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高仙芝、パミールを越えた勇将 1

2011.07.17 - 三国志・中国史
8世紀前半、中国は唐の時代、玄宗皇帝の治世の下、唐王朝は最盛期を迎えようとしていた。国都、長安には東西南北から様々な人種が流れ込み、当時、アジア最大の都市として栄えていた。長安の人々は、シルクロードや運河を通じて持ち込まれる外国の鮮やかな物品で体を着飾り、平和と繁栄を謳歌していた。だが、長安から遠く離れた東西南北の国境地帯は平和とは無縁で、唐の守備隊と異民族との間で、血生臭い戦闘が絶え間なく繰り広げられていた。長安の平和は、彼ら国境を守る兵士の血によって保たれているのだった。そういった状況は、長安から遥か西に位置する、西域(中央アジア)でも同様であった。


西域は荒涼とした砂漠地帯であるが、古くから絹の一大交易路(シルクロード)として知られており、唐の経済にとって重要な地域であった。また、この西域を支配する事は、唐の脅威となっている北方騎馬民族の収入源を押さえる事にも繋がっていた。この様に西域は、戦略、経済、交通上の要衝であった。そこで唐は、この地域の支配を永続的なものとすべく、タリム盆地北部にある亀茲(クチャ)に安西都護府を開設し、そこに安西節度使を置いて統治の拠点とした。節度使とは唐が採用した制度で、辺境の統治と守備を一手に担う司令官である。辺境とは言え、節度使は広大な地域の軍権と政権を一手に握っている事から、そこに置ける権力と軍事力は非常に大きなものがあった。安西節度使は、広大なタリム盆地のほぼ全域を守備範囲とし、その兵力は2万4千人で、軍馬は2千7百を数えた。そして、この軍団の中に高仙芝(こう・せんし)と云う若き武人がいた。


高仙芝は高句麗(北朝鮮と中国東北部を含む地域)出身で、20歳余で父に連れられて、亀茲にやってきた。高仙芝の父、高舎鶏(こう・しゃけい)は低い身の上から始まって、そこから己の腕一つで将軍にまで立身した有能な戦士であった。その父の功績の余燼を受けて、高仙芝は20代にして父と同格の将軍に任ぜられた。だが、高仙芝は親の七光りだけで立身したのではない。容貌秀麗な偉丈夫にして、勇猛かつ騎射に長け、確かな将才も備えていた。高仙芝が、安西節度使、夫蒙霊詧(ふもう・れいさつ)の下で度々、武名を轟(とどろ)かせていた頃、封常清(ほう・じょうせい)と云う男がその武名を聞きつけて訪ねて来た。 


封常清は高仙芝の配下となる事を強く願ったが、痩せこけた外見で片足も不自由であった事から、相手にされなかった。
封常清はそれでも諦めず、開元29年(741年)、高仙芝が軍を率いて達奚(たっけい)族制圧に向かった際には、一兵卒として従軍した。そして、封常清は、高仙芝が用いた戦術を分析し、それを詳細に書いた報告書を提出する。その報告書は非の打ち所が無く、しかも高仙芝の意図を悉く見抜いたものであったから、高仙芝は驚いて封常清を召した。実は、封常清は高い志と優れた学識を有する賢人であったのだ。高仙芝は封常清に対する認識を完全に改め、以後は片腕として重用する。そして、高仙芝はこの達奚族制圧に成功した事から、副節度使に任ぜられた。 


西域支配を狙っていたのは、唐だけでは無かった。チベット高原の大勢力、吐蕃(チベット)もまた、虎視眈々と西域を狙っており、開元10年(722年)には、カシミール地方(パキスタン北部)にある、小勃律国(ギルギット)を属国化する事に成功していた。小勃律国は、小国ながら交通の要衝に位置していた。そのため、それより西にある20数カ国も吐蕃に服属を余儀無くされ、唐に対する朝貢も途絶えた。唐も黙ってこの状況を見逃していた訳ではなく、これまで三度に渡って遠征軍を差し向けたものの、悉く失敗に終わっていた。これは、吐蕃の援軍によって阻まれたと言うより、西域の厳しい気候と剣路に阻まれたのが主因だった。天宝6載(747年)、今度は、高仙芝にその小勃律国討伐の大命が下った。高仙芝は勇んでこれを拝命し、片腕の封常清、それに全軍きっての猛将、李嗣業(り・しぎょう)、監軍使の宦官、辺令誠(へん・れいせい)、それに歩騎兵合わせて1万人余を率いて、亀茲を出立する。 


seiiki.jpg










↑西域(タリム盆地)・(ウィキペディアより) 

