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2025.02.02 - 
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ドイツ本土航空戦 3

●ドイツ空軍の反撃


ドイツ戦闘機隊は壊滅的打撃を被ったものの、それでも戦争が続く限り、戦闘機と搭乗員を空に送り続けねばならなかった。ドイツ軍は、1944年4月頃から、爆撃機攻撃を専門とする、突撃飛行隊を編成する。それは、Fw190戦闘機を基本として、コックピットまわりを防弾ガラス、防弾鋼板で覆って防御を固め、13mm機関銃2丁、20mm機関砲2門、30mm機関砲2門に武装強化した重戦闘機であった。アメリカ軍爆撃機B17の撃墜に必要な命中弾数は、20mm機関砲では平均25発、30mm機関砲では平均3発と見られていたので、火力は申し分なかった。しかし、その反面、重量は250kg増加して、戦闘機本来の運動性は損なわれていた。



敵戦闘機との空戦は甚だ困難であったので、突撃戦闘機隊1個に付き、通常仕様の戦闘機隊2個が護衛に付いた。その構成は、上空援護の通常仕様機、近接護衛の通常仕様機、そして、爆撃機攻撃を専門とする突撃飛行隊であった。戦闘の一例を挙げてみる。1944年7月7日、連合軍が1,119機の爆撃機でライプチヒ市を爆撃をした際、突撃飛行隊を含む戦闘機、120機が迎撃に舞い上がった。まず通常仕様の戦闘機隊が前路を切り開くと、突撃戦闘機隊は急降下しつつ、爆撃編隊を一連射した。この攻撃で爆撃機23機を撃墜したが、自らも30機以上の機体を失った。犠牲は大きかったが、大型爆撃機に対する唯一、有効な攻撃法として、この後も突撃飛行隊による迎撃は続いた。



ドイツ空軍は、突撃飛行隊に続き、新鋭機を投入して戦局の挽回を図った。1944年8月、主力戦闘機Fw190を改良強化した、Fw190D型を西部戦線に配備する。Fw190D型の最高速度は時速680kmに達しており、アメリカ軍が誇るP51とも、互角に渡り合える性能を有していた。しかし、工場爆撃の影響を受けて生産数は伸び悩み、終戦までに800機強しか量産出来なかった。1944年9月には、最高速度870kmを発揮する、ジェット戦闘機Me262が戦場に姿を現す。Me262の性能は革新的であったが、まだまだ未成熟で、エンジンの故障率が高い上に、その寿命はせいぜい30時間程度でしかなかった。当時、Me262の機体損失の3分の1が事故によるもので、その原因の大半がエンジンであった。



燃料消費量も激しい事から、攻撃に使える時間は5分程度で、2回攻撃を加えるのがやっとであった。それでも、連合軍戦闘機を振り切って、爆撃機に致命傷を与えうる能力は画期的で、プロペラ戦闘機最高峰を誇るP51といえども、ジェット戦闘機Me262の速度には到底、追いつけなかった。それに、Me262が装備する、30mm機関砲4門の威力は絶大で、一連射で大型爆撃機を粉砕する事が出来た。後には、強力なR4M空対空ロケット弾も主翼下に24発、装備される。このロケット弾の射程は800mで、爆撃機の防護機銃の射程外から撃つ事が可能であった。弾頭には400gの炸薬が充填されており、1発で重爆撃機を撃墜する威力を秘めていた。



1945年3月18日、アメリカ軍爆撃機1,221機と護衛戦闘機632機が、ベルリン爆撃を敢行した際、Me262戦闘機36機が迎撃に当たった。Me262は高速を生かして護衛戦闘機の群れを突破すると、爆撃機編隊に向けて、R4M空対空ロケット弾を撃ち放ち、続いて30mm機関砲の連射を浴びせかけた。一瞬の嵐の様な攻撃で、B17爆撃機11機、更にP51戦闘機1機を撃墜した。Me262の損害は、3機であった。両軍の圧倒的な戦力差を鑑みれば、Me262はよく健闘したと言える。しかし、アメリカ軍側からすれば、損失は出撃機数の1%にも満たず、任務遂行になんらの支障も無かった。もし、Me262の出撃数が一桁多かったなら、さしものアメリカ軍も青ざめる損失が出ていたであろう。



アメリカ軍にとって幸いであったのは、ヒトラーがこの革新的な戦闘機を、爆撃機として用いようとして、戦闘機型の生産に歯止めをかけた事である。それと、連合軍の工場爆撃もあって、Me262の生産数は伸び悩み、30機程度のゲリラ的な出撃が続いた。いかに強力な戦闘機であっても、この程度の機数では決定打は与えられない。一方のアメリカ第8航空軍は、戦力を増すばかりであった。



