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篠ノ丸城

篠ノ丸城は、兵庫県宍粟市山崎町にある山城で、山崎町では、黒田官兵衛ゆかりの地として紹介しています。


篠ノ丸城は、南北朝時代の貞和年間(1345~1350)、播磨の守護大名、赤松氏の一族である、赤松顕則によって築かれたと伝わる。戦国期には、赤松氏の一族である宇野氏の支配する所となり、本城である長水城の支城として用いられた。宇野氏は西播磨の宍粟郡一円を支配する、有力な国人で、宇野政頼の時代に最盛期を迎えた。しかし、政頼は、畿内に台頭してきた織田信長に敵対し、その侵攻を受ける事となる。天正8年(1580年)4月、織田家の部将、羽柴秀吉の攻撃を受けて篠ノ丸城は落城し、続く5月には長水城も落城して、宇野一族は悉く討死して滅亡を遂げる。その後、播磨は織田家の分国となり、続いて豊臣家の分国となって、天正12年(1584年)には、黒田官兵衛(孝高)が宍粟郡の領主として入った。官兵衛は山崎の城を居城にしたとされ、これを篠ノ丸城に当てはめる説もあるが、現在残されている遺構を見れば、ここが近世大名の居城であったとは思えない。おそらく、落城当時の姿をそのまま残していると思われる。


篠ノ丸城

篠ノ丸城 posted by (C)重家

↑登山口

篠ノ丸城は、標高325メートルの篠山の山頂に築かれています。山の中腹まで車で行けますが、そこの駐車場からは歩きとなり、山道を15分ほど登ると城跡に着きます。

篠ノ丸城

篠ノ丸城 posted by (C)重家

↑手前が二の丸で、段差の向こうが本丸


篠ノ丸城

篠ノ丸城 posted by (C)重家

↑本丸


篠ノ丸城

篠ノ丸城 posted by (C)重家>

↑本丸側面の郭跡


篠ノ丸城

篠ノ丸城 posted by (C)重家

↑二の丸


篠ノ丸城

篠ノ丸城 posted by (C)重家

↑二の丸


篠ノ丸城

篠ノ丸城 posted by (C)重家

↑畝状堅堀

二の丸側面には、図にあるような縦に掘られた空堀が見られました。


篠ノ丸城

篠ノ丸城 posted by (C)重家

↑篠ノ丸城から南を望む


篠ノ丸城

篠ノ丸城 posted by (C)重家

↑篠ノ丸城から北を望む

正面中央にある山が長水城で、宇野氏はそこを本拠としていました。長水城は、大規模な山城で今でも石垣などが残されています。


篠ノ丸城

篠ノ丸城 posted by (C)重家

↑篠ノ丸城から東を望む。

眼下に広がるのは、山崎の町並みです。羽柴秀吉が長水城攻撃に望んだ時、左側の山の麓辺りに、本陣を置いたと伝わります。それを真っ先に迎え撃ったのが、篠ノ丸城だったのでしょう。しかし、秀吉軍は1万人余はいたはずで、それに対して、篠ノ丸城に篭もっていたのはせいぜい数百人ぐらいでしょう。在りし日にはこの前面で、万余の兵が一斉に雄叫びを上げて、麓から攻め上がって来る光景が広がっていたはずです。篠ノ丸城は、そんな戦国の雰囲気を色濃く残しています。

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