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炎の革命家 吉田松陰 2

2011.09.05 - 歴史秘話 其の二
安政5年(1858年)、この年、幕府の大老、井伊直弼は朝廷の許可無く、日米修好通商条約を締結する。更に老中、間部詮勝(まなべ・あきかつ)を京都に派遣して、維新志士に対する弾圧を強めさせた。これらの情報に接すると松蔭は激怒して、井伊直弼と間部詮勝を取り除くべく、暗殺という非常手段を用いる事を決した。だが、井伊直弼の方は水戸浪士が暗殺を企てていると聞いたので、松蔭は間部詮勝の暗殺を企てた。それ以外にも、尊皇攘夷派の公卿、大原重徳を動かして、各藩に決起を呼び掛けさせる計画も立てていた。松蔭は自らの手で、革命を成そうと動き出したのだった。そして、長州藩の重役に大砲と弾薬の貸与を願い出て、江戸にいる高杉晋作、久坂玄瑞らにも協力を要請する手紙を送った。しかし、塾生の多くは松蔭の計画を危ぶんで、自重する。長州藩もこれまでは松蔭を大目に見てきたが、表立っての暗殺計画にはさすがに驚きを隠せず、安政5年(1858年)12月26日、放置して置くと何をしでかすか分からないと危惧して、再び野山獄に投獄した。 


江戸の塾生達から松蔭説得を頼まれた桂小五郎は、わざわざ萩まで赴いて時期尚早であると説き、教え子の高杉晋作、久坂玄瑞らも自重を促す手紙を送った。しかし、松蔭は自らの主張を改めず、逆に同調しなかった晋作らに怒りを含んだ手紙を送った。「江戸に居る諸友らと、僕とは意見が違うようだ。その分かれるところは、僕は忠義をするつもり、諸友は功業を成すつもり」。そして、松蔭は自分に付き従った塾生宛てには、「4、5年間は出獄の見込みは無いので、勤皇の行いも今日限りだ。同士の中にも然るべき人物はいない。長州も最早、どうしようもない。生きている事さえ、嫌になった」と破れかぶれの心情を語った。松蔭は塾生の多くが自分を支持してくれなかった事に腹を立て、晋作を始めとする塾生達に失望したと書き送り、数人には絶交状も送った。晋作は敬愛する師匠から罵られて一時期、自暴自棄になり、遊郭に通って酒色に耽ったり、道すがらに犬を斬った事もあった。しかしながら、晋作は孤立している松蔭を愛おしくも思って、郷里の友人に先生の世話を頼むと書き送ってもいる。 


安政6年(1859年)4月、松蔭の牢獄生活も半年近くなり、この頃になると大分、平静を取り戻してきて、野山獄で牢番や囚人相手に講義をするようになっていた。松蔭は絶望の淵から、草莽崛起(そうもうくっき)、すなわち、志ある在野の人々が立ち上がる事によってのみ革命は成されるとの考えに至り、自らその先駆けとなって倒れる事も辞さない覚悟を決めた。そして、塾生との関係修復に乗り出して、晋作にも落ち着いた手紙を送るようになった。「近頃は怒気も大分薄らいできた。数年間、在獄する内、藩の体制が変わって釈放される事になれば、その時こそ君達に相談したい事がある」と書き送った。


だが、同年5月14日、幕府より呼び出しがあり、松蔭は江戸に連れ出される事となった。この時、今だに野山獄に入牢中であった高須久子からは手拭いを送られ、松蔭との別れに際して歌を交し合った。久子は、松蔭から送られてきた書き付けを終生、大切に持ち続けた。5月24日、松蔭に心酔していた司獄、福川犀之助の特別の計らいによって、松蔭は1日だけ実家の杉家に戻る事を許された。この夜、母の滝は松蔭を風呂に入れ、その背中を流した。そして、「元気に帰って来るのですよ」と声をかけると、松蔭も「はい、必ず元気で帰ってきます」と答えた。翌5月25日、松蔭は籠で江戸へと送られて行き、6月25日に江戸に着いた。 


7月9日、松蔭は幕府の評定所に送られ、吟味を受ける。幕府の呼び出しは、安政の大獄で獄死した攘夷志士、梅田雲浜と謀議をしたのではないか?御所内に置かれた投書は松蔭が書いたのではないか?と問うものであった。何れも松蔭はまったく関与しておらず、間部詮勝の暗殺計画も幕府は知らなかったので、白を切っていれば重罪になる事はまず無かったろう。だが、松蔭は、暗殺計画は既に幕府に知られているだろうと考えて、それを正直に告白した。それに加えて黒船来航以来の幕府の姿勢は明らかに間違っていると、自らの思うところを滔々と語るのだった。松蔭の思いがけぬ告白に幕府役人は驚いたが、松蔭自身は重くて遠島送りか、軽くて牢獄に蟄居させられるぐらいにしか考えていなかった。松蔭は小伝馬町の牢獄に送られ、追って沙汰を待つ身となった。 


