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高山陣屋

高山陣屋とは、岐阜県高山市にある、徳川幕府の郡代役所である。御役所、郡代役宅、御蔵などの建物群を合わせて、高山陣屋と称されている。


元禄5年(1692年)、徳川幕府は、飛騨国を統治していた、金森氏を出羽国上山に転封させ、代わって飛騨国を直轄領に組み込んだ。そして、金森氏の下屋敷(大名屋敷)を整備して、統治拠点とした。当初は、代官が送り込まれて代官所として用いられていたが、安永年(1777)年、郡代所に昇格した。明治の世を迎えると、そのまま地方官庁として用いられ、昭和44年(1969年)に到るまで、利用されてきた。ここで、岐阜県教育委員会は、日本に現存する唯一の代官、郡代所である、高山陣屋を保存する方針を固め、16年の歳月と20億円の費用を費やして、平成8年(1996年)3月、修復、復元工事が完了した。



高山陣屋
高山陣屋 posted by (C)重家

↑高山陣屋

高山陣屋と言えば、あの紫の幕が印象的です。


高山陣屋
高山陣屋 posted by (C)重家

↑御役所(おんやくしょ)

郡代、手付(下級役人)が執務する部屋です。




高山陣屋
高山陣屋 posted by (C)重家

↑嵐山之間

郡代が生活をした場所です。



高山陣屋
高山陣屋 posted by (C)重家

↑台所




高山陣屋
高山陣屋 posted by (C)重家

↑役宅の庭園



高山陣屋
高山陣屋 posted by (C)重家


高山陣屋
高山陣屋 posted by (C)重家

↑広間

ここでは、公的な会議が催されたとあります。



高山陣屋
高山陣屋 posted by (C)重家

↑御白洲

拷問道具が並べられています。極僅かですが、こういう事をされて喜ぶ人がいますね。



高山陣屋
高山陣屋 posted by (C)重家


高山陣屋
高山陣屋 posted by (C)重家

↑御蔵(おんくら)

奥にある建物は、年貢米の蔵として用いられていました。現在は、博物館になっています。



高山陣屋の前では、毎日、朝市が開かれており、高山の見所の1つとなっています。

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越前大野城

越前大野城は、福井県大野市にある平山城である。



大野城は、天正4年(1576年)、織田家の部将、金森長近によって築かれたのが、最初となる。城は、標高249メートルの亀山の山頂に築かれ、野面積みの石垣の上に、2層3階の天守閣が置かれた。その後、城主は次々に入れ替わるが、天和2年(1682年)、大老、土井利勝の子、利房が入ってからは、以後代々、土井氏が城主を務めた。安永4年(1775年)、野口村から出火した火災が、城下1,400軒を焼く大火となって、大野城にも飛び火、天守閣を含む本丸を焼失した。寛政7年(1795年)、本丸は再建されたが、明治6年(1873年)、明治政府による廃城令によって、建物は取り壊された。昭和43年(1968年)、鉄筋コンクリート製の天守閣が復元されて、現在に到る。





↑麓から見た、大野城





↑城門





↑お福池





↑西を望む





↑東を望む





↑南を望む





↑北を望む






↑天守台の石垣




↑天守閣


越前大野城は、雲海に浮かぶ天空の城として知られており、福井県の名所ともなっています。しかし、個人的にはやはり、鉄筋コンクリート製の天守閣は頂けず、いずれは木製で復元してもらいたいです。




↑朝倉義景の墓所


大野城から歩いて、15分ほどの所にあります。 朝倉義景とは、かつて、越前国を支配していた戦国大名で、周辺国にも大きな影響を及ぼすほどの大大名でした。しかし、天正元年(1573年)、織田信長に大敗を喫した事から、本拠の一乗谷も危うくなり、一族の朝倉景鏡を頼って、越前大野の賢松寺へと逃れます。ところが、ここで景鏡の裏切りを受けて、賢松寺は200騎の武士に取り囲まれ、その中で無念の自刃となりました。賢松寺はその後、廃寺となりましたが、義景の墓所は現代でも、市街地の一角にひっそりと佇んでいます。

由良要塞の遺構、友ヶ島

友ヶ島とは、和歌山県和歌山市の沖に浮かぶ無人島です。かつて、ここには大日本帝国の要塞が築かれていました。



由良要塞とは、明治政府が外国からの侵攻に備えて建設した要塞の1つで、紀伊半島と淡路島の間にある、紀淡海峡周辺に築かれたものである。淡路島の由良地区・和歌山県の友ヶ島地区・和歌山県の加太、深山地区・鳴戸海峡防備を担う鳴戸地区(淡路島門崎に置かれた砲台)の4地区を合わせて、由良要塞と称された。由良要塞は、大阪湾への敵艦侵入に備え、第二次大戦まで臨戦態勢にあったが、終戦を受けて撤去された。