写真には写っていないが、疏勒の左側にパミール高原がある。パミール高原を横断すれば、そこに小勃律国があった。 


遠征軍の一番の難題は、パミール高原(平均標高5千メートル)を踏破する事であった。唐軍は、疏勒(カシュガル)を経てパミール高原に入る。そして、行軍100日余、特勒満川(とくろまんがわ)に達したところで、高仙芝は軍を三つに分け、吐蕃の拠点がある連雲堡(れんうんさい)の手前で合流を約した。連雲堡は川に面した崖の上に築かれた城砦で、そこに1千人余りの兵が守りを固め、麓にも9千人余が柵を連ねて配置されていた。このように連雲堡は難攻不落の構えであったが、突如として目の前に現れた唐軍にはさすがに虚を突かれた。高仙芝は間髪おかず、急流を押し渡って総攻撃を加える。 


唐軍は、吐蕃軍の応戦が遅れる間に城の足元に取り付いたが、それでも崖の上から石、丸太、弓矢を雨の様に浴びせられて、苦戦に陥った。ここで高仙芝は、配下の猛将、李嗣業に、「昼までに城を必ず落とせ」と厳命を下した。李嗣業は抜刀した歩兵隊を率い、自ら軍旗を掲げて崖をよじ登り始める。吐蕃軍の投げ落とす岩石や矢に当たって、兵士達は次々に滑落していった。それでも李嗣業は休まず力攻を続け、午前10時頃、ついに崖を上りきって城内に突入する。そして、白兵戦の末、吐蕃軍5千人余を斬殺し、1千人余を捕虜とし、残りは逃走した。大勝利であったが、唐軍の目標は小勃律国であって、連雲堡はその通過点に過ぎない。高仙芝は更に進軍を続けようとしたが、ここで監軍使の辺令誠は臆病風に吹かれて、同行を躊躇した。そこで高仙芝は、足弱の兵3千を割いて辺令誠と共に連雲堡の守りに就かせ、自身は奥地へと踏み込んでいった。 



Pamir_panorama.jpg





↑パミール高原(ウィキペディアより) 


唐軍は酸素が薄く、厳しい寒気が包み込むパミール高原を突っ切り、氷雪に覆われたダルコット峠(標高4575メートル)をも越えた。そこから険しい山路を20キロ下れば、小勃律国の主城、阿弩越城があった。だが、その断崖絶壁の道を前にして、兵士達に不安と不満の声が上がる。すでに遠征は数ヶ月に及び、しかも日夜、厳しい風雪に晒されている事から無理も無かった。そこで高仙芝は一計を案じ、自軍兵士20名を地元民に変装させ、密かに山を下らせた。翌日、阿弩越城からの使者に扮した兵士達は唐軍の下を訪れ、降伏したいと申し出た。これを受けて高仙芝は、「小勃律国は降伏した。城はもう我らのものだ」と全軍に告げた。兵士達は騙されたとも知らず、喜び勇んで高仙芝に付き従うのだった。 


唐軍が再び進撃を開始して3日後、今度は本物の阿弩越城からの使者が来て、高仙芝に降伏を申し出てきた。高仙芝はこれに乗じて精鋭騎兵1千を先行させて、阿弩越城を制圧した。唐軍は小勃律国の国王、大臣を捕虜とし、更に吐蕃に通じる橋も落として援軍の道を断ち切った。この小勃律国制圧の報を受けて、72もの周辺小国が唐への服属を表明する。高仙芝は過去、三度も失敗している困難な遠征を成し遂げ、唐の勢力範囲をタリム盆地より更に西へと押し広げる事に成功したのだった。20世紀初頭の著名な中央アジア探検家スヴェン・ヘディンは、高仙芝のパミール越えを、ハンニバルのアルプス越え(平均標高1700メートル)を凌ぐ壮挙であると賞賛している。 


しかし、高仙芝はこの勝利で、思い上がったようだ。本来ならばこの勝報は高仙芝の上司である、夫蒙霊詧を通じて行うべきだったのだが、自らの部下を直接、長安に送って奏上した。高仙芝の器量を認め、ここまで引き立てたのは夫蒙霊詧であったから、そうと知った彼は、「恩知らずめ!今度こんな無礼な振る舞いをすれば、首を刎ねてやるぞ」と激怒した。これにはさすがの高仙芝も、恐れ慄くしかなかった。だが、これを知った監軍使の辺令誠は、高仙芝を擁護する上奏文を送る。その結果、夫蒙霊詧は都に召還され、代わって高仙芝が安西節度使に任ぜられる事となった。そして、この度の遠征で数々の献策をしたであろう、封常清も判官(副節度使に次ぐ位)となった。封常清は軍律に厳しく、それでいて賞罰は公正であったため、高仙芝は遠征する度、安心して彼に留守を任せる事が出来た。 
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