石で入城した。寛永11年(1634年)、蒲生家は無嗣断絶となり、寛永12年(1635年)、松平定行が15万石で入城した。定行は5重であった天守閣を3重に改築する。天明4年(1784年)、落雷を受けて、天守閣を始めとする本丸建造物が焼失する。



安政元年(1854年)、天守閣の再建が成される。現存天守閣は、この時のものである。明治6年(1873年)、明治政府による廃城令を受けて、麓の御殿、櫓、城門が解体された。昭和8年(1933年)、放火を受けて小天守、南北隅櫓、多聞櫓が焼失する。昭和20年(1945年)、米軍による松山空襲を受けて、11棟の建造物が焼失した。昭和25年(1950年)、天守閣を含む21棟の建造物が重要文化財に指定される。昭和33年(1958年)から、段階的に木造建築による復元工事が成されて、現在に到る。





↑東雲神社(しののめじんじゃ)


文政6年(1823年)、松山藩11代当主、松平定通が、藩祖である定勝を祀るために建てた神社です。


松山城にはロープウェイで登って行く人が多いですが、私は徒歩で登って行きました。麓から東雲神社経由で、20分ほどで本丸手前に達しました。天守閣入口には渋滞が出来ていましたが、中に入ると見学には支障は無かったです。

















































↑天守閣から南を望む





天守閣から東を望む


こちら側に道後温泉があります。歴代城主も入湯した事でしょう。また、伊予国の戦国大名、河野氏の居城であった、湯築(ゆずき)城跡もあります。





↑天守閣から西を望む


瀬戸内海が見渡せます。





↑天守閣から北を望む


松山城の建物、石垣は壮大で見応えがあります。また、内部の展示品も充実しており、城好きの人ならば満足することでしょう。松山城の麓には、二之丸史跡庭園もあるのですが、体力的にきつかったので諦めました。見学で疲れたら、道後温泉に浸かりに行きましょう。

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