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駄目な戦国武将

2008.10.29 - 戦国史 其の一
戦国武将は名将ばかりではありません。中には駄目な武将だなと思える人物もいます。個人的にはこの人が一番駄目な武将の様に思えます。


大友 義統(1558~1610)

大友宗麟の後を継いで、当主となるも指導力を発揮出来ず、耳川の戦いの敗北の一因ともなる。この敗北後、大友家分国では反乱が続発するが、義統はなんらの対処も出来ず、隠居していた父、宗麟の力を頼む。 家臣団を始め、宗麟自身も義統の能力には疑問をもっていたらしい。


天正14年(1586年)、島津家が九州統一を目指し、大友家の領国に攻め込んでくると大友家部将の高橋紹運・利光宗魚らは城に立て篭もり、最後まで戦って討死するが、義統は戦わずして居城を捨てて逃げ出したと云う。


文禄2年(1593年)、朝鮮出兵の折には渡海して軍を率いるも、無断で撤退して豊臣秀吉の逆鱗に触れ、御家取り潰しに遭う。 その後、毛利氏に預けられ幽閉されたが、慶長3年(1598年)の秀吉の死によって解放される。


慶長5年(1600年)9月、関ヶ原の戦いが勃発すると、東軍側に付いたほうが良いという家臣の進言もあったが、義統は西軍側で参戦する。義統は毛利輝元の後援を受け、御家再興を目指して、旧領、豊後に上陸する。そして、石垣原に於いて黒田如水の軍と激突するが敗北し、忠臣の吉弘統幸らは討ち死にしてしまう。しかし、義統自身は剃髪して降伏する。その後、常陸の国に流刑にされ、生涯を終える。 享年53歳


何もかもが裏目に出た義統だが、関ヶ原の戦いに於いて嫡男、義乗が徳川家康の元にいた事が幸いして、高家として取り立てられたので、大友家はその後も名家として存続する事だけは出来た。



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