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セント・ヘレナのナポレオン 孤独と苦悩の日々 2

2011.10.16 - 歴史秘話 其の二
1820年の中頃を迎えると、ナポレオンの健康状態は目に見えて悪化していた。体力は衰え、屋内で過ごす日が多くなる。肉を飲み込む事が出来なくなり、肉汁だけを飲んだ。侍従達や医師は、ナポレオンの許す範囲で懸命に治療に務めたが、良くなる気配は無かった。1821年を迎えると、四輪馬車に乗る事も、散歩に出るのも稀になり、3月17日にはついに寝たきりの状態となる。ナポレオンは胃の幽門がやられていると言っていたが、当時の医療ではどうしようもなかった。3月後半、ナポレオンが口に出来るのは、少量のゼリーとスープのみだった。イギリス人軍医はその様子を見て、吐剤を飲ませようとしたが、ナポレオンはこれを拒否する。


ナポレオンは医者を信用しておらず、軍医に向かって、「そなた達医者は、無分別に仕事をしておられる。医学は命を救うよりも、奪う事の方が多いのですぞ」と言うのだった。当時の医療水準はまだまだ低く、誤った治療法が満延して、それによって命を落とす者は実に多かった。明敏なナポレオンは、それを察していたのだろう。ナポレオンは、カンゾウ(漢方薬に用いられるマメ科の多年草)の根が入ったボンボン入れを持ち合わせており、これが唯一好みの薬だと語っていた。そして、これをジュースにして飲むのが常だった。4月、イギリス人軍医から、広くて風通しも良い新居が完成したと告げられたが、最早、何の意味も無かった。ナポレオン曰く、「遅きに失するとはこの事ですぞ。今になって新居の鍵を渡されても、余はもう終わりだ」


4月13日、ナポレオンは僅かなゼリーしか受け付けられなくなり、それすら戻すようになった。そして、口述で遺言書の作成を始める。4月16日、ナポレオンはぶどう酒に浸したビスケットを一枚、口にしたがすぐに戻した。この日、侍従達が心配する中、自ら遺言状を書き続けた。ナポレオンは医者を信用していなかったが、フランス人軍医のラレイだけは手放しで賞賛した。「ラレイはエジプトでもヨーロッパでも、どれだけの兵士達の病気を看てくれたか。隊列の先頭から後尾まで走り回って、看病していた。何という男だ。実に勇敢な、立派な男だった。余は心から敬意を払ったが、決して裏切られる事はなかった。もし軍が記念碑を建てるなら、ラレイをモデルにするべきであろう」。(ドミニク・ラレイ医師、当時の劣悪な医療の改善に力を注ぎ、敵味方の区別なく治療にあたった時代の良心)


4月20日、ナポレオンはイギリス人軍医に、イギリス政府を非難する言葉を伝えた。

「余は誠実なもてなしを求めて、英国政府のもとにやってきた。この世には、あらやる真っ当なものがあるにも関わらず、イギリスは鉄鎖で余に答えた。最低限の家族との連絡さえ禁止され、妻と息子の消息は一切知らされなかった。住居として住むには最も適さない場所が与えられ、殺人的な熱帯性気候にも悩まされた。そして、全ヨーロッパを駆け巡っていた余が、四つの壁に閉じ込められねばならなかった。先生、これが貴国の政府から受けた、もてなしですぞ。余は詳細な長期計画で暗殺されつつある。あの忌まわしいハドソン・ロウは貴国の大臣達の手先だ。余はこの恐ろしい岩山で死し、イギリスの統治するこの屋敷に死という汚名を遺贈する」


5月3日、ナポレオンは、ぶどう酒を垂らした砂糖水を少し口にするのみだった。5月4日、しゃっくりが出るようになり、うわ言をもらすようになった。それは、フランス、我が息子、軍隊と聞き取れた。5月5日、17時50分、侍従達に見守られながら、稀代の征服者は逝った。ナポレオン・ボナパルト、51歳。一族や家族の付き添いも無い、なんとももの悲しい最後であった。5月7日、ナポレオンの顔からデスマスクが取られた。ナポレオンは生前、息子にも同じ病気が生じた時に備えて、遺体を解剖し、自らの病根を明らかにするよう遺言していた。それから、心臓と胃はメチルアルコール入りの銀器に収めて、妻のマリー・ルイーズ宛てに送るようにとも伝えていた。



