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近江長浜城の歴史

2013.02.22 - 戦国史 其の三
天正元年(1573年)9月1日、織田信長は、近江北部の戦国大名、浅井長政を攻め滅ぼす。そして、信長は、この戦いで最も活躍した羽柴秀吉に対し、浅井の旧領12万石余を与えてその功に報いた。これで秀吉は晴れて大名身分となり、自他供に認める織田家の重鎮となった。そして、秀吉は浅井氏の本拠であった小谷城に入り、ここから北近江の統治を開始する。この小谷城は要害堅固な山城で、北国脇往還を扼する要地にあるが、その反面、居住は不便で、領内統治、城下の発展面でも不都合があった。そこで秀吉は、平地にあって発展の余地が大きく、琵琶湖の水運も活用できる、今浜の地に新城を築き始める。それに伴って、秀吉は信長から長の一文字を拝領し、今浜から長浜に改名する。これが湖北最大の都市、長浜の始まりである。


だが、秀吉の長浜築城は、信長の指示を受けての事だろう。何故なら、信長は後に自らの居城、安土城を中心として、近江北東に羽柴秀吉の長浜城、近江南西に明智光秀の坂本城、近江北西に織田信澄の大溝城を配する体制を取っているからだ。しかも長浜城、坂本城、大溝城は皆、琵琶湖に浮かぶ水城として作られている。安土城だけは平山城であるが、これも西の湖を通じて琵琶湖と繋がっていた。信長は湖上水運の要地に城を築かせて、その地を掌握すると共に、水運をもって相互支援する体制を取ろうとしたのだろう。それに、これらの城に配された部将は皆、信長も認める力量の持ち主で、その信頼も篤かった。長浜城は、信長の遠大な構想に則って、築城されたと考えられる。


長浜城の正確な築城年月日は不明であるが、天正2年(1574年)夏には建設は始まっており、その際、
浅井長政が竹生島に隠匿していた木材と小谷城の資材が転用されている。天正3年(1575年)秋頃には城は大方、完成した模様で、秀吉は小谷城から長浜城に移っている。完成なった長浜城は、湖水に浮かぶ白鳥の様な壮麗さであった。城の規模は南北に1.2キロメートル、東西に0.7キロメートルあったと推測され、琵琶湖の水を引き込んだ外堀と内堀を廻らせて、その中心に浮島の様な本丸があった。城全体に石垣が取り入れられ、天守閣も備わっていたと思われる。まさに新時代を感じさせる城であり、その出来には秀吉も大いに満足した事だろう。


そして、秀吉は各地を転戦しつつ、合間を縫って、統治の強化と長浜の発展に努めた。しかし、秀吉はその過程で、自らの与力で山本山城主の阿閉貞征が有する竹生島の権益を強圧的に取り上げて、阿閉氏から信長の側近に訴えられる事件も起こしている。この裁判の顛末は不明だが、遺恨を覚えた阿閉氏は秀吉の与力から外れ、信長の旗本に転じている。天正10年(1582年)6月2日、本能寺の変にて信長が倒れると、果たして山本山城の阿閉貞征は明智光秀方となって、長浜城を襲った。この時、秀吉は中国戦線に在って不在であり、長浜城は無防備と言っても良い状態だった。阿閉氏の襲撃を受けて、秀吉の母なか、妻のおねは取るものも取りあえず、命からがら伊吹山中に逃れた。だが、秀吉は驚異的な中国大返しをもって光秀を討ち破り、上方を掌握すると、阿閉貞征を一族諸共、皆殺しとした。


同年7月26日、信長の跡継ぎと遺領配分を話し合うべく、織田家の宿老が集って清洲会議が開かれ、その結果、長浜城は柴田勝家に割譲される事となった。しかし、秀吉と勝家は対立を深め、その激突は必至となる。同年12月、勝家の本拠、越前が雪によって閉ざされると、秀吉は先手を打って長浜城を囲み、城主の柴田勝豊を降伏に追い込んだ。続いて、翌天正11年(1583年)4月、賤ヶ岳にて秀吉と勝家が決戦した際には、長浜城は後方拠点として機能した。勝家を倒し、ほぼ天下を手中に収めた秀吉は大坂城を築き、そこを新たな本拠と定める。そして、長浜城には、天正13年(1585年)、秀吉の部将、山内一豊が近江長浜2万石の領主として入封する。しかし、天正18年(1590年)に一豊が遠江掛川5万1千石で転封されると、長浜城は次第に荒廃していったと云う。


秀吉が死去し、徳川家康の天下となった慶長11年(1606年)には、家康の異母弟、内藤信成が長浜城主として入り、それに伴って大修築が行われた。元和元年(1615年)、内藤氏が摂津高槻に転封されると、長浜城は廃城となり、その資材は彦根城の築城に転用された。この時に長浜城は跡形も無くなり、残された僅かな痕跡も近代の開発によって埋もれていった。だが、昭和58年(1983年)、秀吉の長浜城を再現したいとの地元市民の要望を受けて、城跡に鉄筋コンクリート製の天守閣が再建された。その近代的な建物は、長浜城歴史博物館として使われている。秀吉時代の長浜城は忘却の彼方に消え去ったが、ここには確かに壮麗な水城があった。それは秀吉初の居城であり、立身出世の一つの到達点であった。しかし、秀吉はそれだけで満足せず、眼下に広がる琵琶湖を眺めつつ、更なる大望を抱いた事だろう。
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