この時、江戸にあった晋作は、牢獄で不自由していた松蔭のために奔走し、その求めに応じて牢名主に送る金子を用立てたり、書物なども差し入れた。晋作は懸命に師匠に尽くし、ために松蔭も深く感謝する。二人は一事の諍いを乗り越えて、強い友情で結ばれた。しかし長州藩は、晋作が、今や政治犯となった松蔭の身の回りの世話をする事に眉をひそめ、萩への帰国を命じた。松蔭はこれに落胆しつつも、「この災厄に遭っている時、君が江戸に居てくれた事は非常に幸せであった。君の厚情は忘れない。急に御帰国とは残念でならない」と別れの言葉を送った。安政6年(1859年)10月17日、晋作は後ろ髪を引かれる思いで、江戸を発った。9月から10月にかけて、幕府による吟味が続いたが、時の大老、井伊直弼は松蔭を危険人物と見なして、死罪を下した。 


松蔭は見通しの甘さを悔いたが、覚悟を定め、安政6年(1859年)10月20日には、父、母、叔父、兄、義母宛ての遺書、「永訣の書」を記す。その冒頭には、両親への時世の句が読まれている。 

「親思ふ 心にまさる 親心 けふの音づれ 何ときくらん」 

10月25日から26日にかけては塾生宛ての遺書、「留魂録」を記す。その中で、松蔭は人間の生涯を穀物の四季に例えて、塾生に語りかけた。 

「私は30歳、四季はすでに備わっており、花を咲かせ、実りを迎えたが、それがもみ籾なのか、成熟した粟なのか、私には知る由がない。もし、同志諸君の中で、私のささやかな真心に応え、それを継ごうという者がいるのなら、それは私のまいた種が絶えずに年々実り続けるのと同じである。同士諸君、よくよく考えてほしい」 

安政6年(1859年)10月27日、刑場へと連れ出されていく際、松蔭は歯をかみ締め、無念ありありの様相であった。しかし、いざ執行の時が来ると松蔭は泰然自若とし、処刑人の山田浅右衛門すら感嘆させたと云う。そして、居合わせた幕府役人にも惜しいと思われつつ、江戸小伝馬町にて斬首に処された。吉田松陰、享年30。生涯独身であった。 


松蔭の残した「留魂録」は後に塾生の間で回し読まれ、彼らは大いに悲憤した。松下村塾の筆頭格であった高杉晋作は、藩の重役宛てに、「私は松蔭先生の弟子として、この仇を討たずにはいられません」と決意の程を述べた。松蔭が松下村塾を建てて教えたのは僅か1年に過ぎず、実家の幽囚室で教えた1年半を加算しても2年半でしかない。だが、松蔭がその身をもって示した憂国と激情の念は、松下村塾の塾生に受け継がれ、それが倒幕の原動力となっていく。松下村塾出身で、動乱を切り抜けて明治の高官に登った者として伊藤博文、山県有朋、前原一誠、品川弥二郎、山田顕義らがおり、雄才を有しながら動乱最中で命を散らした者として、高杉晋作、久坂玄瑞、入江九一、吉田稔麿らがいる。 


松下村塾
↑左から山田顕義、高杉晋作、伊藤博文 


彼ら松下村塾の面々は、激情の師の生き様に感化され、時に暴発して無謀な戦いに身を投じる事もあった。だが、その失敗にも学び、屈する事なく行動し続けた結果、維新の回天は成ったのだった。尚、松下村塾の出身では無いが、長州出身の明治の偉人として、木戸孝允、大村益次郎、井上馨、桂太郎、乃木希典、児玉源太郎らの存在も忘れる事は出来ない。彼らも松蔭の存在は知っていたはずであり、その行動、思想に何らかの影響を受けた事は想像に難くない。 


松蔭が残した思想と格言の数々。 

一君万民論 (天皇の下に万民は平等である) 

飛耳長目 (何時も情報収集を怠らず将来の判断材料とせよ) 

草莽崛起 (志有る在野の人々よ立ち上がれ) 

立志尚特異 (志を立てるためには人と異なることを恐れてはならない) 

俗流與議難 (世俗の意見に惑わされてはいけない) 

不思身後業 (死んだ後の業苦を思い煩うな) 

且偸目前安 (目先の安楽は一時しのぎと知れ) 

百年一瞬耳 (百年の時は一瞬にすぎない) 

君子勿素餐 (君たちよどうかいたずらに時を過ごさないでほしい) 

至誠にして動かざる者は未だこれ有らざるなり(真心込めて訴えれば相手は必ず分かってくれる) 

死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし 生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし (死んでも志が残るのであればいつでも死ねばよい、生きて大事を成せる見込みがあるなら諦めずに生き抜くがよい) 



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