Noporeon3.jpg
 









↑ナポレオンの死去


ナポレオンの遺体解剖にはフランス人侍医アントムマルキと、ハドソン・ロウから派遣されたイギリス人医師6人が加わって、作業が行われた。

●アントムマルキによる解剖記録。

皇帝は著しく痩せ、私が赴任した時の半分以下になっている。

遺体には頭に傷跡、左手の薬指に傷跡、左の腿(もも)に深い傷跡。

頭頂から足の先まで1メートル67センチ42ミリ

首は短いが正常、胸が広く、良い体型をしている。

心臓、肺、腸は正常だった。肝臓は充血し、通常以上の大きさだった。

胃の大きな湾曲部を切開すると、不快な刺激臭のする黒ずんだ液体物質が観察された。それを取り除くと、広範囲に癌性腫瘍の瘍が見られた(イギリス人医師団の見解は、癌に発達する可能性のある硬性癌種)。癌性腫瘍は特に胃の内壁上部を占め、上部の噴門開口部から、幽門の2、5cmのところまで広がっていた。胃の潰瘍性内壁面は著しく膨らんで、固くなっていた。


ナポレオンの肝臓は著しく肥大していたのだが、不思議な事にこれは問題にはされなかった。そして、ナポレオンの胃に癌性腫瘍が発見された事から、直接の死因は胃癌となった。しかし、これにはハドソン・ロウから医師団への強要があったとされる。肝臓疾患となると、ナポレオンを不健康な環境に留め置いた、自分の管理責任が問われかねない。そこでロウは、イギリス人医師を呼んで肝臓疾患に関するくだりを報告書から削除させてもいる。侍医アントムマルキの回想によると、胃壁は癌に見える硬性癌種に覆われていたが、胃癌ではなかったと述べている。


アントムマルキの解剖所見では、ナポレオンは著しく痩せていたとなっているが、正反対の証言もある。ナポレオンが死亡する少し前、島の名士ウィリアム。ダブトン卿が訪ね見たところ、「支那の豚みたいに肥え太っていた」と述べている。解剖に参加したイギリス人医師ワルターヘンリーは、1823年9月23日のロウへの報告で、「ナポレオンの体の表面全体が脂肪に覆われていました。脂肪の層は5センチ余りありました」と述べている。ナポレオン死去時、従僕のマルシャンがその時の光景をスケッチに描いているが、それを見るとナポレオンの死に顔はふくよかに見える。普通、胃癌になると痩せ衰えていくので、肥満になるのはおかしい。いずれにせよ、ナポレオンの死因は謎に包まれており、今だにはっきりしていない。


ナポレオンを追い込んだハドソン・ロウであるが、その後、同国人のイギリス人にまでその狭量さを軽蔑され、不遇な生涯を送る事になる。1816年8月18日の会見時、ナポレオンはロウに向かって、こう告げている。

「余の名声は不朽のもので、イギリス政府が書かせた誹謗中傷など無意味である。余の名前は太陽のごとく永遠なのだ。君が振りかざす命令を出している当の政府は、いつの日か君を捨て去り、イギリス国民は君を非難するだろう。世界のどこに行っても、世論は君を追い詰めるだろう。やがて君は、この予言を辛い思いで思い出す事になる。ナポレオン皇帝の呪いが君の上に襲い掛かる事を覚悟しておくがよい」


この予言は的中し、ナポレオン自身による非難の言葉、取り巻きの侍従や侍医達の非難の言葉は歴史となって書き残され、ロウは永遠に汚名を着る事となった。そして、ロウは閑職にまわされ、社交界からも敬遠されて孤独に陥った。これがナポレオンの彼に対する復讐であった。

ハドソン・ロウの述懐

「セント・ヘレナ滞在の頃は、自分の言動が歴史に残るなど、想像もしていなかった。まさか、ボナパルトが口にした悪口が海を越えて伝わろうとは。しかし、こうして歴史は完成し、自分の言動は永遠の文字で書かれて、一行も消し去る事は出来ないのだ・・・」


ヨーロッパ全土を駆け巡り、一時はその大半を制した男が一転、絶海の孤島に閉じ込められ、憂悶の日々を送らねばならなかった。しかし、絶望の淵にあってもナポレオンは決して自暴自棄にはならず、己を貫き通した。そして、最後は激しい痛みや嘔吐で何度も中断しながらも、多くの遺言状を手書きで、それも正確に、しっかりとした字で書き込んでいった。その遺言状は、妻マリー・ルイーズや子息のナポレオン2世だけでなく、共に戦った将軍や、一兵士、エジプト転戦時の召使いにまで到る、非常に行き届いたものだった。それは、この人物が最後まで強烈な意志と精神力を宿していた事を物語っている。ナポレオンの遺体は、セント・ヘレナ島の渓谷の木陰に埋葬された。ナポレオンは生前、自らの遺体をフランスの母なる大河セーヌの畔に埋葬するよう遺言していたが、その願いが適うのはそれから20年後、1840年の事であった。現在、ナポレオンの遺体は、パリにある廃兵院礼拝堂(アンヴァリッド)に安置されている。遺言にあったセーヌの畔では無かったにせよ、心から愛したフランスの大地に身を委ね、深く静かな眠りについている。


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↑廃兵院礼拝堂(アンヴァリッド)に安置されているナポレオンの遺体


主要参考文献 「ナポレオン最後の日」




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