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鹿野城

鹿野城は、鳥取県鳥取市鹿野町にある平山城である。標高148メートルの妙見山に築かれており、山麓の平城と、山上の山城が一体として用いられた。往時には、3層の天守閣が築かれていた模様である。



創建年代は不明で、因幡守護、山名氏の家臣であった志加奴氏(鹿野氏)によって築かれたと云われる。江戸中期に書かれた軍紀「陰徳太平記」によれば、天文13年(1544年)初夏、出雲の戦国大名、尼子晴久の攻撃を受けて、鹿野入道以下300人余が討ち死にして、落城したと云う。その後は、山名氏の持ち城となっていたが、毛利氏の進出を受けて、その支配下に落ちた。


天正8年(1580年)、織田家部将、羽柴秀吉の攻撃を受けて落城し、天正9年(1581年)、その家臣であった亀井茲矩が1万3,800石の城主として入った。茲矩は、鹿野城を総石垣の近世城郭に造り替え、合わせて城下町の整備も行い、鹿野町の基礎を作り上げた。慶長9年(1600年)、茲矩は関ヶ原の戦いで功を上げて加増され、3万8千石の大名となり、次代の政矩の時には4万3千石となった。元和3年(1617年)、亀井氏は転封され、代わって池田光政が因幡、伯耆国合わせて32万5千石の鳥取藩として入り、鹿野城には家老の日置忠俊が入った。


寛永9年(1632年)、光政は岡山に転封され、代わって同じ池田一族の光仲が鳥取藩主となった。鹿野城には代官が派遣されたが、正保元年(1644年)、城は破却されたとされる。





↑鹿野城の鳥瞰図





↑鹿野城の登山口





↑城山神社

往時には曲輪が置かれていたのでしょう。





↑天主台跡

小振りながらも、3層の天守閣がそびえていたと思われます。





↑本丸から城下を望む


山頂は樹木に覆われていて、眺望はいまいちでした。





↑本丸跡


現在は中学校の校庭となっていますが、往時には居館が築かれていたと思われます。





↑出丸跡と外堀





↑麓から見た鹿野城


鹿野城は、史跡としては見所が少ないと感じました。けれでも春になると、桜が堀に映り込んで、大変、美しい光景が見れる様です。

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