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福知山城

福知山城は、京都府福知山市にある平山城である。


天正7年(1579年)、織田家の部将、明智光秀は丹波攻略を進める中、北部の盆地にある横山城を落とす。同年、丹波一国を平定した光秀は、この横山の地を福智山(後に朽木氏が福知山とする)に改名すると共に、地域支配の拠点として、ここに新たな城を築く事を決した。この時期、まだ毛利氏の勢力が山陰に残っていたので、それに対する抑えとしての目的もあった。城の縄張りは光秀自らが行い、石垣を用いた近世城郭として完成する。光秀は城下の発展にも力を注ぎ、
民衆の地子(税)を免除したり、度々
氾濫を起こす由良川に対して、河道を北に付け替える大規模な治水工事を施した。この様に光秀は福知山の基礎を作り、その発展に努めた人物であった。光秀自身は同じ丹波の亀山城を居城としたので、この福知山城には娘婿の明智秀満を入れた。


しかし、光秀は、天正10年(1582年)6月2日、本能寺の変を起こし、6月13日の山崎の戦いで敗死した。
同年、丹波一国は羽柴秀吉の養子である羽柴秀勝の領国となり、翌天正11年(1583年)頃、城代として杉原家次が入った。天正12年(1584年)、杉原家次が病没すると、羽柴家直参の小野木重勝が入る。慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いが起こると小野木重勝は西軍1万5千余を率いて、細川藤孝が守る丹後田辺城を攻める。重勝は田辺城を開城させたものの、本戦で西軍が敗れた事から福知山城に退却していった。しかし、細川藤孝の息子、忠興がその後を追って福知山城を囲み、重勝を開城切腹に追い込んだ。同年、関ヶ原で功を挙げた有馬豊氏が入り、福知山の城と町並みを更に改修、発展させた。その後、城主は岡部長盛、稲葉紀通、松平忠房と入れ替わった後、寛文9年(1669年)、朽木種昌が入って落ち着く事になる。


この朽木氏による統治が200年続いた後、明治の世を迎えて、福知山城は廃城となった。建物は払い下げられて解体され、台地も切り崩されて曲輪(くるわ)は消失していった。朽木氏による統治は200年もの長きに渡ったのに対し、光秀が福知山を統治した期間は僅か3年でしかなかったが、彼が施した善政と町並みの基礎を作り上げた功を人々は忘れてはいなかった。
江戸時代、人々は領主の朽木氏に申し出て、宇賀御霊大神を祭る神社に光秀を合祀する事を願い出ている。それが許可されると、以後、御霊神社(ごりょうじんじゃ)と呼ばれる様になり、現在に至るまで光秀の威徳を称えると共に、その悲運の魂を慰めている。



福知山城
福知山城 posted by (C)重家


福知山城
福知山城 posted by (C)重家

↑麓の小さな川から見た福知山城






福知山城
福知山城 posted by (C)重家



福知山城
福知山城 posted by (C)重家



福知山城
福知山城 posted by (C)重家

↑再建天守閣


外観は木造建築に見えますが、内部は鉄筋コンクリート製となっています。中には、朽木氏由来の鎧兜や刀が展示されています。



福知山城
福知山城 posted by (C)重家

↑天守閣から北東を望む


左手に流れているのは、由良川です。光秀がその河道を北に押し上げる堤防を築いたので、洪水被害が減りました。


福知山城
福知山城 posted by (C)重家

↑天守閣から北を望む


福知山城
福知山城 posted by (C)重家

↑天守閣から西を望む


こんもりとした丘は、伯耆丸と呼ばれる出丸です。あの付近から眺めると、城郭が良く映る様です。



福知山城
福知山城 posted by (C)重家

↑転用石


福知山城の石垣には、五輪塔やら墓石が大量に用いられています。明智光秀が建築するに当たって、近隣の寺社仏閣や、墓場から徴用したものと思われます。石垣を築くには大量の石材を切り出してくる必要があるのですが、最も手っ取り早い方法を取ったのでしょう。現在から見れば罰当たりの一言ですが、光秀は神や仏の罰を恐れるよりも軍事的な合理性を追求したと言う事でしょうか。この辺りにも、信長と光秀に共通する冷徹な合理性を感じます。


福知山城
福知山城 posted by (C)重家

↑転用石



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Comment

無題 - みっちゃん

2012.05.31 Thu 23:28 URL [ EDIT ]

福知山城ってはじめてみましたがすごいですね。
下の石垣とのマッチングがすごいです。
今後も更新楽しみにしています。

Re:無題 - 管理者からの返答

2012.06.01 Thu 19:01

>みっちゃんさん

福知山城の見所は、石垣に組み込まれている大量の転用石、すなわち墓石や五輪塔などかと思います。城郭自体は現代の手が入っている所が多いので、個人的にはさほど魅力を感じない城ですね。ただ、明智光秀ファンならば、御霊神社と合わせて一度訪れたい城であります。この御霊神社には、「明智光秀家中軍法」など光秀ゆかりの品が収められています。

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