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ナポレオンミステリー1 不可思議な死因

2011.10.27 - 歴史秘話 其の二
1821年5月5日、ナポレオンは51歳で死亡する。その死因は、セント・ヘレナ島の熱帯気候の過酷な生活や、島の総督ハドソン・ロウからの締め付けが原因とする向きが多い。しかし、その死因は今だはっきりとはしていない。後年、ナポレオンのものと伝えられる頭髪を科学検査した結果、平常値を遥かに上回る砒素が検出されている。それにナポレオンが生前に訴えた症状は、砒素中毒と余りにも良く似ていた。頭髪は薄く細くなり、体毛のほとんどが抜け落ちる・歯茎の腫れ・強い光線を嫌う・両足の冷え・肝臓の肥大・右上腹部の痛み・空咳・重度の不眠・執拗な便秘・などである。砒素は有害で、摂取すると様々な中毒症状を引き起こして人を死に至らしめる物質である。砒素の量を加減する事で症状を左右する事も可能で、これを少量ずつ長期に渡って摂取させれば、病気の様に見せかける事も出来る。しかも無味無臭で、食べ物や飲み物に混入しても誰にも分からない。 


これを入れられるとすれば、取り巻きの親しい人物しかいない。最も疑わしいのは邸宅の内邸係で、ねずみ退治用の砒素を扱う事もあったモントロン将軍である。モントロンは1783年7月21日生まれで、1815年8月8日のナポレオンのセント・ヘレナ行きにつき従った時は32歳だった。旧貴族の出身でナポレオンよりも、それに反するブルボン王家に縁が深い人物だった。賭博好きの大変な浪費家で、兵隊への給金を横領するという不祥事も起こしている。ナポレオンとはそれほど親しい間柄では無く、ナポレオンがエルバ島から脱出して、百日天下を握った際も駆けつけていない。にも関わらず、ナポレオンがワーテルローの戦いに敗れて全てを失った時、何故か突然、目の前に現れてセント・ヘレナ行きに従った。この時、モントロンは給金横領で訴えられており、更に破産状態で債権者にも追われていたから、他に行き場が無かったのだった。 



モントロン
↑モントロン将軍 


島でのモントロン夫妻は、ナポレオンの遺産に預かれる事を期待して、献身的に尽くした。ナポレオン自身も遺産目当てであると気付いていたが、細部にまで行き届いたその世話働きには感じ入って、夫妻を深く信頼するようになる。そして、夫人のアルビーヌとも夜を共に過ごす関係となった。1818年1月26日には、モントロン夫人アルビーヌはナポレオンに良く似た女児(翌年死亡)を出産している。1816年12月30日、ナポレオンから一番寵愛を受けていたラス・カーズ伯爵が離島すると、モントロン夫妻はこれを喜んでいたとグウルゴウ将軍は日記に記している。そのグウルゴウ将軍もモントロンとの仲違いの末、1818年2月18日に島を去った。 


側仕えの者が減ると、モントロン夫妻に対する寵愛は益々深まっていった。もし、ナポレオンの遺産が目的であったとするならば、取り巻きの人間は少なければ少ないほど良い。その方が、より多く遺産に預かれる見込みが立つからだ。1819年7月12日、モントロン夫人アルビーヌは体調を崩して島を去る事になると、ナポレオンからは20万フランの手形と、ダイヤを散りばめた肖像入りの金の小箱が贈られる。ナポレオンはアルビーヌとの別れを惜しんで、涙を流した。そして、島に留まるモントロンのためにも、4万4千フランの年金と、14万4千フランの手形を贈与した。 



アルビーヌ
↑モントロン夫人アルビーヌ 


モントロンは邸宅の酒蔵係で、ワイン貯蔵庫の鍵をもっていたようだ。酒蔵にはナポレオン専用の樽と瓶があって、モントロンがこれを管理していた。もし、モントロンに悪意があれば、砒素を盛るのは容易である。それにモントロンは邸宅の責任者であったので、ねずみ退治用の砒素も管理していた。この砒素は、総督のロウからモントロン宛てに送られたもので、記録にも残されている。ナポレオンは専用のワインを、イギリス植民地南アフリカのコンスタンシアから取り寄せていた。このワインはイギリスの卸売り商人の手を経て、セント・ヘレナに持ち込まれていた。そして、これを樽から瓶に詰め替えていたのが、モントロンだった。 


ナポレオンの健康は1817年から変調を来たし始め、1818年からは、はっきりと悪化していった。 

1818年春、セント・ヘレナの住人ベツィ・バルコーム曰く、「病気のための変わりようは見ていて辛いほど。顔色は文字通り蜜蝋(みつろう)の様、両頬は垂れ下がり、くるぶしは腫れ上がって肉が靴からはみ出していた。ひどく弱っていて、一方の手を脇の机に、もう一方を付き添いの肩にかけないと立っていられなかった」 


