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羽衣石城

羽衣石城は、鳥取県東伯郡にある山城である。標高372メートルの羽衣石山の山上に築かれ、眼下に山陰道を望む、伯耆東部の要衝である。人工の石垣は少なく、天然の岩石を石垣の様に利用していた。



羽衣石城は、室町時代の貞治2年(1366)年、伯耆国に所領を有していた、南条貞宗によって築かれたと伝わる。以後代々、戦国に到るまで、南条氏の本拠として用いられた。天文年間(1532~1555)初期、当時の南条家当主、宗勝は、隣国、出雲の戦国大名、尼子氏の傘下に入り、天文9年(1540年)には、尼子氏による、吉田郡山城攻撃(毛利元就の居城)にも加わった。しかし、天文12年(1543年)、周防国の大大名、大内氏が、尼子氏の本拠地、月山富田城を攻撃すると、宗勝は寝返って、大内氏の道案内をした。



ところが、大内氏が惨敗して、尼子氏による反撃が始まると、天文16年(1547年)頃、宗勝は所領を保てなくなって、隣国、因幡に逃れた模様である。それから15年余、諸国を転々としながら、旧領回復の機会を窺った。やがて、毛利氏の勢力が強大化してくると、宗勝はその傘下に入った。そして、永禄5年(1562年)、毛利氏の後援を受けた宗勝は、ついに羽衣石城を奪回し、旧領復帰を果たしたのだった。毛利氏は伯耆を2分して、西半分は家臣の杉原盛重に、東半分は宗勝の支配に委ねた。それからの宗勝は、毛利氏の協力者として各地を転戦し、天正3年(1575年)に死去した。南条宗勝、享年79?



跡を継いだのは嫡男、元続で、毛利氏の重鎮、吉川元春に血判起請文を差し出して忠誠を誓い、所領を安堵された。だが、この頃から畿内の覇者、織田信長の勢力が山陰にまで及び始めており、元続の心は揺れ動く。そして、尼子遺臣の福山茲正(ふくやま これまさ)を通して、織田氏に気脈を通じるに到る。ところが、吉川元春はそうと知ると、天正4年(1576年)、毛利派の南条家臣、山田重直に命じて、福山滋正を討たせた。これに慌てた元続は、重臣5人を元春の下に派遣して、弁明に努める始末であった。しかし、元続の心中は既に決しており、家臣の山田重直に対しても含むところがあった。



そして、天正7年(1579年)9月、意を決した元継はついに、山田重直の居城、堤城を襲うに到った。堤城は落城し、重直は命からがら脱出して、鹿野城へと逃れた。毛利派であった重直を攻撃した事で、南条氏の離反は決定的となった。そして、天正8年(1580年)6月、織田家部将、羽柴秀吉が因幡に侵攻を開始すると、元続もこれに援軍を送って、協力する。秀吉は鹿野城を落とし、亀井茲矩を守将として置いた。これで織田氏と南条氏は勢力が接して、協力関係は深まった。



この事態に危機感を覚えた吉川元春は、南条討伐を決意し、同年8月、自ら軍を率いて、羽衣石城前面に展開した。両軍は長瀬川を挟んで対峙し、同年8月13日、吉川軍が渡河して攻撃を開始し、これを南条軍が迎え撃って、激闘となった。しかし、数に劣る南条軍は破れ、城へと逃れた。勝った吉川軍は数百人を討ち取ったと喧伝したが、自らの損害も多く、城攻めには到らなかった。



天正9年(1581年)6月25日、羽柴秀吉は姫路から出陣して、因幡に侵攻し、毛利方の城、鳥取城を囲んだ。毛利方は、鳥取城に兵糧を送り込まんとしたが、陸路からの輸送は、間に羽衣石城が立ちはだかっているので甚だ困難で、海路からの輸送も織田方の兵船によって阻まれた。吉川元春は、鳥取までの道を切り開くべく、嫡男、元長を先鋒として送り出した。元長は、伯耆国衆に参陣を促したが、皆、日和見の態度で思うように集まらなかった。鳥取城を囲む秀吉軍は、2万人余、そこへ後詰めに向かうには兵力不足であった。そのため、まず羽衣石城を落として気勢を上げるべく、同年8月11日、元長は、これに攻撃を加えた。



8月12日、南条軍が固めていた長和太は破られたが、次の羽衣石谷入口で必死に防戦して、吉川軍を追い返した。この合戦で、南条軍は160人余、吉川軍は180人余が戦死し、負傷者は数知れなかったと云う。元春は、毛利輝元に援軍を請うたが、毛利本家も余裕が無く、それは果たされなかった。そこへ、鳥取城が落城寸前との報が入り、元春は僅かな手勢をもって出陣を決意する。そして、同年10月25日には、羽衣石城から30町(3.3キロメートル)余の距離にある、馬ノ山に陣取って、更に前進する予定であった。



