忍者ブログ

[PR]

2025.02.02 - 
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

山中城 2

山中城訪問の続きです。





↑弾薬庫と兵糧庫跡



本丸直下にあります。






↑武将達の墓



宗閑寺の境内に佇んでおり、その由来によれば、山中城の戦いで戦死した北条方の部将、松田康長、間宮康俊とその一族、箕輪城主の多米長定が祭られており、豊臣方の部将、一柳直末の墓も並んで祭られているとのことです。






↑岱崎(だいさき)出丸






↑岱崎出丸から駿河湾を望む



山中城からは、西方から進軍して来る豊臣軍の様子が、つぶさに目撃出来たはずです。北条方では、戦いを前にして武者震いする者と、圧倒的な敵軍を前にして恐怖に震える者との二通りに分かれた事でしょう。






↑岱崎出丸の堀






↑岱崎出丸の堀 



素人目ですが、この付近の堀は浅く、土塁の高さも足りないように感じます。往時は逆茂木(木製バリケード)を堀の外に置いて、侵入し難くしていたんでしょうが、渡辺了らはこうした所を乗り超えたんじゃないでしょうか。








↑岱崎出丸






↑櫓台






↑擂鉢(すりばち)曲輪



北条方の部将、間宮康俊は一族と共にこの曲輪に立て籠もって激しく抵抗しました。彼らは80挺の鉄砲に加えて、数挺の大鉄砲も有しており、その大鉄砲の威力は、豊臣方の防弾用の竹束さえ撃ち砕いたと云われています。






↑擂鉢曲輪の堀 


豊臣方の中村隊が攻めかかって来た所です。かつての激闘に思いを馳せながら散策すると、感慨深いです。 山中城の規模は大きく、並大抵の戦国大名では、せいぜい遠巻きに囲むしか出来なかったでしょう。天下人、豊臣秀吉だからこそ、火力と人数に物を言わせた強襲が出来たのでしょう。ただし、その犠牲は計り知れないです。

PR

Comment

TITLE:
NAME:
MAIL:
URL:
COLOR:
EMOJI: Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
COMMENT:
Password: ※1
Secret:  管理者にだけ表示を許可する※2
※1 パスワードを設定するとご自分が投稿した記事を編集することができます。
※2 チェックを入れると管理者のみが見ることのできるメッセージが送れます。
 プロフィール 
重家 
HN:
重家
性別:
男性
趣味:
史跡巡り・城巡り・ゲーム
自己紹介:
歴史好きの男です。
このブログでは主に戦国時代・第二次大戦に関しての記事を書き綴っています。
 カウンター 
 アクセス解析 
 GoogieAdSense 
▼ ブログ内検索
▼ カレンダー
01 2025/02 03
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28
▼ 最新CM
[12/23 vulkan vegas gyakori kérdések]
[03/14 お節介爺]
[05/12 杉山利久]
[07/24 かめ]
[08/11 重家]
▼ 最新TB
▼ ブログランキング
応援して頂くと励みになります!
にほんブログ村 歴史ブログへ
▼ 楽天市場