1818年2月24日には、尋常ではない事件も起こっている。ナポレオンの信頼篤い給仕長チプリアーニと、召使いの女性とその子供が突然、下腹部の激しい痛みを訴えて昏倒し、3日ともたずに3人とも死んでしまった。召使いの女性はチプリアーニの愛人だった。3人で飲み物や食べ物を食べた際、何かしらの毒に当たった可能性がある。チプリアーニは酒蔵庫の合鍵を持っていたようなので、もしかするとナポレオン専用のコンスタンシア・ワインを盗み飲んだのかもしれない。砒素はグラス1杯ぐらいなら直ちに症状が現れる事は無いが、一度に瓶を何本も飲み干すような事があれば、急性砒素中毒で短期間で死に至る。その事件から数ヵ月後、ナポレオンから送られたワインを飲んだベルトラン夫妻は、その日からしばらく病気になる出来事も起こっている。ナポレオン自身はワインを瓶1本飲むような事はせず、1日にグラス1、2杯を飲む程度だった。もし、これに砒素が含まれていたとすれば、ゆっくりと症状は進行していく事になる。 


1818年7月、侍従マルシャンの記録、「皇帝は風呂から出られると、吐き気がして胸が悪くなり嘔吐された。セント・ヘレナに来て初めての事である」 


1818年7月26日、侍医オミーラの診断書、「肝臓の機能低下、気管支炎、消化不良と便秘に加え、右腹部に焼けるような痛み。胆汁質の嘔吐あり、胃の右側は腫れ、押さえると鈍痛。眩暈が頻発」 

1819年、侍従マルシャンの回想、「両足が冷えて、どうしても温まらない。水銀の丸薬を飲み出すと、脇腹に剃刀で切られるような痛みが感じられる。お顔全体が青白くなり、お体の毛が抜け落ちてしまった」 

1820年7月19日、侍医アントムマルキの報告、「皇帝は発熱、震え、激しい空咳をして、苦い胆汁を吐いた」 

1821年1月29日、侍医アントムマルキの報告、「極度の衰弱。どんよりとしてほとんど視力の無い目。神経質な空咳。口の中が乾いている。胃の痛み」 

1821年4月13日、ナポレオンはマルシャンとモントロンを部屋に呼び、口述で遺書の作成を始める。この時、モントロンは、ナポレオンから我が息子と呼ばれるまでの信頼を受けており、2人で相談しつつ、遺言書をまとめていった。 

1821年4月29日、侍医アントムマルキの報告、「昨日から聴力がとても衰え、老人に向かっているように大声で叫ばねばならなかった。こんな事は初めてだ」 

1821年5月5日、17時50分、昏睡状態に陥ったナポレオンは息を引き取った。侍医のアントムマルキがその両目を閉じた。 


1826年、セント・ヘレナ行きに従った主要人物達に、ナポレオンの遺言に従って遺金の分配が成された。ベルトラン伯爵に28万5千フラン、ラス・カーズ伯爵に6万フラン、忠実な従僕マルシャンに24万8千フランだった。だが、モントロンは他を突き放す135万フランを受け取っていた。これは、ナポレオンから最も多くの遺産を受け取った事になる。にも関わらず、モントロンは浪費を重ねて、大量の負債を抱え込んだ。そして、1828年には妻のアルビーヌとも別れ、翌1829年には法廷から破産宣告されるに到った。1846年、モントロンは回想録を出版する。その中で、当時、誰も問題には取り上げていなかったのに、ナポレオンに毒殺の疑いは無いと言明している。モントロンの回想、「ナポレオンが毒入りの食事や飲み物を口にする事はあり得ない。自分が皇帝の食卓に出る全ての料理と飲み物を試飲していたからだ」。 


1853年、モントロンは多くの謎を残したまま、70歳で死去する。この時、モントロンの息子は、廃兵院(アンヴァリッド)に眠るナポレオン一世の側に父の棺が置かれるよう、要望した。同じセント・ヘレナの忠臣であったベルトラン伯爵の棺も、廃兵院に納められていたからだ。しかし、時のフランス皇帝ナポレオン3世は、モントロンの素行不良を問題視してか、それとも何らかの疑いを持っていたからか、「廃兵院にモントロンのための場所は無い」とこれを拒否している。モントロンがナポレオンを砒素で暗殺したという確たる証拠は無く、あくまでも疑惑でしかない。それにモントロンが、身を磨り潰す様な献身でナポレオンに尽くした事も否定出来ない。だが、ナポレオンが死んで、最も受益を被ったのも事実である。ナポレオン死去の現場を描いた、マルシャンによるスケッチが残されている。これにはベルトラン、マルシャン、アントムマルキらの署名が載せられていた。しかし、モントロンだけは意味深げに、次のような言葉を書き込んでいた。 

「私がナポレオンの目を閉じた」 

ナポレオン死去時、実際に目を閉じさせたのは、侍医のアントムマルキであったのだが・・・ 


モントロン
↑モントロン将軍
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