1944年8月時点での戦闘機の配備定数

P51単発戦闘機720機

P47単発戦闘機288機

P38双発戦闘機72機

P61双発夜間戦闘機32機

戦闘機合計1,112機で、終戦までこの戦力を維持した。


1944年10月時点での爆撃機の配備定数

B17四発爆撃機936機

B24四発爆撃機468機

爆撃機合計1,404機



同時期、イギリス軍爆撃機も2,053機の戦力で、ドイツの都市を夜間爆撃していた。その爆撃の規模は、アメリカ第8航空軍にも負けず劣らずであった。この様に当時のドイツは、昼はアメリカ空軍の爆撃を受け、夜にはイギリス空軍の爆撃を受けていた。しかも、破壊効果を上げるべく、爆撃は何度も繰り返された。こうしたアメリカ、イギリス軍機による連携攻撃で、ドイツの都市と工場は次々に焼失していった。そして、兵器や燃料の生産にも事欠き、軍民の移動すらままならなくなった。戦略爆撃によって、戦争終結の時間が短縮されたのは間違いないところである。また、ドイツ空軍を撃滅し、制空権を獲得した事も大きい。近、現代戦では、空を制した者が戦争をも制する。如何に強力な陸軍と海軍を擁していようとも、空の援護が無ければ、決して主導権は握れない。それが戦争末期のドイツと日本の姿であった。



本土の制空権を失ったドイツは、それを取り戻そうと方々から戦闘機を掻き集めたが、それすら失われていった。その結果、各方面の戦線も崩壊の速度を速めたのだった。アメリカ、イギリス爆撃機が、ドイツ本土に投下した爆弾の総量は、約164万3千t(日本本土爆撃は、15万5千トン)で、爆撃によるドイツの民間人犠牲者数は60万人(その内7万5千人が子供とされる)であった。軍用機と搭乗員の損失は数万に達していたと見られるが、詳細は不明である



だが、その戦果の一方、アメリカ、イギリス軍機の損害も記録的なものとなる。第8航空軍所属のB17爆撃機は、撃墜による未帰還機3,154機を出し、修理不能の損傷を受けて廃棄処分されたのが1,534機で、合計4,688機が失われた。次にB24爆撃機は、1,071機が未帰還となり、廃棄処分となったのが2,555機で、合計3,626機が失われた。搭乗員の戦死者は、2万6千人であった。イギリス爆撃機軍団では、各種爆撃機6,440機が未帰還となり、更に相当数の機体が廃棄処分となった。搭乗員は、12万5千人の内、5万5,573人が戦死した。尚、これらの数字は、史料によって差異がある。



第二次大戦における戦略爆撃では、現代にも通じる様々な戦訓が導き出された。いかに強力な爆撃機であっても、敵制空権下での活動は自殺行為である。制空権を得るには、強力かつ大量の戦闘機を必要とする。制空権を得て、初めて戦略爆撃は成立する。そして、戦略爆撃が本格化したなら、最早、戦争の帰趨は明らかである。





↑P51D

全長:9.83m

全幅:11.28m

全備重量:5,490kg

出力:1,490hp

最大速度:703km/h

航続距離:3,700km

武装 :12,7mm機銃×6

爆弾搭載量: 900kg

乗員:1名

総生産機数:1万5千機以上

速度、運動性、航続距離、武装のバランスが取れた傑作機で、第二次大戦最高の戦闘機との評価を受けた。特にアメリカ空軍による、ドイツ本土爆撃を成功に導いた功績は大きい。





↑Me262A-1a

全長:10.58m

全幅:12.50m

全備重量:6,400kg

推力:893kg×2

最大速度:870km/h

航続距離:1,050km

武装 :30mm機関砲×4 R4Mロケット×24

爆弾搭載量: 1,000kg(実戦では500kg)

乗員:1名

総生産数:1,433機

レシプロ機を過去のものとする、画期的なジェット戦闘機として登場した。連合軍の圧倒的な制空権下でも、その卓越した速力をもって、爆撃編隊に一撃を加える事が可能であった。連合軍機500~600機を撃墜したとされる。しかし、多くの欠陥を有しており、数も少なすぎて、戦局に寄与する事は無かった。




↑ドイツ空軍ガンカメラ映像




↑B17爆撃機からの視点




↑P51戦闘機の解説動画



●主要参考文献 

ポール・ケネディ著「第二次世界大戦 影の主役―勝利を実現した革新者たち」

大内健二著「ドイツ本土戦略爆撃」

学研「歴史群像」シリーズ

アントニー・ビーヴァー著「第二次大戦1939ー1945 中」「第二次大戦1939-1945 下」

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