だが、同10月25日、鳥取城は落城する。元春は悲報を受けるも、逆に闘志を燃やし、弔い合戦の決意で羽衣石城を攻撃せんとした。そうと知った元続は、秀吉に後詰めを仰いだ。これを受けて秀吉は2万人余の兵を率いて、同年10月27日、御冠山に着陣し、馬ノ山の吉川軍6千人余と向かい合った。秀吉の方が優勢であったが、決死の覚悟の元春を甘く見ず、まずは羽衣石城に兵糧、弾薬を届けるのが先決と見なした。そして、伯耆国中から兵糧を掻き集めると、それを羽衣石城に搬入していった。



同年11月8日、秀吉は、蜂須賀正勝、羽柴秀長を押さえとして残すと、姫路へと帰陣して行った。一方、元春も押さえの兵を残すと、帰陣した。南条方としては、秀吉が、元春を討ち滅ぼしてくれるものと期待していたので、早々の撤退は予想外であった。そのため将兵は気落ちして、脱走者が多数、出る事態となってしまう。それでも、秀吉は一応、後詰めを果たし、羽衣石城はその後も持ち堪える事が出来た。一方、元春は、鳥取城の後詰めを果たせず、落城の憂き目となった。両者の明暗は分かれたのである。




天正10年(1582年)2月、元春は、再び伯耆に侵攻してきて、南条方の妙見山城を襲った。元続も後詰めに駆け付け、激戦となったが、城を奪われてしまう。この後、元春は、備中高松城の後詰めに向かったので、南条方は一息付くことが出来た。しかし、同年6月2日、本能寺の変が起こって、元続は織田家の後ろ盾を失ってしまう。そして、同年9月、南条方から内通者が出て羽衣城に火を放ち、合わせて毛利方の山田重直勢300人余が侵入して来たため、南条方は総崩れとなって、元続は僅か数人の郎党を伴って城から脱出した。3年前、元続は、重直を追いやったが、今度は自分がやり返されてしまった。



元続は秀吉の下に走り、旧領復帰を訴えた。その甲斐あって、天正11年(1583年)11月から天正12年(1584年)7月の間に、羽衣石城に復帰する事が出来た。翌天正13年(1585年)、羽柴氏と毛利氏との間で境界線の交渉が成立し、伯耆国は西半分3群が毛利領に、東半分3群が南条領として確定した。南条氏は4万石(6万石とも)の豊臣大名となり、天正15年(1587年)の九州征伐や、天正18年(1590年)の小田原征伐にも参陣した。天正19年(1591年)、南条元続、死去。享年43。跡を継いだのは、元忠であったが、13歳の年少であったため、叔父が後見人となった。



慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いが起こると、元忠は西軍に付き、伏見城や、大津城攻めに加わった。しかし、本戦で西軍が敗れたため、南条氏は改易の憂き目に遭い、元忠も浪々の身となった。大名としての南条氏はここに滅亡し、羽衣石城も廃城となる。その後の元忠であるが、慶長19年(1614年)、大阪冬の陣が起きると、豊臣方として大阪に入城した。そして、3千人余の兵を任せられ、平野橋口の守備を任されたが、ここで、徳川方から伯耆1国を与えるとの条件を提示され、内応を決意する。しかし、豊臣家臣、渡辺糺(わたなべ ただす)に見破られ、城内にて切腹させられた。南条元忠、享年37。



参考HP 東郷町誌http://www.yurihama.jp/town_history2/default.htm

                        




↑羽衣石城案内図

中腹まで車で行けます。そこから歩いて15分ほどで、本丸に着きます。





↑登山路





↑天然岩

羽衣石城には、このような大岩が所々にあります。





↑大岩と祠(ほこら)


その昔、この山に羽衣をまとった天女が舞い降りたとの伝説から、羽衣石山と名付けられました。





↑模擬天守閣と、展望台


往時の羽衣石城には、天守閣は無かったと思われます。





↑展望台からの眺め

日本海と東郷池が見渡せます。





↑本丸下の曲輪跡






↑本丸の土塁





↑天然石を利用した塁壁

この付近で突然、ガサガサという音がしたかと思うと、野生の牡鹿とばったり出会いました。双方、ビックリ仰天して、牡鹿は山へ、私は麓へと慌てて逃げ去りました。





↑麓から見た羽衣城

往時には、この辺りに平時の居館があったのかもしれません。羽衣石城は、天然の地形を多用した野性味ある城跡でした。

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