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生野銀山 1

生野銀山は、兵庫県生野市にある、日本有数の銀山である。



生野銀山の開坑は、平安時代の初期、大同2年(807年)と伝わる。だが、銀山が本格的に採鉱されるようになったのは、天文11年(1542年)、但馬守護、山名祐豊の時代になってからである。祐豊は生野城を築き、銀山の開発を進めたが、弘治2年(1556年)、山名氏の家臣であった、太田垣氏に支配権は移った。永禄10年(1567年)、自然銀を多く含む、当時、日本最大の鉱脈、「慶寿ひ」が発見され、銀山日記には、「銀が出ること、土砂のごとし」と記された。



天正8年(1580年)、織田家の進出を受けて、太田垣氏は追われ、銀山の支配権は織田家の手に移った。その後、銀山は、豊臣家、徳川家へと移り、直轄鉱山として更に開発が進められた。江戸時代には、最高位の銀山を意味する名称「御所務山」を与えられ、最盛期を迎えた。明治の世を迎えても、その重要性は変わらず、
明治元年(1868年)、政府直轄鉱山とされた。明治政府は、フランス人技術者を招聘し、製鉱所(精錬所)、生野鉱山寮馬車道(輸送道路)を建設するなどして、近代化を図った。



明治29年(1896年)、三菱合資会社に払い下げられ、民間経営となった。しかし、山はね(地下深部の圧力によって、坑道が破壊される現象。突然、岩盤が破裂して破片が飛散する)の危険性が高まった事に加えて、資源の枯渇が目立つようになり、昭和48年(1973年)、ついに閉山を迎えた。






↑生野銀山入口





↑近代の坑道

坑道内は、年間通して13度に保たれており、夏でも涼しいです。私はTシャツ1枚だったので、肌寒かったです。




↑江戸時代の坑道

しゃがんで、四つんばいにならないと進めないです。





↑鉱石運搬車





↑五枚合掌支柱組

地中では、水中と同じように圧力がかかります。そして、地下にある空所を押しつぶそうとしてきます。この岩盤の圧力を、盤圧(ばんあつ)と呼びます。それによって、山はねや落盤の危険性が高まります。そうした危険から坑道を守るために、この木組みが組まれました。




↑鉱脈





↑江戸時代の坑道





↑昭和34年(1959年)頃、採掘された場所。

深さ30メートル。





↑太閤水

その昔、豊臣秀吉が生野銀山に足を運び、坑道から湧き出す水で茶を点てたとの伝説から名付けられました。





↑巻揚機


鉱石を地上に運ぶ所です。


生野銀山の坑道見学は、主に近代の坑道で、比較的広く、歩いて進む分には問題無いです。しかし、それでも圧迫感があって長くは居たくないです。それに比べて、江戸時代の坑道ははって進まねばならず、当時の人々の大変な苦労が伝わって来ました。また、坑道内には多数のマネキンが設置されていて、昔の作業の様子が伝わって来ます。

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