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小谷城 1

小谷城は滋賀県長浜市にある山城で、悲運の戦国大名、浅井長政と戦国の覇者、織田信長とが激しい攻防を繰り広げた城として余りにも有名です。


小谷城は浅井家初代、亮政によって築かれるが、正確な築城年代は不明で、大永5年(1525年)に亮政は小谷城に拠って六角軍と抗戦したとあるので、大永3年(1523年)~大永4年(1524年)間に築かれたと推測される。亮政は浅井家勃興の祖で、北近江の守護、京極氏の被官から始まって徐々に伸し上がり、京極氏に代わって北近江一の実力者となった器量人である。亮政の子、久政は父ほどの活躍は示していないが、それでも内政に勤しんで浅井家の基礎を固めた。


そして、三代目長政を迎えた頃に浅井家は全盛期を迎え、それに合わせて小谷城も拡張されて、北近江の戦国大名に相応しい一大山城となった。しかし、元亀3年(1570年)4月、長政は、同盟者で義兄に当たる織田信長から離反した事から、小谷城は信長の激しい報復攻撃に晒される事となる。小谷城は織田軍数万の攻撃を3年余に渡って持ちこたえ、その堅固さを存分に示したが、天正元年(1573年)9月、織田軍の総攻めを受けて、ついに落城する。その後、小谷城は織田家部将、羽柴秀吉の居城となるが、天正3年(1575年)、秀吉は琵琶湖畔に長浜城を築き、そこを居城と定めたので、小谷城は廃城となった。



小谷城
小谷城 posted by (C)重家

↑小谷城の絵図

本当は清水谷から、金伍丸を経て本丸まで行ったのですが、今回は反対側の山崎丸から紹介していきます。


小谷城
小谷城 posted by (C)重家

↑清水谷(きよみずだに)より小谷城を望む

正面に映る大きな山が大獄城で、その右手に小谷城があり、左手の山にも山崎丸や福寿丸といった砦があります。この清水谷の入り口は往時には土塁と水堀で固められており、その奥に浅井家重臣の武家屋敷が建ち並んでいました。


小谷城
小谷城 posted by (C)重家


↑山崎丸跡

元亀3年(1572年)7月21日、織田信長は大軍をもって小谷城に迫り、その外郭線である虎御前山と雲雀山(ひばりやま)を奪った事から、小谷城は危機に瀕します。同年7月29日、朝倉義景の援軍が遅まきながらやってきて大獄を固め、その上で山崎丸、福寿丸といった砦を築いて小谷城の側面を固めた事から、なんとか危機を乗り越えました。この時に山崎丸を築いたのが朝倉家の重臣、山崎吉家であった事から、その名が付けられました。山崎吉家は、軍略、政略に長けた朝倉家の重鎮であったようです。また、同年8月2日には、朝倉義景もこの山崎丸に陣取っています。



小谷城
小谷城 posted by (C)重家

↑福寿丸跡

この砦も元亀3年(1572年)8月頃に築かれました。朝倉家の築城術は浅井家よりも先進的で作りも違うので、それによって朝倉家による小谷城強化の跡が窺えます。


小谷城
小谷城 posted by (C)重家

↑大獄城跡

小谷城(標高494メートル)の最高所にあります。大永4年(1524年)頃、浅井長政の祖父、亮政によって小谷城が築かれた当初は、この大獄を本丸としていた模様です。その後、浅井氏は東尾根に新たな本丸を築くと、大獄は砦として用いられたと思われます。元亀3年(1572年)8月、信長の大軍が小谷城に迫って来た時、救援に赴いた朝倉義景は、この大獄に陣取り、ここを中心に山崎丸、福寿丸、月所丸といった砦を築いて小谷城全体の防御力を強化します。しかし、天正元年(1573年)8月12日、大獄北面を守っていた浅井家の臣、浅見対馬守が信長に寝返って織田軍を引き入れた事から、大獄は陥落します。これで小谷城は朝倉家との連絡を絶たれて、完全に孤立します。


小谷城
小谷城 posted by (C)重家

↑大獄城から山本山城を望む

正面中央に写っている山が山本山城で、その左奥には竹生島があり、右奥には賤ヶ岳があります。山本山城が、小谷城の側面を守っているのが、よく分かるかと思います。天正元年(1573年)8月8日、山本山城主の阿閉貞征が織田家に寝返った事から、織田軍は小谷城の側背面に回り込んで、全面包囲する事が可能となりました。


小谷城
小谷城 posted by (C)重家

↑大獄城から小谷城を望む

大獄城と小谷城とは、尾根伝いに繋がっているのが分かります。そして、大獄城は、
本丸よりも高所にあるので、防御上、非常に重要な拠点となります。こういった場所を朝倉軍が守っていたという事実が、朝倉家が浅井家よりも上位の存在であった事を物語っています。


小谷城
小谷城 posted by (C)重家

↑六坊跡

浅井久政の時代に、領国内の有力寺院六つの出張所をここに設けた事から、六坊と名付けられました。


小谷城
小谷城 posted by (C)重家

↑山王丸跡

小谷城の主郭の最上段にあり、石垣で厳重に固められていました。


小谷城
小谷城 posted by (C)重家

↑山王丸の石垣

小谷城 2に続きます。
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