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2020.06.01 - 
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一乗谷 終

一乗谷朝倉氏遺跡紹介の続きです。



一乗谷
一乗谷 posted by (C)重家

↑中の御殿跡

朝倉館の背後の高台にあります。この中の御殿には、朝倉義景の生母、光徳院が住まっていたと伝えられています。朝倉氏滅亡時、光徳院は捕らえられ、信長の命によって斬られたとあります。

一乗谷
一乗谷 posted by (C)重家

↑米津

ここからは刀装具を作るための炉の跡や、金属を加工する道具が発見されました。城下町の中心部に近い事から、ここの職人達は朝倉氏お抱えの金工師であったと推測されています。



一乗谷
一乗谷 posted by (C)重家

↑復元された町屋

発掘された石垣や礎石をそのまま使い、柱、壁、金具なども出土した遺物に基づいて忠実に再現されているとの事です。



一乗谷
一乗谷 posted by (C)重家

↑復元町屋


一乗谷
一乗谷 posted by (C)重家

↑昔の便所



一乗谷
一乗谷 posted by (C)重家

↑再現武家屋敷の内部

奥では家主がくつろぎ、手前では使用人が食事の準備をしています。



一乗谷
一乗谷 posted by (C)重家

↑大規模武家屋敷跡

再現町屋の裏にあります。この辺りには、朝倉氏の有力家臣の屋敷が建ち並んでいました。



一乗谷
一乗谷 posted by (C)重家

↑武家屋敷跡
一乗谷
一乗谷 posted by (C)重家

↑上城戸(かみきど)

一乗谷の北面を守っています。


一乗谷は、天正元年(1573年)8月の朝倉氏滅亡時に焼き尽くされ、さらに天正2年(1574年)1月には、越前一向一揆の蜂起によって戦場となり、天正3年(1575年)には、北ノ庄(福井)が越前の中心地となった事で急速に衰退していきました。そして、一乗谷の町並みは田畑へと変わってゆき、人々の記憶からも忘れ去られてしまいました。しかし、それは開発の波を逃れる事にも繋がり、現在まで貴重な遺構が残されています。



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