↑20,3cm砲弾








↑第二砲台跡

終戦による爆破を受けて、半壊しています。




↑展望台からの眺め

向こうに見える島は、淡路島です。あちら側にも要塞が築かれていて、この紀淡海峡の防備にあたりました。





↑第三砲台跡

友ヶ島各所にある砲台跡の中で、最も見応えのある遺構です。トンネル内を散策する事も出来ます。内部は薄暗いので、懐中電灯か携帯のライトを使用した方が良いです。私もペンライトを片手に、内部を見学してきました。





↑砲台内

トンネル左奥に、中に入っていく通路があって、そこも見学してきました。観光客は結構、大勢いたので、賑やかでしたが、それでも不気味さは否めなかったです。






↑第三砲台跡

中央、奥に見えるトンネルに入って行きます





↑トンネル内

前に見えるのは、この世の人です。




↑第三砲台跡

この辺りの遺構が、最も廃墟っぽくて、趣きがありました。





↑第三砲台内部

ここは弾薬庫だったのでしょう。




↑将校宿舎跡


内部は朽ちています。



友ヶ島は小さな無人島ですが、実際に歩き回って見ると、思いの他、広く感じました。飲み物は桟橋付近に売っていましたが、夏に散策する場合は、島に渡る前に大きなペットボトルを買っておいた方が良いでしょう。トイレは所々にありました。この島に渡るには、船を使う他ありませんが、時刻と便数が限られているので、よく確認してから渡りましょう。第三砲台の廃墟の雰囲気と、展望台からの眺めはとても良かったです。

波賀城

波賀城は、兵庫県宍粟市にある山城である。


伝承によれば、その昔、波賀七朗なる武士がこの地に城を築いたのが最初とされる。13世紀中頃には、鎌倉幕府御家人の中村氏がこの地に入り、戦国時代末期に至るまで治めていた。その後、天正8年(1580年)、羽柴秀吉による播磨攻めの際に落城したと思われる。波賀城の歴史は不確かで、廃城の時期も定かではない。















↑二層櫓





↑二層櫓





↑二層櫓内部

木造建築で、ちょっとした資料館となっています。





↑北西を望む






↑西を望む




↑南西を望む

波賀城が、三つの街道を制する位置にある事が分かります。




↑北を望む






波賀城の人影はまばらで、眼下に広がる景色を静かに堪能出来ました。11月初旬であったにも関わらず、まだツクツクボウシが一匹だけ鳴いていました。

佐用城(福原城)

佐用城は、兵庫県佐用郡にある平山城である。


南北朝時代の建武年間(1334~1338年)、播磨赤松氏の一族、佐用範家が築いたのが、佐用城の始まりとされる。その後、同じ赤松氏の一族、福原氏が城主となったため、福原城とも称された。戦国時代、福原氏最後の当主となったのが、福原則尚(ふくはら のりなお)である。佐用城は、近隣にある上月城と共に赤松氏の城郭群を担っていたが、織田信長の勢力が播磨にまで伸びてくると、その部将、羽柴秀吉の攻撃を受ける事となった。そして、天正5年(1577年)11月27日、秀吉自身は上月城を攻め立て、佐用城には与力の黒田孝高と竹中重治を差し向けた。


秀吉自身の文書によれば、佐用郡にある敵城三つの内、佐用城の城兵が打って出て来たので、竹中半兵衛と黒田官兵衛を先陣として、これを迎え撃たせ、数多を討ち取った。秀吉配下の平塚三郎兵衛が城主(則尚)を討ち取り、助太刀に来た城主の弟も討ち取ったとある。信長公記によれば、城兵250人余が討死したそうだ。翌11月28日、秀吉は上月城に攻めかかり、7日後に城兵は敵わずと見て、城主、赤松政範の首を差し出してきたが、秀吉はこれを許さず、城兵を備前、美作国境に連行して、悉く磔(はりつけ)に処したとある。こうして佐用城と上月城は、共に凄惨な最後を迎えた。それからほどなく、佐用城は廃城になったと思われる。






↑本丸跡





↑説明版





↑福原霊社

落城時の城主、福原則尚の首級と魂を祀るため、地元の人々が建てたものと伝わります。そのため、この神社は、頭様(こうべさま)とも云われているそうです。





↑佐用城の郭(くるわ)跡





↑福原霊社から東を望む

秀吉軍との戦いでは、この正面が主戦場だったのでしょう。





↑福原霊社脇の道路

ここは、空堀だったのかもしれません。


城の写真は少ないので、ついでに寄った、飛龍の滝の写真も載せておきます。佐用郡にあって、落差は20メートルとの事です。





↑飛龍の滝





↑滝の不動明王

増水していて、不動明王の姿は確認出来ませんでした。




↑飛龍の滝

普段はもっと水が少ないようですが、この日は雨の翌日だったので、水量豊富で迫力ありました。





↑飛龍の滝

 プロフィール 
重家 
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重家
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趣味:
史跡巡り・城巡り・ゲーム
自己紹介:
歴史好きの男です。
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