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伏見城

伏見城は京都市伏見区にある、城跡です。京都盆地の東側にある山地、東山から連なる丘陵の南端に築かれた、平山城形式の城です。


この伏見の地は、京都と大坂を結ぶ重要な水運の結節点にあたり、また京都と奈良を結ぶ大和街道を扼する交通の要衝であった。この地の利に目を付けた豊臣秀吉は、隠居後も隠然たる影響力を行使すべく、巨椋池(おぐらいけ)北岸にある丘陵、指月山に自らの隠居城を築く事を決定する。文禄元年(1592年)8月より工事は始まり、慶長元年(1596年)6月には絢爛豪華な城の完成を見る。しかし、その直後の7月、慶長伏見大地震が発生し、完成したばかりの伏見城は倒壊して、見るも無残な姿に成り果てた。この時、500人の仲居が死亡し、秀吉も危うく圧死するところであったと云う。それでも秀吉はすぐに再建を決意し、今度は指月山の北東にある木幡山に新たな伏見城の建設を始める。天下人の動員力と、倒壊した資材が用いられた事もあって工事は急速に進められ、早くも慶長2年(1597年)5月には完成を見た。


晩年の秀吉は伏見城で過ごす事が多く、慶長3年(1598年)8月18日に最後の日を迎えた場所もこの伏見城であった。秀吉の死後、伏見城は徳川家康の預かる所となる。そして、慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いが起こると、この伏見城は西軍勢力圏に突き出した東軍の最前線となり、当然、西軍による最重要攻撃目標となる。ここに篭もったのは家康の老臣、鳥居元忠と1800人余の将兵で、これを攻めるのは4万人余の西軍であった。いくら堅固な城郭とは言え、これほどの兵力差であれば、伏見城は数日余りで落城すると見られた。7月19日、伏見城の麓は西軍方の将兵で埋め尽くされ、兵力にものを言わせた物量攻撃が始まった。しかし、城将の鳥居元忠は既に覚悟を定めて徹底抗戦の構えを崩さず、その気迫が末端の将兵にまで伝わって、城方は無類の奮戦を見せる。
それに西軍の中には戦意の乏しい者もいて、攻撃の足並みは揃わなかった。


伏見城は10日を経ても落ちる気配が無く、西軍の実質的な総指揮官である、石田三成が焦って自ら督戦に向かう一幕もあった。それでも攻めあぐねた西軍方は、篭城していた甲賀者を脅迫して火災を起こさせ、それに乗じてようやく城内に突入する事に成功する。それでも鳥居元忠ら生き残りの数百人余りの将兵らは最後まで奮闘して、悉く討死して果てた。西軍も3千人を超える死傷者を出したと云われる、凄まじい攻防戦であった。この戦いによって伏見城は焼け落ちてしまったが、慶長7年(1602年)、関ヶ原の勝者となった徳川家康によって再建される。今だに大坂で隠然たる勢力を保持していた、豊臣家を抑え込む為であった。
しかし、京都に二条城が完成し、大坂の陣で豊臣家も滅亡した事から伏見城は存在意義を失い、元和9年(1623年)には廃城となって、その短くも激しい歴史に幕を閉じた。



伏見城
伏見城 posted by (C)重家

↑再建伏見城

実際の伏見城とは異なった場所に建てられています。



伏見城
伏見城 posted by (C)重家

↑再建伏見城

見た目だけなら、すこぶる立派です。しかし、鉄筋コンクリート製なのに耐震基準を満たしていないので、中には入れません。なので次に地震が起こると、リアルタイムで倒壊するのが見れそうです
┐('~`;)┌.


伏見城
伏見城 posted by (C)重家

↑模擬大手門



伏見城
伏見城 posted by (C)重家

↑伏見城の石垣

この石垣は、秀吉の晩年の日々をその足元で支え、また、壮絶な伏見城攻防戦をその身で体験している事でしょう。



伏見城
伏見城 posted by (C)重家

↑伏見城の石垣


伏見城
伏見城 posted by (C)重家

↑伏見桃山陵

明治天皇の陵墓です。明治45年(1912年)7月30日、明治天皇が崩御すると、この伏見城の本丸跡に埋葬されました。秀吉が再建した木幡山伏見城の天守閣は、この背後の山頂にそびえ立っていました。


伏見城
伏見城 posted by (C)重家

↑伏見桃山陵付近からの眺め

かつて伏見城の麓には、巨椋池(おぐらいけ)と呼ばれる湖を思わせる巨大な池が広がっていました。往時には前方に大池が広がっていて、夕刻には水面が黄金色に輝いていた事でしょう。しかし、昭和の時代を迎えると巨椋池の水質は悪化の一途を辿り、戦時下で食料増産を迫られたせいもあって、昭和8年(1933)から干拓義業が進められ、昭和16年(1941年)には池は完全に埋め立てられました。


伏見城
伏見城 posted by (C)重家

↑伏見桃山陵付近からの眺め


伏見城
伏見城 posted by (C)重家

↑伏見桃山東陵

明治天皇の妻である、昭憲皇后の陵墓です。伏見桃山陵から東にやや下った場所にあります。

往時の伏見城は、天下人、秀吉が晩年を過ごした絢爛豪華な城でしたが、現在では残念ながら、その面影を見出す事は難しいです。





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